1996年4月22日(第23日)
マリ(メルプ)〜ブハラ


    
民族舞踊の女性ダンサー
夜のパーティでの民族舞踊

 今日は、三つ目の国境越えで、トルクメニスタンからウズベキスタンへと国が変わりました。ホテルを朝9時に出発して、何キロも走らないうちに一つ目のアクシデント。KGB(そんなものまだあったのか)の車が来て、みんなの団体ビザをコピーすると言って持っていったまま、1時間半以上も戻ってこなかったのです。国境の税関でも少しがたがたして、国境を挟んで420キロの距離の移動にかっきり12時間かかりました。
 ブハラのホテルでは、北京から3月28日にスタートしたもう一隊のユーラシア大陸バス旅のグループと私たちイスタンブールを3月31日にスタートしたグループがであって、ブハラ市長もやってきて民族舞踊も入ってのパーティがありました。市長は、挨拶の中で1991年にウズベキスタンは旧ソ連から独立したけれども、ブハラの町は今年1996年に建都2500年を迎える古い町で、シルクロードと密接な関係があった、とその歴史の古さを誇り、加えて、町の美しさ、史跡の多さを誇りました。彼は、自分が市長を務める、この町が好きで好きでたまらないのでしょう。それはとても素晴らしいことです。人の良さそうな市長が、一生懸命スピーチし、その現地のロシア語を英語に通訳し、それをさらに日本語に通訳して3倍時間がかかるのでちょっと困りましたが、いい人なんだということはよくわかりました。今日は、ここで交代する添乗員さん達も4人顔をそろえ、何とか、中央アジアまでやってきたのだと、しみじみ思いました。今日は、時間も長く本当にただ移動しただけなのにくたびれたーという感じでした。 ホテルのロビーにいた子猫をだっこ出来たのが唯一の安らぎでした。

ミニコラム 国境の浮き橋
浮き橋の板
橋の路面が
何かフロートの上に
乗っているらしい
浮き橋だった。
 今日は、三つ目の国境越えだ。本来、旧ソ連圏の国から国への国境越えはそんなに難しくないらしいので、あまり緊張はしていなかった。
 それよりも今日楽しみだったのは、国境の浮き橋だ。いくつかのフロートのついたパーツを筏をつなげるようにつなげて川にかけた浮き橋。それをバスに乗ったまま渡るというのだ。これは本当に楽しみだ。
 現実に橋を渡ると、筏から筏に乗り移るときに結構ショックがある。というのは今重さのかかっている筏の方が、これから乗る筏よりバスの重みで下がっているからだ。規則的にがたんがたんと音を響かせながら、一つの長さが30mほどの筏の上をバスは渡っていく。筏から筏に乗り移る度に体が少し浮いて、少し沈む。
 本当は横から取った写真で、この何とも妙な浮き橋をお見せしたかったのだけれど、何しろ橋自体が、トルクメニスタンとウズベキスタンの国境地帯にあるので、おおっぴらに写真を撮るわけに行かず、バスの窓の中からそっと筏のつなぎ目の写真を撮った。
 今日の国境越えは、結局、朝ホテルを出て、国境まで行くまでの間にコントロールと呼ばれる検問で引っかかって、「団体ビザのコピーを撮りに行く、15分か20分くらい待て」といってKGBがビザのオリジナルを持って姿を消してから、一時間と37分も待たされたので、結局400キロくらいの距離を12時間バスに乗っていた。何しろあと4回の国境越えがある。何とも大変な話ではある。

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