1996年5月6日(第37日) ウルムチ〜トルファン |
一番奥の寺院跡の高いところにある仏がんのなかに 仏は、いまもおわしました |
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快晴の空の下、午前中は、ウルムチの新彊ウイグル自治区博物館に見学に行きました。メインはなんといっても、有名な楼蘭から出土した女性のミイラでしょう。写真の通り、白鷺の羽を飾って、彼女はガラスケースの中に横たわっていました。若い女性だそうですが、その死自体ももちろん突然のものだったかも知れず、彼女の予測を越えていたかも知れませんが、死後自分がミイラになって、しかも何千年もののち、博物館に飾られることになるなどとは、考えたこともなかったでしょう。いつの時代も、人の運命はわからないものです。ただ、遺体を美しい生地に包み、髪に白鷺の羽を飾った人の、亡くなった人への哀惜の念だけが、今も色あせずに髪に残る鳥の羽に変わっているようで、何となく、見とれてしまいました。しかし、他にも10体ほどのミイラがあり、大英博物館のミイラ室や、カイロの博物館のミイラ室でも、同じように感じたのですが、やはり、私はミイラあたりするようで、あまり気色がよくなかったので、早々に展示室を出ました。
他に目に付いたのは、鳩摩羅什の翻訳した経典の本物が展示してあったこと。仏教の本を見ていると何かとなじみの深い、鳩摩羅什の本当の仕事が目の当たりに出来たということは、本当に大きな収穫でした。余りにも、しっかりと経典が残っていて、紙というのは、気をつけて保存すれば長く持つものなのだと改めて感心しました。
後は、延々とバスを走らせて、途中、ウルムチ地区に一つだけ残っているというのろし台の後を見たり、ボゴダ峰の写真を撮ったりして立坂城でお昼ご飯。その後立坂城の300年前の城跡の横を走ったりしながら、とうとうトルファンへ。タリム盆地側に入るなり、やはり気温は暑くなりました。長袖から、いきなり半袖に太陽ががんがん照りつける天気です。まだ、完全に復調していない体が心配になります。
ホテルの近くで、現地のガイドさんを乗せて、車は交河故城へ。ここは、3000年ほど前から人は住んでいたそうですが、2300年前の紀元前3世紀頃から栄えはじめ、漢の時代には車師前部の都城がおかれていました。ここの特徴は、建物はすべて二階建てで、一階は激しい暑さを逃れるためか地下になっていて、二階を日干し煉瓦で作ってあることです。城全体が、30mほどの高さの台地に作られており、まわりを河が流れて天然の要塞のようになっています。今は、崩れた日干し煉瓦の町に風が吹き抜けています。
遺跡の一番奥の大仏寺という寺の跡で、首のない仏が、壁面のくぼみに残っていました。ここにはたくさんの寺院もあったらしいですが、私の見つけた仏は、そのお姿が、はっきりとわかって素晴らしかったです。何よりも、仏はいつも変わらない、そんなことを改めて感じさせられました。
体調は、また少し悪くなったようで、今日は、昼のご飯も控えめに食べたのですが、夕方少しおなかが下りました。ホテルで、シルクロードの踊りを見るという夜のオプショナルツアーがありましたが、今日はちょっと、夕御飯すら食べなかったくらいでしたので、さぼってしまいました。シルクロードといえば、歌と踊りは本当に欠かせないものなのに、残念です。いつか、また、見られますように。自分の健康管理は自分の責任なので、とにかくしっかりしなくては。明日から、2、3日様子を見ることにしましょう。
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