1996年4月10日(第11日)
シヴァス〜エルズルム


    
雪山の景色
雪の峠越え

 今朝は、450キロの移動に備えて早朝の出発となりました。車は今回初の峠越えをします。途中から、だんだんに高度を上げて、2000mを越えたあたりで、周囲は銀世界となりました。所々に小さい足跡も見えて、いったいどんな動物がいるのかと目を凝らしましたが、動くものの姿は見つけられませんでした。  途中のトイレ休憩(これはたいていガソリンスタンドです)の時、前の斜面を登って雪渓の残り雪をさわりに行きました。暖かな日もあったのでしょう、すっかりアイスバーンになっていました。昔の隊商はどうやって、この峠を越えたのでしょう。らくだでしょうか、それとも馬?ローマから1000キロちょっと、もしかしたら最初の難関だったのかもしれません。
 ホテルでの昼食後、繭ちゃんと田端さんとホテルから1キロほど離れた市の中心部にショッピングがてら、さんぽにいきました。このエルズルムはトルコで一番寒い町だそうで、冷たい風が吹いています。ツアーのメンバーの何人かは近くのスキー場にスキーに出かけて行きました。私たちはとぼとぼと歩いてお買い物です。
 トルコに来て驚いたのは、町の至る所にケマル・アタチュルクというトルコ共和国独立の父とも言うべき政治家の銅像や写真が掲げられていることです。ケマル・パシャという愛称で呼ばれているこの政治家は、トルコを西欧化させ、今の繁栄の礎を築いた人なのです。それこそ、ありとあらゆるところに彼の肖像や銅像が飾られています。このエルズルムの町でも、アタチュルク大学があり、彼の銅像を据えた噴水広場があり、気がついただけでも、おもちゃ屋にかれのバストアップの像のプラスチック製のものを売っていて、本屋に著作のほかに写真とかブロマイドがあり、おみやげやに絵はがきがありました。
 私の国を振り返ってみると、これほどのスターとなっている政治家はいないように思います。なんだか、少しうらやましかったです。 

ミニコラム 田舎町の大イベント
胴着を来たトルコのお巡りさん
パレードには
こんな人たちもいた
 トルコ東部の町、エルズルムで観光中、お巡りさんの大会というか、なんだか、正装したお巡りさんがたくさん町の中心部のケマル・アタチュルクの記念碑のある広場に集まっているのに行き会った。地元のテレビ局らしい、ベーカムも来ていてなんだか、大きなイベントの様だ。
 このあたりでは、英語の分かる人はぐんと少なくなり、何のためのイベントなのか周囲の人々に尋ねてみるが、なかなか通じない。結局あきらめて、イベントを見守ることにした。
 まず壇上に、市長なのか、平服ながら、偉そうなおじさんが上ってご挨拶、続いて制服の偉そうなおじさんが二人挨拶をすると、国旗掲揚とともに国家の斉唱がはじまる。見物の人たちも大きな声を出して歌っているところを見ると、本当に誇りに思える国家であり、国歌なのだろう。続いて、ポリスという言葉が入った歌が二曲続いた。その後、町の目抜き通りをパレードするらしい。
今日の観光は自由行動だったので、私は、不思議少女繭ちゃんと田端さんの二人と一緒だった。イベントの流れが飲み込めてふとまわりを見回すと、なんと、パレードの出発待ちをしているお巡りさんたちを含めて、みんなが注目しているのは、どうも私たち3人のようだ。なにしろ、このあたりのトルコ東部は東洋人は本当に珍しいらしいのだ。子供たちまでわらわらよってきて、私たち三人さながら『珍獣町に現る』状態なのだ。それでもかまわず写真を撮っていると、お巡りさんたち、しきりと俺をとってくれとサインを送ってくる。できるだけ希望に添ったけれど、いったい何枚焼き増しして、エルズルム警察宛に送ればいいのかと思ったら、頭が痛くなってきた。
 パレードの中に、胴着をきた何人かの姿があったので、持っているプラカードを読んでみると、柔道、空手にテコンドーと書いてある。格闘技なら何でもござれなのだな。
 パレードが私たちの帰るホテルの方向とは逆の方向に出発したので、私たちも口々に「ハロー」だの「ハワイユー」だのと叫ぶ子供たちを振り切ってホテルに戻った。

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