1996年4月5日(第6日)
イズミール〜エフェソス〜パムッカレ


    
エフェソスの『海への道』
エフェソスの『海への道』

 今日は、朝起きたらなんと大雨なのです。それも道路の舗装の上で雨がはねるのが見えるほどの。いわゆる『Rainy dogs and cats』てのはこういうことをいうのでしょうか。今日は、大きな遺跡を歩く予定があります。目の前まっくらです。というのは、前にも書きましたが、乾燥地帯にいくのだぁぁぁぁという頭があったので、なにも雨具らしい雨具を持ってきていないのです。かろうじてウインドブレイカーがあるくらい。しかたがないので、そのウインドブレイカーと黒の大きなビニール袋(ちょっと前までつかってたゴミ袋の残りです。)を取り出して、ウインドブレイカーにゴミ袋のスカートをはこうと決めて、準備をしました。
 ところがありがたいことに、一カ所目の見学場所に行くと、雨は小降りになっていました。
 今日の最初の見学場所はマリアの家です。ここには聖母マリアがキリストなき後の余生を過ごしたという家があります。もっとも家の土台だけが1世紀のもので上の建物は6世紀に立て直されたものだそうです。中には、マリア像がまつられていました。ローマ法王もこの地を訪れたことがあり、今では世界的に認められた場所です。
 そして、世界の七不思議の一つに数えられた、エフェソスのアルテミス神殿へ。ここには巨大な豊穣の女神アルテミスをまつった神殿があったといわれています。発掘された際に発見された幾分かの遺物があったそうですが、それらはみなウィーンに運ばれて展示されています。今は、荒れ地にたった一本の柱といくつかの石塊が転がっています。ここで一番人気があったのは、遺跡のすぐ脇の家で買われている子羊。生まれたばかりのようで、へその緒をくっつけています。かわいらしい声でめぇぇぇと鳴いてみんなを喜ばせてくれました。
 世界の七不思議って、何だったのだろうと車に戻る途中考え続けました。エフェソスの大アルテミス神殿。アレキサンドリアの大灯台。ギゼーのピラミッド。バビロンの空中庭園。ロードスのアポロン。オリンピアのゼウス像。もう一つはわからない。ああ、ユーラシア大陸横断バス旅の謎ですな。
 ついで、車で15分ほどのエフェソスという遺跡に行きました。駐車場から入るとまずは劇場がありました。昨日も書きましたが、劇場にはだいたいその町の人口の十分の一が入れるというのが目安ですから、24万人の一割2万4千人が入ることができる計算になります。ここも音響設備がよく居合わせたドイツの観光客の声が実によくきこえました。
 ここエフェソスという土地は、以前は、エーゲ海がすぐ近くまで迫っていたそうですが、カイストロスという川が次第に河口地域を埋め立ててしまい、今や、海は遺跡から5キロの彼方にあります。写真は、遺跡の中心部から海への通りで通りの向こうにある煉瓦の建物がトルコ風呂で、そのあたりがもう浜辺だったという話です。ということは、この海への道は、今の湘南海岸みたいにカップルにはデートの場所、年輩者には散歩の場所だったのでしょうか。なんだか、目に浮かぶようです。
 この町は上下水道完備で、水洗の公衆トイレがあります。もっとも男性用ですが。
 そのあと、バスは一路パムッカレへ。夕方到着後、みなさんは温泉へ。ここは温泉地なのです。ただし、温泉といっても温泉プールというか、大きなバスタブにみんなで水着を着てはいるあの形式ですけれど。さて、私も行って来るかな。

ミニコラム 殿方をひき付けた“世界最古の広告”
石に彫られた足形の広告
ちょっと見は仏足跡みたいなんですが
 この写真は、エフェス(古代都市名エフェソス)の遺跡にある、世界最古の広告。ここにあるのは、左足、美しい女性、そして、ハートのマークだけれど、さて、何の広告かわかりますか?
 答えは、売春宿。この広告は、町の図書館の近くにあり、そして、どうも、殿方っていうのはいつの世も奥様の目をくらます知恵には長けていらっしゃるらしく、(一番うまいのはそういう立地で商売をしていた売春宿の方ですが)ちょっと図書館に行って来るといって家を出ては、図書館から目と鼻の先の売春宿でめくるめく数時間を過ごしていたらしい。この広告の左足は、まっすぐ足の向いている方向に歩いて左手に店があるということを表し、ハートと女性は美しい女性が心を込めたサービスをしますという意味のようだ。なんとなく、生活のにおいがする。世界最古の商売が売春、最古の広告もそっち系ってことで、人類は栄えた訳ね。でも、この町は紀元2世紀のものだから、そのころの日本はっていうと、弥生時代かしら。なんだか、とても不思議。
 今、エフェソスの遺跡として残っているのは、上流階級の住まいやらなにやらで、庶民はもうすこし町の外に住んでいたらしい。そこらは、まだ掘られてないのか、それとももうなにも残ってないのか、よくわからないけれど、ここには確かに人の生活があったのだ、と妙に実感してしまった。

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