1996年5月5日(第36日)
ウルムチ


    
ウルムチのホテルから見た天山山脈
ウルムチのホテルから見た天山山脈
山の間に町があるという印象だ

 ウルムチという町の名前は、ジュンガル語で「美しい牧場」という意味だそうです。ジンギスカンがここに来たときにはすでに、そういう名前が付いていたと言います。今日は、予定されていた南山牧場へのオプショナルツアーが、まだ、牧場には草も生えそろっておらず、夏の季節でさえ何もない牧場でパオを見て馬に乗るくらいのことなのに、今はもっと何もないので中止になってしまいました。そこで、ゆっくりと9時からの朝食になっていたのですが、毎日早く起きていたので、今日も朝寝坊に失敗して、8時前に目が覚めてしまいました。36日前に最高6時間の時差から出発して、今は東京と1時間の時差の北京時間で暮らしています。もっとも、時差的には本当はさらに2時間プラスして3時間の時差というのが正しいらしいのですが、広い中国を国土の比較的東にある首都北京の時間に合わせているのでしかたないようです。
 ホテルの窓から外を見ると、建築中のビルや、ホテルらしい建物のすぐ向こうに雪をいただいた天山の山並みが見えます。このウルムチは天山北路になり、今見えているのは南の方角の天山山脈で、私の背後の北の方にはアルタイ山脈があるのですが、明日のトルファンでは、天山南路にはいるため、北に天山山脈、南にタリム盆地のタクラマカン砂漠がある、という風になるようです。町のすぐ外側に低い山があり、その奥に、雪をいただいた天山の山が見える。この何日か、ずーっと併走してきた天山山脈ですが、このあたりにくると、少し高さが低くなってきているように思われます。ここから、どんな風に天山を越えて南側に出るのか、明日が楽しみです。
 今日は、バザール見物の後、ホテルの近くで昼食を取り、そのままホテルのまわりを少しぶらぶらしました。お昼を食べ過ぎたかと思うほどおなかいっぱいだったのに、においにつられて、白玉粉であんこを包んであげた上げ饅頭を買って買い食いしてしまいました。一度でいいから、買い食いをしてみたかったのですが、揚げたての饅頭なら、食中毒の心配がないかなとおもったのと、何か甘いものが食べたかったというのもありました。これで、今日もお夕食は食べられそうもありません。
 元々私は、東京でも油濃い料理はほとんど食べないので、毎日油料理の中国暮らしは、胃にいいわけがありません。とにかく一日一食は胃を休めないと、と思っています。もっとも、朝食がおかずを食べなければ、米のお粥だけなので、実質はお昼だけということですが。結局は夕食に重たい油料理を食べる自信がないのです。この前の胃痙攣プラス食中毒のつらさも忘れていませんし。とにかく、健康管理は自分の責任ですから、この際、ごちそうはあきらめねばなりません。何、ご馳走はいつでも食べられますから。はい。
今日は、外から帰ってきてから、ホテルの中の売店で、おみやげ物を買いました。残りあと2週間ともなると、ぼちぼちおみやげのことも気になります。あれこれ気をつけて買ったつもりでも、気がつくと数が足りないのがおみやげの怖いところ。ましてや、今回のように、あちこちにご助力をお願いして旅に出てしまうと、どのくらい買って帰ればいいのか、考えただけで頭が痛いです。色々考えても間に合いそうもないので、とりあえず、買うだけ買って、後はまた、先のことにしましょうなんて、今日あたりはまだ、危機感もうすいのでした。

ミニコラム ウルムチのバザール
バザールの自転車部品屋
どこかから
かっぱいで来た
としか思えない中古の
部品がいっぱい
 今日は、いい天気の日曜日だ。こちらでいわゆる、バザール日和である。というわけで、今日の観光のメインはここ、ウルムチのバザールである。
 たいそうな人出になっているバザールを2時間ほどうろついてみた。バザール自体にも、それなりに規則性があるらしく、ふらふらと歩いていると、洋服、鞄などのお店の集まったところ、その次が生地屋ばかり集まったところと、それなりに種類ごとに固まって店屋が開店している。私は密かにおそれているものがあり、なるべくその前を通っても、そちらを見ない様にしているものがあるのだ。それは、ズバリ、肉屋である。というのは、嘘か真かわからないが、食用猫をかごの中に入れて生きたまま、あるいは、しめたものを売っているという話を、添乗員さんから聞かされたのだ。私の猫好きを知っていて、からかわれたのか、本当に食用に猫を売っているのか、それは定かではない。何しろ、赤犬はおいしいというお国柄だから、食用猫とか、生猫(なまねこと読む)とかが売られていても何にも不思議はないとは思う。しかし、もし食用猫が生きたまま売られていたら、その場で全部買ってどこかで逃がそうとしてしまうかも知れないし、生猫になっていたら見ただけで泣いてしまうかも知れない。とにかく、見ないに限るのだ。もしも、生きたまま売られていて、「にゃあ」と鳴いたら万事窮すだけれど。知らなければ傷つかずにすむのである。というわけで、用心深く猫やならぬ、肉屋は見ないようにしながら、バザール見物は続くわけだ。
 途中、自転車の部品だけを並べて売っている店を見かけた。なるほど、このあたりでも、自転車の部品だけで店屋が成り立つということは、やはり中国はどこに行っても自転車が主力の交通機関なのだろうか。もっとも、このウルムチは町に山が迫っているので、北京や上海ほどではないかも知れないが。
 百貨店の様なところでは、きれいなお皿にねじと釘をきれいに盛りつけて売っているのを見た。ねじ一本いくら、釘一本いくらで商売をしているらしい。ねじを一本一本数える人件費が安いと言うことなのだ。これも、すごい話だ。バザールの中には、現地の人の生活がぎゅーっと詰まっている。
 あれこれ見て歩いて思ったこと。穴が開いているズボンだろうが、片方しかないサンダルだろうが、何でも並んでいるところを見ると、それなりに何でも売れてしまう世界らしい。私たちが日頃思っている商品と、ここの商品は全く別な次元のものらしい。何とかして使えるものはすべて商品というところだろうか、その方がゴミも少なくていいだろう。世界中どこに行っても、それなりに暮らしている中国人はたくましい人たちであると、常々聞かされてきたけれど、本当にこのバザールを見ると、ため息が出るほど生活力に富んでいる。
 そういえば、中国に入ってから、町で猫も犬も見かけないような気がする。もしかして本当にたべちゃうのだろうか。

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