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1996年4月25日(第26日) サマルカンド |
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| アフラシアブの壁画 |
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今日は、サマルカンド市内の観光です。天気はいいのですが、朝晩本当に空気が冷たく、風邪を引いてしまったひともあるようでした。
まず、青く美しいドームが印象的なグル・エミル廟へ。ここは、チムール帝国を築いたアミール・チムールが、非業の死を遂げた自分の孫のムハマド・スルタンのために築いたが、完成の翌年、自分自身が中国遠征の途中でなくなったため、一緒に埋葬されることになった墓です。チムールの他、息子や孫息子など男の人だけが埋葬されています。1941年にソ連の科学アカデミーがこの墓を発掘して、歴史に伝えられるとおりチムールが足が不自由であったこと、孫のウルグ・ベクが、首をはねられて死んだことなどが事実であったことが証明されました。この発掘については、伝説があります。チムールの墓を暴くと大変な災いがあると言うことが、一説には発掘隊に土地の老人が語った、別の説には墓の上に書いてあった、というのです。そして、実際に、ソ連の科学アカデミーが墓を暴いたのが、1941年の6月21日、その翌日の6月22日、ナチスドイツが、ソ連に侵攻しました。伝説が本当にあったのか、それとも後から、作られた話なのか。でも何となく背筋が寒くなりますね。
続いてレギスタン広場を見て、シャーヒ・ジンダ廟、ビビ・ハニム・モスクを見学して、昼御飯は、旧市街の民家を利用したレストランへ。中庭に白猫が居たので、だっこしました。ちょっとだけくさい猫ちゃんでした。家族でつくったらしい、サマルカンド風のお昼ご飯をいただきました。メニューは、炒めたタマネギとお肉の入ったパン、スープに、スパゲティ、3種類のサラダと餃子の様なお饅頭の様な中国風の料理で、とてもおいしかったです。
昼食後、一度ホテルに戻ったとき、繭ちゃんが、私たちが明日の夜泊まる、タシケントに今日飛行機で飛び、明日私たちと合流した後、タシケントから帰国すると知らされました。血管が細く点滴が出来にくいことと、食が細いので一度落としてしまった体力が戻りにくいことと、何よりも本人が帰国を望んだということでした。彼女がどんなにかがっかりしただろうと胸ふさぐ思いです。彼女は歴史が好きで、特に中国史が大好きだったので、この旅をそれはそれは楽しんでいました。それが、丁度半分のタシケントから帰国するというのですから、本当につらいでしょう。明日、何と行ってあげたらいいのかと頭が痛いです。それに、私だって、彼女が居なくなったら旅の楽しみが一つ減ります。彼女は本当にかわいい人でしたから。
少し悲しい気分になって、アフラシャブの丘にある考古学博物館に、アフラシャブの丘から発掘された壁画を見に行きました。これは7〜8世紀頃のサマルカンドの領主の家にかかれていたもので、部分部分が残っているだけでしたが、なかなかきれいでした。壁画全体が4mもの高さがあったというので、全部残っていたらさぞ素晴らしかっただろうと残念です。絵柄は領主の家を訪れる使節を書いたもので、花嫁さんがいたり、幸せを象徴する白い鳥がいたりしました。繭ちゃんがいつか、これを見られる日が来るといいなと思いながら、見学を終えました。
夜、ホテルのアートギャラリーという、高級土産物店で、繭ちゃんにあげようと、アミール・チムールの絵の書いてある、小箱を買いました。他に何も出来ないことが本当にくやしいです。
夜半になって、ものすごい雷と稲妻のオーケストラ。ベランダで雨が降り出すまで、稲妻を見ていました。そのうち雨が降り出したので、部屋に入りました。
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