1996年4月23日(第24日)
ブハラ


    
カリヨン(鈴)を売っているお店
らくだにつけるカリヨン屋

 今日は、炎天下の観光で、ブハラの旧市街地の6つの観光スポットをみて歩きました。この町は本当に、観光資源の多い町で約1000もの遺物が残されていると言います。ブハラの町には、昔のシルクロードの本道が今も残っていて、そこを歩いているときガイドさんが、道ばたの観光客相手のカリヨン屋さんを指さして言いました。「昔は、らくだにつけたカリヨンの遠くからの響きで音色でこのシルクロードを旅している、それぞれの隊商のどれがやってくるのかを聞き分けました。石畳の上は、よく音が響いたのです。」と説明していました。
 私も今度旅に出るまで、一つの隊商が全行程を通して旅したように思い違いをしていましたが、実は、同じ言葉が通じる圏内を行き来していて、中継ぎ交易で西安とローマは結ばれていたのです。ですから、マルコ・ポーロの父、ニコロ・ポーロや叔父のマッフェオ・ポーロの様に、生涯にベネツィアと大都(チンギスハーンの都)を2往復もした、という商人はきっとまれだったことでしょう。今、私の旅もやっと、明日真ん中の日を迎えます。距離から言えばまだ、半分にいたっていません。馬よりも早い速力で、風のようにかっとんでもまだ半分来ない。シルクロードは長いです。つくづく長い。毎日、毎日らくだを引いて隊商はこの町にもやってきました。今は国境でみた、ながいトラックの列と、あの買い出しグループが隊商の新しい姿かも知れません。国境も、それぞれの国力と比例して道が太かったり、整備されていたり、特徴があります。ウズベキスタンに入る国境では、トルコのトラックをたくさん見かけました。今の経済圏はまた別の形になっているのかも知れませんが、日本に帰ったら調べてみたいことが本当にたくさん出てきました。
 そして、今年はチムール生誕660年祭が行われ、ユネスコから予算も出て、色々なところで、遺跡の修理が大々的に行われています。ウルグ・ベクメドレッセの奥で、その修復のための色つき煉瓦を作っている工場に迷い込みました。あらかじめ焼けている煉瓦を、融けたガラスの入っている炉の中につけて色を付けていました。感心して見ていると、煉瓦のかけらをくれました。ブハラを象徴するブハラブルーの薄いのと濃いのと、そして白と。いい記念です。身振りでよーくお礼を言って、工場を後にしました。  夕方はじめてみる、大雨、大風の砂漠の嵐。ホテルの部屋の窓からずっと外を見ていました。
 今日一番つらかったこと。今朝早く、不思議少女繭ちゃんが、21日からの下痢をこじらせて、結局ブハラの病院に入院したこと。明日は移動なので、彼女が一緒に行けるかどうかが、本当に心配です。明日の朝の七時に退院できるかどうかの結果が分かると言うことなので、それまではひとまず心配だけにしておきましょう。今日はロビーの猫もちらっと見かけただけでした。

ミニコラム 木陰のランチ
木陰の露台の上の男たち
この台の上で
昼寝をしたら
さぞ気持ちがいいだろうと
うらやましかった。
 今日は、快晴の空の下、ウズベキスタンのブハラの観光だ。日中の気温はどんどん上がって35度。午後からの観光だったので、まず一番最初は、お昼ご飯だった。
 元の、ブハラ王の城、アルクの近くの緑の木立の中にレストランがあった。雨の少ない地方らしく、レストランの建物自体は厨房とちょっとした設備だけで、お客は、外の縁台の大きなのの上にカーペットとクッションを敷いた桟敷の様なところで食事をする。建物を取り巻くように桟敷があり、その外側にさらにガーデンテーブルの様なテーブルも出ている。
 その桟敷の一つの上で土地の男の人たちが、盛んに議論をしながら、楽しそうに食事をしていた。ガイドさんが、ウズベキスタン・スタイルの座り方だと説明したのは日本で言うあぐらで、こちらでは男女を問わずあぐらをかいてすわるらしい。
 中央アジアに入ってから、本当に空気が乾燥している。髪も乾燥にやられて、少しごわごわになってしまった。今日に関して言えば、外に出ていた6時間の間に水を約1リットル飲んだが、一度もトイレに行かず、まだ水が足りないのか唇が乾燥した。この乾燥が、それでも日中の過ごし易さを助けているのだ。
 というのは、日向はじりじりと焼くような暑さだが、いったん木陰にはいると風が吹いて、それはそれは心地よいのだ。私が今日座ったのは、さしかけ屋根の外のガーデンテーブルだったが、テーブル全体が木陰になっていて、風が吹いてとても気分が良かった。ウズベキスタンは、夕食より、お昼ご飯をしっかり食べるところなので、今日の献立もスープに焼きたてのパン、ピラフの様なものにサラダにカバブだった。
 ふと、東京のビルの谷間のガーデンテーブルを思い出した。あれは本物じゃない。だって、ガーデンが本当のガーデンじゃないんだもの。外でご飯を食べたような気分になれるって言うあれとは違って、ここでは蠅がぷんぷん飛んでいたり、イスの下の地面がちょっとばかりでこぼこしていても、本物の木のにおいがして、なにより外で食べるご飯をゆっくり楽しめる雰囲気がある。おじさん達はほんとうに楽しそうだった。私も、現地のガイドさんとたまたまとなりあわせで、色々なことを聞かせてもらいながら、ゆっくりご飯を食べた。やっぱり、外ごはんはいいな。日本に帰ったら、本当の外ごはんを食べられるところを探そうかな。

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