1996年4月26日(第27日)
サマルカンド〜タシュケント


    
ガラスケースの中の仏像
タシケントの博物館の仏像

 昨日の夜半の雨は、それはそれは激しく、結局朝まで降り続きました。朝になって、窓の外は、雨に打たれて散ったリンゴの花びらが地面を飾っていました。小雨のぱらつく中を、ウズベキスタンの首都のタシケントに向かって出発しました。
 途中の田舎町でお昼ご飯を食べ、タシケントに着いたのは午後3時を少し回った頃でした。繭ちゃんに付き添って、ブハラから移動してきた添乗員さんがホテルで出迎えてくれました。早速繭ちゃんの様子を聞きましたが、今は別なホテルで休んでいて、疲れているので私たちには会わずに帰国すると聞かされました。本当に残念ですが、彼女はまだ22才ですから、まだまだチャンスはいくらでもあるでしょう。早く元気になって、がんばってもらいたいと思います。
 西山さんと二人で、現地のスルーガイド(中央アジア=イラン国境から中国国境まで=を通してガイドする現地の旅行会社のガイド)のウツキル氏に頼んで、タクシーを捕まえてもらいました。タクシーと行っても、本当のタクシーではなく、こちらでは、ヒッチハイクサインをだすと、興味のあるふつうの車のドライバーが止まってくれて、方向とお金が折り合えば乗せてもらえるらしいのです。私たちが行きたい博物館は二つあったので、1つ目の博物館につれていってくれてそこで20分だけ待ってもらい、次のところまで乗せてもらうことにしてくれました。
 一つ目のウズベク近代美術館は、きっちり20分で見終えて、次の歴史博物館へ。そこで、すてきな仏像に出会いました。説明がすべてウズベクの言葉で書かれているので、何もわかりませんし、係りの人たちもすべて英語が話せないので、どこから来た、いつの時代の仏なのか知りようもありませんでした。しかし、そのほほえみや、姿の美しさは何よりも雄弁に私に語りかけてくるのでした。この仏に会うために今日の午後を使ったと思えば、何の悔いも残りません。
 博物館からは、メトロの駅のところで二人で缶ジュースを飲んだ後、中央アジアにたった一つの地下鉄でホテルに戻りました。
 夕食は、市内のパキスタン料理屋で、バイキング。そして、ホテルについてからは明日、繭ちゃんと帰国する添乗員さん(イスタンブールからずっと一緒だった人です)のお別れ飲み会が盛大に開催されています。私もこれを書き終えたら顔を出すつもりです。明日は、ホテルがぐっと悪くなるそうなので、今日は髪を洗って寝なくてはなりません。ああ、いそがし。

ミニコラム タシケントの地下鉄に乗る
地下鉄駅のシャンデリア
いつかこの国が
もっとオープンになって
ここで夜会があれば
すてきなのに
 今日は、昨日の夜半からの雨が降り続いて、中央アジアでは珍しい雨模様の天気になった。朝、サマルカンドを発って、ウズベキスタンの首都のタシケントに午後三時頃ついた。
 このタシケントには、中央アジアでたった一つの地下鉄がある。着後の自由行動の時間に、タクシーで博物館に行って、その帰りに地下鉄でホテルまでもどることにした。
 地下鉄の駅は、「メトロ、メトロ」と道ばたの警官にわめき回って、やっと何とか方向だけを聞き出して、教えてもらった方向に歩くとじきにみつかった。8スム(日本円で20円)でトークン(プラスチックのメダル=おもちゃのコインみたいにかわいいブルーだった)を購入して、自動改札機にそれを入れると一人通れる。後は、距離に関わらず、好きなところまで乗れるシステムらしい。
 ホームに降りると、高い天井でしかもきれいなシャンデリアが下がっている。ちょっと見たところは、暗さといい、広さといい、どこかのお城の大広間のようだ。きれいな夜会服とタキシードの紳士淑女をそろえたら、今すぐにでも、舞踏会が始められそうな雰囲気なのだ。
 地下鉄の電車そのものは、日本の郊外電車のようであまり混んではおらず、私たちが乗ると、人が席を譲ってくれた。ここはもうほとんど英語が通じないので、うまく断ることなど出来そうもなかったので、ぺこりと頭を下げてたったひと駅分の区間しか乗らなかったのだが、座らせてもらった。まわりの人が何かと話しかけてくれるが余りよくわからない。やっぱり言葉を勉強しなければ、旅をしてもいまいちつまらないと痛感した。電車はあまり、揺れもせず、ちょっとだけ急ブレーキみたいな止まり方で駅に滑り込んだ。
 今回はバス旅なので、地方の交通機関を利用する最初で最後のケースだったかもしれない。好奇の目にさらされるのには慣れっこになったけれども、それでも今日はちょっとだけ快適なミニトリップだった。

"前日"へ   "翌日"へ

ユーラシア大陸横断旅行日程


冒険者の宿 金の割り符亭


ニャーニーズ・アイランド