1996年5月12日(第43日)
武威〜蘭州


    
文廟の入り口
文廟の入り口

 今日は、武威でまず、『馬踏飛燕』の像の出土した雷台を見学しました。その後、大雲寺の鐘鼓楼に上がって、町の展望を楽しみました。土塀で囲まれた100坪くらいの面積に家が中庭を囲むように立っていて、その一つ一つに一家族、といっても中国のことなので大家族ですが、それが住んでいるそうです。
 最後が、文廟という明の時代に立てられた寺へ。ここには、シルクロードの砂に埋もれて消え去ってしまった、西夏の西夏文字で書かれた石碑が残っています。こうやって、文字だけが残って、その意味も読み方もわからない言葉が存在すると言うことがそもそも中国らしい、シルクロードらしいといえるかも知れません。 この西夏という国家は、1227年チンギス・ハーンの率いるモンゴル軍に滅ぼされました。そのときに激しく抵抗したため、国も民族も根絶やしにするかのような滅ぼされ方をしたので、この文字も失われたのです。見たところ感じをベースにしているようですが、なかなか複雑な構造のようで、この文字が再びその意味を天下に表すのには、まだまだ歳月が必要そうであります。


 その後、武威を離れて一路312号線を、蘭州に。私たちの乗っているバスの運転手さんも助手さんも、そして、スルーガイドのトウさんもみんな蘭州の人なので、今日は自宅に帰れるというので大喜び。特にガイドのトウさんは新婚の奥さんのところへ3月26日以来初めて帰るというので、みんなにさんざん冷やかされていました。

ミニコラム 武威の町のシンボル、天馬の像「馬踏飛燕」
 1969年10月、一人の農夫がいつも出入りしている雷台という清野路台からある、道教の寺院で漢の時代の墓を発見した。これが、『馬踏飛燕』の発見の端緒だった。その墓には、すでに墓泥棒が入った後があったが、その墓泥棒も、副葬品のうちいわゆる金目のものはちゃんと盗み出していたが、文化的に価値の高かった『馬踏飛燕』の像には気がつかなかったらしく、像は、墓の中に残されていた。
 現在この『馬踏飛燕』の像は、蘭州にある甘粛省博物館に収められている。この写真は、武威の天馬賓館というホテルのロビーにディスプレイしてあったレプリカである。この武威の町は、この『馬踏飛燕』が出土したことで、これを町のシンボルとして位置づけており、町の公園にも大きなレプリカが飾られているし、土産物として、手頃な大きさのレプリカもたくさん売られている。
 馬の力強い肢体と足下にあしらわれて居る空を飛んでいる燕という構図は、天馬と言えば羽があるものという今までの既成概念を打ち破って、天馬たるもの、空を飛ぶのに羽などいらぬ、力強い足で地面を蹴ればいいと高らかに主張している様だ。
 私は空高く飛ぶ、燕すらも足下に従えてしまうというこの天馬の像にとても魅せられた。

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