1996年4月29日(第30日)
イシククル湖


    
山をバックにバスがとまっている
天山山脈の山並みと私たちのバス

 朝、目が覚めたら、雲一つない快晴でした。夕べの特別治療のおかげか、痛みがだいぶ収まってきたので、がんばって、ホテルの裏山とイシク・クル湖の写真を撮りました。
 朝御飯は食べていいと言うことで、ホテルで特別食を部屋に持ってきてくれましたが、お粥に油が浮いていたり、大きな焼き魚がついていたりで、胃の消化能力に自信がなくて二の足を踏んでいたところ、新江さんがお粥を作ってきてくださいました。おいしい梅干しが二つのっかったそのお粥を、小さなスプーンですくって、よーく噛みながら時間をかけていただきました。ここは高度があるので、ご飯に芯がありましたが、そんなのはたくさん噛めばなんでもないので、本当にうれしかったです。
 ところが、そのあと、約2時間弱の間に入れ替わり立ち替わり、14人のロシア人が私の部屋へ来ました。全員が全員ロシア語しか話せず、私は訳が分かりません。だんだんに相手をするのにくたびれてきて、いけないとは思いながら不機嫌になっていると、一人の看護婦らしい人が、ベットに腰掛け私の左手を取るので、何をするのかと見ていると、いきなり、メスを薬指に突き立てるのです。びっくりして声もでないで居ると、その傷に向かって指をしごいて出血させて、血液を採っているのです。痛いのとびっくりしたので、すっかり固まっていると、4回ほど採血して、アルコール脱脂綿で傷口を消毒しておしまい。今、キーボードをたたきながら、何の不自由もないので、指をしげしげと見てみましたが、薄暗い電気のしたでは、よくわからないぐらい完全にくっついています。よほどよく切れる刃物だったのでしょう。それにしても、本当にこわかった。その後、ウツキル氏が来たので怖かったこと、ロシア語がわからないと言っているのに、ロシア語でまくし立てられて不安になったことなどを話したら、すぐにお医者さん達に話してくれたので、その後は人は来ませんでした。夕方に何か注射を一本打ってもらいました。
 今日は本当なら、楽しみにしていたイシク・クル湖の湖畔の散歩の出来るはずの日でしたが、一日ベットの中で過ごしました。東京から時間があったら読もうと思って持ってきていた本を、3冊とも読んでしまいました。出来なかったのはお洗濯ですが、これは何とかなるでしょう。夜になって、新江さんが今朝の残りのお粥を温めてきてくださったので、それをまた、時間をかけていただきました。本当に本当に感謝の言葉もありません。病院からはスープとゆでた肉団子とお粥が出ましたが、お粥は何か香辛料が入っているようでした。肉団子だけ嫌になるくらい噛んで食べました。痛みも薄くなったし、胃はまだ重たいけれど、元気が戻ってきたように思うので、やっと、今日は3日分もためてしまった日記を付けました。

 昼間、うとうとと終日ベットの中に居たので、なかなか寝付かれず、今星明かりでイシク・クル湖の湖面を見ながら、また、ちょっと書きたくなってパソコンを取り出しました。実際、このプロノートミニを松下電器産業さんからお借りできなかったら、どうなっていただろうとそんなことも考えました。きっとトルコ国内から、リアルタイムでアップロードした部分が出来なかったことでしょう。本当にありがたいです。毎日ある程度の量を入力するので、最低限でも、ブラインドでふつうのスピードで入力出来るキーボードがあって、一番軽いのが、このマシンだったのです。しかも、カメラと併せて、常に自分の手荷物として手元を離さず背負っていられる重さで。正直に言って、とても高価なものなので、お借りできるとは思っていませんでした。幸い、快くネットナビの編集部に貸してくださったので、今、このイシク・クル湖を望むテラスの星明かりのした、私の膝の上で、元気に働いてくれているのですが。
 今現在、東京に帰ってからの生活がどうなるか、具体的に決まっていない部分も多いので、すぐに自分のものとしてこれを購入できるとは思えないですが、それでも何とかして購入する必要があるので、少々頭が痛いです。このマシンなら、バスの中などでも、ちょっとしたスペースで入力作業が出来るし、速度も速いので、デジタル写真の処理も快適だし。今のマシンは、フラッシュメモリーもモデムも私の理想のものが入っているので、本当に東京の自宅のタワー型のマシンを同じように快適にインターネットも見られました。正直に言って、このセットがなかったら、私はきっと、もっと早くに部屋に帰ってからの作業に嫌気がさしていたでしょう。よそ様からお借りしている機械にこれほど惚れ込んでもどうにもならないのですが、きっと東京に帰って、お返しするとき寂しくてたまらないでしょう。いつかチャンスがあったら、使ってみてください。私の旅の友の兄弟を。きっと好きになるはずです。コンパクトで使いやすくて、しかも軽量。信頼に足るパートナーです。
 それにしても、本当に今回の体調の異変には参りました。言葉の通じないまま、ただ、信じるしかなくて、内容のわからない注射を何本も打たれ、何の薬かわからないまま薬を飲みました。たった三日間でしたが、本当に日本が恋しく、家族や友やふくふくのうちの猫達を恋しいと思いました。しかも、私はツアーの予定どうりに旅を続けなければならないのです。自分の隊において行かれたらそれでおしまいなのです。中国にはいるまでにおいて行かれたら、中国のビザが団体ビザである以上、それは即刻ツアーの中止、ツアーからの脱落を意味するようなものです。心細かったし、しみじみ人間は一人だと思い知りました。恥ずかしい話ですが、誰でもいいから、私を抱きしめて「だいじょうぶ、だいじょうぶ、みんなうまくいくよ」と、嘘でもいいから言ってほしいとさえ思いました。熱を見るために、人が額にさわってくれるだけで、いつまでも、その手のぬくもりが心に残りさえしました。最初の夜など、痛みがひどく、夜の闇に負けそうになると三蔵法師のように、般若心経を一心に唱えました。時間が解決してくれることもわかっていましたし、私には、ツアーの仲間がおり、頼りになる添乗員さんもいることもよくわかっていたのですが、それでも、あまりの心細さに涙をこぼしました。繭ちゃんが倒れ、ついで私がやられ、若い方から順番にやられていくとも言われました。そうかも知れない。でも、私は帰らない。今、帰るわけには行かないのです。
 今日、ずっと考えていました。今から何百年も前、玄奘も法顕ももっと苦労をして、遥か天竺に渡ったのです。御仏の教えを求めて。その何万分の一かも知れないけれど、今、私は旅の空で病気をするという心細さを体験しているのです。これは、旅の色々な顔を見せてやろうという天の配剤かもしれないのです。楽しいことばかりではない、自分の無力さ、人間のはかなさを知ることも旅の一つの顔だよと。だから、体全部、心全部で、この心細さ、体調管理の失敗に対する後悔を受け止めようと思いました。昔、恩師が私に言いました。「失敗をしでかさないことより、大切なことはやってしまった失敗を100%生かせる人間になることだ」と。今、私は、失敗をしましたよ、先生。でもね、これをきっといい経験になったと振り返れる自分になりますからね。見ていてください。
 そして、もう一つ今日思ったこと。変な話だけれど、もしも、パソコンゲームの主人公達が、感情を持っていたら、きっと本当につらいだろうなということ。毎日毎日魔物や敵と戦って、高い山や、深い谷、危険な森を越えて、ひたすらエンディングに向かって進むしかない彼ら。肉親や友を失っても、その悲しみを乗り越えて、目的に向かっていく。ただ、旅をしているだけでも、前進を続けると言うことにはこんなにつらいこともあるのに。そうそう、帰ったら、メガCD版の『3x3 EYES』もう一度ゆっくりやりたいな。ちょっと脱線しましたね、あはは。
 それにしても、今日で30日が過ぎました。色々なことがあり、たくさん勉強になりました。人の好意も悪意もこれでもかと言うくらい見せられたように思います。私は、自分にからっきし自信がなく、人に頭から否定されるとひどく傷つきやすいのです。社会生活でも、それで嫌と言うほど痛い思いをしてきたのですが、こういう長い旅行でしかも、毎日同じ小さなバスの中に閉じこめられて旅をしていると、結構きついものがあります。今は、まだ旅の途中なので、目下のところ、図々しい奴や、声の大きい奴の方がずっと得をしています。自分には出来ない、人を押しのけてまず自分の必要なものを確保して、自分を守ることに専念するという生き方を少しだけうらやましく思ったりもしています。それに容赦なく指摘される欠点。これにも参る。指摘されたって、すぐには直らないものもありますから。それに、長所と表裏一体で、直す必要があるかどうかわからないものも有ますしね。一歩間違えば、大悪口大会になっちゃうし。距離が長く、時間が長く、それだけでも大変なのに、一番大変なのが中の人間関係でした。昔の隊商でも、きっとそうだったのでしょう。悔しさや、寂しさをかみしめながら、らくだを引いたらくだ引きもいたことでしょう。楽しいだけの旅行になるなどという甘い幻想は持っていませんでしたが、これほどひどいことになるとは、思っていませんでした。本当にいい勉強です。
 幸い私には、この日記を付けるという仕事がありましたから、自分を見失わずに済みます。玄奘三蔵や、法顕も求法の旅だったから、あれほどの困難と辛苦に耐えられたのでしょう。目的を持つと言うことは、救いであり、希望であるとしみじみ感じています。私もこれからの人生に何か目的を見つけて希望を持って生きていかなければと、心の奥底で感じています。帰ったら、すぐに次の旅が待っています。まず、それをきちんとやり遂げなくては。
 こんなことを書くつもりではなかったのですが、なんだか、人恋しくてたまらず、手紙でも書くように手が動いてしまいました。ちょっとだけ恥ずかしいけれど、50日で一日ぐらい、こんな日があってもいいよね。

ミニコラム 「全部、きれいにしなければならない」とは?
ホテルからの眺め
朝になって見た
景色がなんだか
妙にきれいだった
 昨夜、10時頃、通訳のウツキル氏が年輩の女性の医師を連れて部屋に来た。お医者さんが、色々聞いてくるのを全部通訳してくれるので、正直に話したら、彼女は大きく頷くと、「全部、きれいにクリーニングしなければならない」といっているという。何をきれいにクリーニングするのだろう、とぼんやり思っていたら、彼女とウツキル氏に手を取られて階下の診察室に。なんだかだだっ広い部屋だなあ、なんて思っていたらそいつが不幸の始まりだった。
 2リットルくらい入るお鍋にピンク色の液体を入れてコップと一緒に持った看護婦さんが来て、そのカップでじゃんじゃん液体をすくって私に飲めと言う。飲んでも飲んでもどんどん鍋から汲んでくれるんだから、たまらない。そのうちもうこれ以上飲めないというところで、隣の部屋のトイレにつれて行かれて、ぐっとおなかを後ろから押されたのできれいさっぱり戻してしまった。それをさらにもう一回サービスされて、へろへろになったのに、まだ何かあるらしい。
 嫌な予感がしたんだよ、ほんとに。そしたら、そういう予感て当たるじゃない。同じピンクの液体で。。。。。。これ以上は本人がまだ、精神的ショックから立ち直っていないので、よう書けまへん。
 おかげさんで、少し症状はよくなったようにも思うけれど、何が悲しくてこんなロシアの果てまで来て、こんなロシア式吐き下しの治療を受けなけりゃならんのか、これが、旅行というものか。ああああ。  明日はよくなりますように。

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