1996年4月21日(第22日)
マリ(メルプ)


    
キズカラの外壁
キズカラ、7世紀の城跡

 朝から、日中の暑さが予想されるようなそんな日です。一番目の観光は日曜日に立つというバザール。ホームスパンの仕事をしていて、羊と羊毛のことに詳しい方がツアーの中にいらっしゃって一緒にあれこれみていたら、ショックなことがありました。毛皮の種類で柔らかな毛触りで高級品と言われるアストラカンという名前を聞いたことがあります。その正体を今日、知らされました。羊の胎児の毛皮だというのです。つまり、母親と胎児の両方の命を奪って小さな毛皮を一枚取るというのです。ウズベキスタンでは、それをいかに効率よく取るかということを専門に研究する研究所まであるとか。自分も持っていないわけではないけれど、うちのかわいい3匹の猫をみているととても着る気になれなくなった毛皮。それよりもなんだかもっと悲惨で陰惨な気がします。つくづく、うちに居るのが猫でよかった。しかもふつうの、そこらに居るような猫たちで。ああ、うちの子たちに会いたいです。
 人と獣と車のクラクションの音で騒然となっているバザールで、当てられたようにぼーっとなっていた頭の中が、キズカラに行って風に吹かれたらすっきりしました。
 キズカラ。アラブに攻められ7世紀に滅んだその城が1967年に掘り出されました。日干し煉瓦の宿命か、後5、6年したら崩れてなくなってしまうかも知れないと言います。修復したらいいのでしょうが、ソ連崩壊後、独立してまだ日の浅いトルクメニスタンにそんな体力はないのかも知れません。裏側の大きく残った壁には鳥たちが巣を作っていました。本当にもったいないです。
 埃の中を観光したら、髪がばりばりになってしまいました。その後、スルタン・サンジャール廟とカマダンのモスクに。カマダンのモスクでは、子猫が居たのでだっこして写真を撮りました。本当にうちの三匹に会いたくなりました。

ミニコラム マリの日曜バザールでの買い物
バザールで笛を手にしている老人
バザールには
なんでもあった。
笛も老人も若い女も
 マリの町で、日曜日に開かれると言う日曜バザールに出かけた。大きな空き地なのか、ホテルから車でちょっと走ったところに、人と車が入り乱れて市が立っていた。東京ディズニーランドの駐車場くらいの面積だろうか。
 市は、私たちのついた午前9時半頃には、もうすでにたいそうな人出で、列になって、横の店をみながらただ、歩いて行くだけでもちょっと骨が折れる。トルクメニスタンの美しい民族衣装の女性もたくさん居て、イランの黒一色の女性を見慣れた目にはとてもきらびやかな装いに見える。炎天下の青空の下、36度くらいはあるだろうか、売り手たちは地面に布を広げて思い思いに店を開いている。売っているものは、昨日のウズベキスタンの買い出しグループもこんな店を開くのだろうか、と思われるほど雑多なものだ。それでも、店を広げている場所によってそれなりの秩序があるのだろう、自動車などの機械部品の奥に日用品、その右手が民族衣装、そして、左手には絨毯を売っている一団もあった。遠くでは、毛皮、羊そのもの、そして羊毛の原毛など、きっとないものはないのかもしれない。
 絨毯を売っている一団の奥で、弦楽器の音がするので行ってみると、民族楽器を売っている。店番のおじいさんが、ほろほろと手で弦をつま弾きながら、客なのか、知り合いなのか、何人かの人たちと話をしている。売れるのか売れないのかさっぱりわからないが、なんだかおもしろそうなので少し下がったところでみていると、私のカメラに気づいたのか、前に立っていたおじさんがしきりと取ってやれと身振り手振りで楽器を持ったおじいさんを指すので、一枚取らせてもらった。相変わらず、商談の進行具合はわからなかったが、時間切れでその場を後にした。
 市には特有のムードがある。何か、気に入ったものを是非とも見つけて、それを買わなければいけないような。そうでないと、私はいつまでも、異邦人の傍観者、市の売り子さんたちにまで「ジャポンスキー、ジャポンスキー」と叫ばれてしまう珍獣状態なのだ。今日も、熱に浮かされたように見て回って、らくだの毛で編んだ、髪の毛に飾るひもを4本買い込んだ。使い道があるわけではないが、ツアーの仲間に「とても丈夫だから」という人があったので。使い道は帰ったら考えよう。ちょっとだけ買い物をして、ちょっとだけ参加させてもらった青空バザールは、たくさんの人の声と動物の鳴き声、車のクラクションでめまいがしそうな喧噪だった。

"前日"へ   "翌日"へ

ユーラシア大陸横断旅行日程


冒険者の宿 金の割り符亭


ニャーニーズ・アイランド