1996年4月19日(第20日)
ミンダシャット〜マシュハッド


    
山間部の風景
トイレ休憩で立ち寄ったイランの山間部

 今日もいい天気。気温31度。ただし風が強かったので、まあまあしのげました。こっちのバスは冷房がないので、暑かったら、窓を開けて走るしかないのです。そろそろマスクを出さなければならないでしょうか。今夜は、マッシュハッド。明日は今度の旅で二つ目の国境を越えて、いよいよ中央アジアに入り、トルクメニスタンに入国です。
 午後2時過ぎにホテルに着いてから食事をして、一度部屋に入り、5時からもう一度観光に出ました。私はその間に、洗濯をして、干したのですが、今12時を回ったところで、靴下も下着もきれいに乾いています。乾燥地帯は本当にありがたい。最低限度の枚数しか持ってきていませんから、洗濯はためずにこまめにしなくては。きたきりすずめになってしまいます。
 そして、観光は八代目のイマーム・レザーのご廟でした。ここ尾はイスラム教の聖地なので、用心に用心を重ねて、私たちはスカーフの上から頭と体を包むチャドルという衣装を着せられました。その方が目立たないし、より、異教徒が行けるぎりぎりのところに近づきやすいということで。今日は、イスラム教の日曜日に当たる木曜日なので、たくさんの人がお参りに来ていました。病気や困ったことをお願いすると、解決してくださるのだそうです。なんだか、浅草の観音様の前のにぎわいと似ています。イマーム・レザーの廟は金色に輝き、隣のモスクは青く作られていました。
 仲店までは行かないけれど、参道沿いのお店で天女なのか、きれいな女性のファンタジックな絵の描かれたTシャツを買いました。値段が13000リアル(430円)といっていますが、私はウエストポーチのそこまでこそげても、11500リアルしか持っていなかったので、あきらめてお礼を言って店を出ようとすると、店の主人が、待てと身振りをして、シャツを袋に入れてくれました。どうやら結果的に、1500リアル値切ったことになるようです。恐縮しながら、有り金全部払ってシャツを受け取って店を出ました。
明日の午前中で、イランともお別れです。今日はそれもあって、現地通貨のリアルの残りが少なかったのです。男の方たちはお酒が飲めないので、私たちは慣れない長い上着にスカーフを巻いた実に暑苦しい姿で、本当に大変でした。しかし、つくづく妙な国でした。日本を出る間際にマイクロソフトのマイクロソフトネットワークをイラン国内で使うことがイランの法律に触れると言うことがわかって、とてもびびってしまいました。こちらの国に入ってから、ネットスケープの輸出が禁止されている国だということがわかりました。通信しようとしたりしたらお手手が後ろに回るかもなんて思ったりもしたのですが、テヘランのホテルでは通信は当たり前みたいで、電話のセクションに通信用にモジュラージャックがついていたりしました。結局、通信はうまくログインできませんでしたが。
 米国の例のイラン大使館員人質事件以来の対イラン経済制裁は、まだ終了しておらず、その反動なのか、アメリカ製品の排除のスローガンがあちらこちらでみられます。ホテルにもでっかいスローガンがかかってたりしました。でも、テヘランのラレ・インターナショナルというホテルは元のインターコンチネンタルだし、今日のホマ・ホテルというのは、元のシェラトンだけれど、その運営は今もアメリカ式で行われています。テヘランでは電話のシステムだって、アメリカ製だと聞かされました。コカコーラだってのめるし。話の行きがかり上、アメリカと縁を切って見せただけで、やっぱり、国内からすべてのアメリカ製品を駆逐する事はできなかったのでしょう。そのあたり、やはり、おそるべしアメリカ。

ミニコラム イランの金曜日
イマーム・レザー廟の遠景
イマーム・レザーは
あまりに尊くて
ご廟の写真すら
近くからは撮れない
 今日の宿泊地のマッシュハッドは、イスラム教の聖地だ。ここには現在まで11人がなくなり、今12人目が1000年以上の寿命でどこかで生きている、と考えられているイマーム・レザーの八代目のお墓があるのだ。このイマーム・レザーというのは、イスラム教の法主みたいなもので、イマームというのはリーダーという意味だそうだ。過去になくなった11人がサウジアラビア2カ所、イラク4カ所、イラン1カ所に別れて葬られている。12人目のイマーム・レザーはこの1000年間現れていないが、現れれば、ハルマゲドンが起きて、戦争が起こり、正しい清いものだけが残るのだそうだ。かのホメイニ師ですら、イマーム・レザーにはなれなかった、という。
 今日は、イスラム教の日曜日に当たる木曜日で、おまけにどこか別の場所に葬られている第9代目のイマーム・レザーのなくなった日だそうで、御廟の近くではパレードの小さいのが歩いていたりした。
 この、イマーム・レザーは困ったこと、病気などを解決してくれるというありがたい方で、たくさんの人がお参りに来ていた。私たちも、いつもの謎のイラン人の格好の上に、またさらに布を巻いて完全防備をして、それでも、御廟の手前までしか異教徒は入れないと言うことで、写真を撮ってきた。お参りできたら、まず、家族や友達やたくさんの人の幸せを祈って、ついでに自分の無事もお祈りしたかったのに。イスラムの神様は仏教徒には冷たいかなあ。

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