1996年4月11日(第12日)
エルズルム〜ドゥバヤジット


    
バザール風景
国境の町のバザール

 鈍い曇り空の下、国境の町、ドゥバヤジットに。ここはノアの箱船が流れ着いたというアララト山からも近く、イランとの国境まで50キロという場所にあります。あいにくの曇り空で標高5000メートルを越えるアララト山の姿は雲に隠されていました。
 町に着いて、お昼を食べた後、町の近くの山の中腹にある、イサクパシャ宮殿の見学に行きました。ドゥバヤジットの町を挟んで、アララト山がよく見えました。この遺跡は現在修復が始まっているそうで、所々に足場が組んでありました。ここにも、ハーレムがありましたが、寒い場所柄らしく、すべての部屋に暖炉がありました。
 今日は風邪を引いたらしく、喉が痛くて観光に熱が入りません。何となくまた、バスに乗り込んで、町に戻りました。その後、明日の国境越えの際、イランの入国で、女性は髪の毛をすべて覆わなくてはならないため、前髪を止めるヘアピンを買いに町に出ました。町はとても埃っぽく風も強いため、油断していると目にすぐゴミがはいります。その中をめぼしい店を当たって歩きましたが、なかなか見つからず、途中で入った薬屋のローザという20歳の娘さんが片言の英語を話したので、彼女の案内で店からかなり離れた金物屋でやっとヘアピンを見つけました。ピンはばら売りで、一本1000トルコリラ、1円ちょっとくらいでしょうか。彼女に請われるまま東京の住所を書いて渡し彼女と別れました。

ミニコラム 国境の町ドゥバヤジット
古びた町並みと不釣り合いな装甲車
この装甲車は私たちの
警備のために来ていた
 明日は、いよいよ初めての国境越えである。今回の国境は、トルコ東部とイランの国境で、このあたりはクルド人問題で治安が悪化していて、私が出発前に外務省に問い合わせたときも、決して安心のできない『注意が促されている』地域であると言われたところである。トルコ東部に入ってから、所々、どういう尺度でそうなっているのかわからないが、パトカーの先導がつくようになった。これも現地の警察官のアルバイトみたいな意味もあるようで、あまり大変なことではないのかもしれないが、十分にものものしい。今日の国境の町の私たちのホテルの前には、到着前から装甲車がスタンバイしていたらしい。近くのイサク・パシャ宮殿の観光にもお巡りさんの護衛付きだった。
 外務省と言えば、私が問い合わせをしたとき、かれらは、「現地の警察に護衛を頼む必要があるところに観光旅行にいくなんて」ってなかんじで、なかなかきついことをいわれた。そりゃそうかもしれない。現地で、ほとんど東洋人を見たことのない彼らに取り巻かれて、口々にトルコ語で話しかけられるとつくづく遠くにきたなあと実感した。
 でも、来ちまったものはしかたないので、このままイランをめざすしかないのだ。明日の国境越えどんな波乱があることやら。

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