1996年5月11日(第42日) 酒泉〜張掖〜武威 |
312号線と併走する万里の長城 |
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今日は、酒泉、張掖、武威とシルクロードの河西回廊の最後の部分を走ります。道は精河からずっと仲良くしてきた312号線。今日の予定の走行距離は450キロくらいになる予定でした。午前中、のろし台の後などを見ながら、張掖へ。そこで34.5mの大涅槃仏にお参りした後、昼食。
そして午後は100キロあまりを万里の長城と併走しました。長城は、ところによって、かなり高さが異なり、それを組み立てている煉瓦の大きさも違うように感じられます。ある程度の距離ごとにもうけられていた、嘉峪関の様な、駐屯地の建物も残っているところがありました。しかし、この果てしなく続く壁が、どの程度、匈奴の侵入を防ぐのに効果があったのかは、正直言って疑問です。防ぐと言うより、もしかすると越えるのに手間取っている間に、迎撃に向かったり、のろしでもって、援軍を呼んだりする時間稼ぎの方が効果があったのではないでしょうか。そのあたり、帰ったら、調べてみたいと思います。
中国に入って本当に参るのが、道路工事です。ツアーの参加者の中で、まるで日本の昭和30年代のようだとおっしゃる方もありましたが、一番最初のセリム湖への道から始まって、とにかく道路工事の多いこと。その道路工事も、工事中のところは、完全な未舗装のがたがた道になってしまって、ものすごい砂埃と車の揺れで、日本のようにまずきちんとした迂回路を造って、というようなものではないのです。とにかく、工事している以外の通れるところすべてが迂回路で、迂回路の中に前に通った車が作ったいくつかのルートのうち、一番良さそうなのを選んで走るのも、ドライバーの腕のうち、というような感じなのです。しかも大きな重機、たとえば、パワーシャベルとか、ブルドーザーとかロードローラーとかはほとんどなくて、耕運機に荷車がついたようなものとか、スコップとか、ほとんどが人力作業中心なのです。確かに人口の多い国らしく、人はたくさん仕事に従事していましたが、距離も長いし、道幅も広いので、それはそれは大変なことのようです。しかし、道路がよくなれば車の耐用年数も向上しますし、今は車の私有は認められない国とは言っても、やはり経済効果は上がることでしょう。やはり、もう少し、道路の工事に国力を注いだ方がいいのではないかと思いながら、時速20キロでがたがた道を走りながら思いました。
武威にはもし早くついたら、明日の山越えに備えて、前倒しに明日に当てられた観光を済ませてしまおうとガイドさんは考えていたようですが、道路工事のがたがた道に時間をとられて、到着が遅くなり、それは出来なくて終わりました。
今夜の宿の武威では、雷台という清の時代のお寺の地下の漢の墓から出土した『飛燕をしのぐ馬』という青銅の像が有名です。現在本物は、武威のある甘粛省の博物館(明日泊まる蘭州にある)に陳列されているそうですが、この像が、この町のシンボルになっています。今日の泊まりの宿もこの像にちなんで「天馬賓館」というところです。明日、午前中に観光します。ちょっと楽しみです。
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