1996年4月24日(第25日)
ブハラ〜サマルカンド


    
サマルカンドのレギスタン広場
サマルカンドのレギスタン広場

 今朝、添乗員さんの話で、結局繭ちゃんは一緒にサマルカンドには出発出来ないことがわかりました。けれども今日明日がサマルカンド、明後日がタシケントとウズベキスタン内の移動が続くので、その間にグループに追いつければ、問題はないと言うことなので、とにかく今はゆっくり休んで、下痢と絶食で衰弱した体を回復させてほしいです。
 サマルカンドは、3度の破壊を受けました。1度目はアレキサンダー、2度目がアラブ(イスラム)、3度目がチンギス・ハーン。特にチンギス・ハーンの破壊はすさまじく、カレーズという水路や他の水利施設を修復不能なほど破壊されたため、それまで2000年の間町が存在したアフラシャブの丘に町が復興されることはありませんでした。変わって現れたチムールは、サマルカンドを自らの王国の中心地として、世界一の町を作りたいという野望の元、急速に整備したのです。それが現在の町のもととなりました。そしてチムールの時代にサマルカンドは春を謳歌し、文化は栄え、シルクロードの繁栄とともに栄華を誇ったと言います。明日はいよいよ、中央アジアの真珠、オアシス都市サマルカンドの観光です。隊商宿も完備され、すべての物資が行き来した町、サマルカンド。国に居たときは、名前を聞くだけで胸がときめいた町にとうとうやってきたのです。
 朝から、繭ちゃんのことであんまりがっかりしたのと、私もちょっとくたびれたので、バスでの移動の後、今日は観光もないのでホテルの部屋でゆっくりしたかったのです。しかしホテルのオーバーブッキングで他の人はよかったのですが、私が部屋がなかなかもらえず、結局部屋に入ったのは11時近くなっていました。一時は、私ともう一人が別なホテルに行くという話しまで出ていたので、結局よかったと言えばよかったのですが。

ミニコラム いよいよ旅も半ば
道ばたの門のような遺構
普通の道路の脇に
こういう遺構がある。
やはり歴史があるのだ。
 今日の空は、今までみたことがないくらいに青かった。と、いうわけで天気は快晴。ブハラからサマルカンドへ、シルクロードの中でも本当に中央アジアらしいところを旅した。途中の道沿いには、桑の木がたくさん植わっていた。桑の木がこれほどあるのだから、きっと養蚕が盛んなのだろう。ここで作られた絹糸はいったいどこに運ばれているのだろうか。また、新芽が萌え出たばかりの桑の木とリンゴの白い花。これがシルクロードの春なのだろうか。今日の道沿いには、遥か遠くの地平線にフリンジのように山並みも見えた。  土地は全体に赤茶けて、水利の行き届いているところには木々の緑がみられるけれども、全体に乾燥した荒れ果てた土地という印象はぬぐえなかった。太陽の影響は多いのだろう、外で太陽光線に当たると日差しが腕や顔に突き刺さるようで暑いというより、じりじりと焼かれるようだった。
 途中の道沿いに、何か門の様な遺構があった。今は作物の生えていない畑の真ん中にぽつねんとそれが立っていた。丁度トイレ休憩の時だったからとことこと歩いて行って、写真を撮った。車に戻ってからガイドに聞いたが、それがなんだかはわからなかった。長い間の浸食で足下の方は形が不明瞭だったが、上の方は浮き彫りも結構きれいに残っていた。
 本当に至る所に、綿々と続くシルクロードの残り香のようなものがある。どんな香りかと聞かれると困るが、たとえば夏の窓辺でひなたぼっこした後のふかふかになった猫の少しだけ埃っぽい様な背中のにおいに似ているかもしれない。太陽と砂と過ぎ去った長い時間のにおいだ。懐かしいような、胸がときめくような。
 このところ毎日、シルクロードに来ているという実感がある。そのことが何よりもうれしい。今日でやっと50日の半分の25日だ。私のシルクロードもいよいよ中央アジアの半ばにさしかかっている。

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