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1996年4月12日(第13日) ドゥバヤジット〜国境〜タブリーズ |
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| タブリーズの夕暮れ |
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昨夜のホテルはとてもすごいホテルで、ツアーの人のほとんどの部屋で、トイレかシャワーか洗面台かスチーム暖房のどれかに問題があり、4重苦の人もいました。私の部屋はトイレがだめで、毎回ビニール袋に水をくんでどーんと流していました。そのあげくに夜になったら、停電。町中消えた後、電圧が低下して、ついても薄暗かったり、蛍光灯がつかなかったり。みんなで懐中電灯で過ごしました。もっとも寝る頃になって回復しましたが。
今日は、雨の中、いよいよ初の国境越えです。日本には、陸続きの国境というものがないせいか、ボーダーを越えるというなんだか妙な熱気の様なものが、バスの中に立ちこめています。おまけにイランに入国するに際しては、女性はいろいろ服装の点で細かな制限があり、それを満たすために、女性陣はみんな思い思いのやり方で、にわか回教徒に化けています。具体的には髪の毛を含め、顔と手だけをのぞいてすべてを覆い隠すということになっているのです。しかも、女性特有の体の丸みがわからないような服装で。みんなかねて用意のスカーフをかぶり、ジーパンの上からスカートをはいたり、レインコートを着込んだりとなかなか暑苦しい格好です。今は冬の終わりだからいいけれども、これが夏だったら、どうなっていたのでしょう。想像するだけで暑い。
さて、朝8時15分ホテルを出て50キロほど南東に走って、国境に。国境が近づくと、路上にたくさんのトラックが止まっています。みんな国境の通過町なのでしょう。距離にして1kmくらい続いていました。話によると彼らの国境通過手続きは恐ろしく時間がかかるらしかったです。最初は、ゲートでバンに乗り換えて国境の建物に向かうことになっていましたが、無線で連絡を取ったところ、バスのままで入れることになり、半分の人たちはバンで私たちはバスで、中に入りました。
まずは、トルコからの出国手続きです。警察のブースでパスポートと出国カードを提出してトルコのはんこをもらい、ついで税関ではんこをもらいます。そして間の厚い鉄のドアを越えるとそこはもうイラン。真っ正面にホメイニ師の肖像がかかっています。ここから、時差1.5時間でイランタイムになります。まず、入出国カードを受け取りました。ここでは、私たちが東京のJTBの各支店で渡された、イラン航空が日本で配っていて、イラン航空のマーク入りの入出国カードは使えませんでした。私たちは皆、新しい用紙を配られそれに記入して、パスポートと一緒に窓口に提出。彼らは私たちの耳慣れない名前をいちいち口で発音してはそれをペルシャ語に直して記入していました。この窓口でパスポートをあづけて、彼らがパスポートを返してくれるのを待ちました。そのあと、またドアをくぐってイランの入国審査。写真と私の顔を見比べて、ビザを調べて「Welcome to Iran」と言って返してくれました。次が税関です。私は機材一式を持っていますので、申告書にそれを記入し、別に米ドルの所持金も札の種類ごとに枚数を記入しました。
待つことおよそ30分、私の番が来ました。検査台の上に荷物をすべてあげて、係官の顔を見ていると彼は英語が話せるらしく、パソコンとカメラのことを聞かれました。私はふつう2台までは問題ないというカメラを都合3台持っているので、ちょっと冷や冷やしましたが、それも問題なく通過。3分ほどで終了しました。
続いて建物の外の銀行に行き、持っている米ドルの額を確認してパスポートに記入してもらって、これで手続きは終了です。
私は先ほどの税関の申告書を税関で取り上げられたので、もう一度書類を書き直しました。どうして取り上げられたかは不明です。それでも全員が2時間強で国境を通過したことになります。
ただ、女性の体の線の出ている写真というのは持ち込みが出来ないのですが、私の場合もカッパドキアで買った、トルコのガイドブックを調べられました。もっともそのとき係官は、ぺらぺらとページをめくりながら、「Nice coutnry」と言っていましたが。ほかの人には、CDのジャケットを没収されたりした人があったようです。聞いた話では、嘘か真かドラえもんの静香ちゃんのスカートがまくれるシーンにマジックを塗られたという話しも聞きました。
こうしてみんな無事に国境を通過。やっとイランにはいりました。こちら側は、野山があまりあれている様子がなく、羊も多いようですが、何となく緑があるように感じられます。これからどんな遺跡やシルクロードが待っていることやら。
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