1996年4月18日(第19日)
ナウシャール〜ミンダシャット


    
山をバックに畑が広がる
イランの田園風景 ミンダシャットのホテルより

 今日はいい天気で日中の気温が33度まで上がりました。それでも日陰は風があって涼しくいい気持ちだったけれど、朝夕はやはり冷え込みました。今日はイラン北東部のミンダシャット泊まり。ホテルの窓からは、豊かな田園風景が望めます。生えているのはジャガイモみたいですね。ちょっとまわりを歩いて、その後、バスで15キロほど離れたコンバデガブースの町に観光に行きました。昨日はさぼっちゃったけれど、今日はちゃんと観光するところがあるというので、出かけてみました。このあたりは、トルクメン人の居住地域で町の様子が少しだけ違って見えます。
 バスで400キロ、書くだけなら「ああ、大変そうだなあ」で終わります。けれど、けれどね、これが日本の田舎でも近頃とんとお目にかからないような、メーカーだけは一応ベンツだけれど、雨の漏るようなおんぼろバスで、時速120キロくらいで一般道をかっとぶってことになると、これが結構体中にくるんです。
   というわけで、山越えでブンブン振り回されて、へろへろになった昨日の今日。今日は思いっきりの長距離と白倉さすがにグロッキー。それでもメモだけはなんて、紙にペンを走らせています。正直に言って、毎日日記とネットナビ用のデジカメ日記を作るということが、こんなにきついことだとは思わなかったです。夕方ホテルについて、夕食までに1時間以上あれば、Kodak DC-40とPCをつないで、デジタルフォトの読み出しと、サイズの調整、画像方式の変更に手を着けます。これが、10枚15枚なら1時間くらいで終わるけれども、それ以上になると、1時間では終わらない。夕食を食べて、部屋に戻ってから、とにかく色々終わると大抵翌日になっています。写真をたくさん撮ったり、原稿にちょっとした調べものが必要だと、あっと言う間に朝になったりして。朝の5時の祈りに人々を誘うモスクからの声、レザンに眠りの世界に誘われてしまったことも一度や二度ではないのです。そのほかに、日用品は最低限度しか持ってこなかったので、洗濯もあるし、うかうかとのばしてしまった長い髪を洗えば、ドライヤーもかけなければ風邪を引きます。とにかく旅行の夜は忙しい。
 日によっては、夕方の最初の仕事がお洗濯という日もあるから、とにかく一日バスの中でシェイクされまくって、へろへろになってホテルについて、それからが結構きついわけです。しかし、旅に出た感動よりも、原稿作るのがつらいというのでは、ちょっとまずいよねえ。というわけで、昨日は、ネットナビの仕事だけ仕上げて、自分のはメモも途中でさぼってさっさと寝て、今、朝目の覚めた寝床の中で、にゃんこの様に丸くなって、原稿作ってます。
 後になって、メモだけはしっかりしていたら、お肉はつけられるかもしれない。でも自分が何をどう感じたかはその日に、文字にしないとだめなんですね。思い出せなくなっちゃう。だから、きつくてもちゃんとやらないと。なんて、朝からねじ巻いてます。ちょっと参ってるかな。おなかも少し下り気味です。たのむよ、かわいい私のおなか君。がんばってくれよな。

ミニコラム ウオッシュギールの墓
丘の上に立つ塔
人々の憩いの場の
公園の丘の上に立つ
ウオッシュギールの墓
 今日は、カスピ海から離れてイラン北西部のミンダシャット泊まり。一日走って、ホテルに着いて一息入れて、夕方から近くの町のコンバデガブースにでた。町の中心から少し離れたところに10世紀の政治家ウオッシュギールの墓があった。この墓は大きな塔の形をしていて、高さ18mで小さな丘の上に立っている。これはウオッシュギールが自分の生前に自分の墓として建設させたもので、今は塔の下の入り口には鉄格子がはめられ、中に入ることはできない。鉄格子の近くまで行って中を覗くと冷たい風が吹き下ろしてくる。まるで氷室をのぞいたようだ。その吹き下ろしてくる風は、冷たくかび臭いような、埃くさいような、いわゆる古くさいもののにおいがした。
 塔のまわりにはたくさんの人がいて、子供たちは声を上げて走り回り、大人たちは夕涼みの真っ最中といったところだろうか。イランでは、本当に家の外で時間をつぶす娯楽が少ないので、これは格好のレクリエーションなのかもしれない。2、3人ずつかたまっては、話しに花がさいているようだ。イランでは、なるべく人間の写真を撮らないほうが安全なので(イスラム教徒の女性は、写真を撮られることをとてもいやがり、カメラを向けただけで拒否反応を示す人も多いのだ)、それとなく様子を観察することにした。
 この町に着いてから、実は内心とっても驚いていたのだが、女性の服装が実にカラフルなのだ。今までの町では、女性は黒いスカーフをかぶり、その上から、黒い大きな布で体全体を覆うようにしていたのだが、この町では、美しい柄のはいったスカーフや、ワンピース、時には足の見えている人もあるではないか。これはどうしたことかと、あわててガイドさんに聞いてみると、これはイラン国内のトルクメン人の民族衣装で、政府もあまり厳しいことはいわないらしいし、誇り高いトルクメン人は、言われても聞く耳を持たないらしいのだ。テヘランのグランドバザールでカラフルな衣装を着ていたのは、ジプシーたちだったが、ここでは黒一色の人を捜す方が難しいくらいだ。
 イラン入国以来、真っ黒黒の黒づくめを見慣れた目には何ともあでやかで、気のせいか女性たちの表情も明るく、女性がみんなきれいに見えた。

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