1996年5月14日(第45日)
蘭州〜平涼


    
六盤山の雪
六盤山の雪げしき。車の中から撮影したのでぶれている
ちょっと、申し訳ない。

 今日は雨の中、ホテルを7時半に出て、朝食をホテルの外のレストランで取ることになっていました。メニューは、蘭州名物の『牛肉麺』。これは、本当に名物らしく、蘭州に着いてから町の中のレストランの看板には、必ず書いてありました。私たちの行ったレストランは同じ牛肉麺のスープで食べる麺の種類が3種類、太さが5種類あるという力の入りようです。麺の種類というのは、大根の粉入りの白い麺、香菜入りの緑の麺、ラー油入っている黄色い麺と、色々あるのです。それをちょっと塩辛いような、大根と牛肉の入った透明なスープに入れて、ラー油や醤油酢などで好みの味を付けて食べるわけです。朝から牛肉麺かあ、なんて思っていたのにいざとなったら、しっかり、おのおのに出された二杯の麺の麺と大根と牛肉をしっかり食べてしまいました。やはりおいしかったです。
 その後、甘粛省博物館に行きました。ここには何と行っても、銅奔馬、例の『馬踏飛燕』の本物が展示されています。なるほど、本物は大変な迫力で、小さなブロンズの像なのにとても大きな世界を持っているという様な感じがしました。後は、古い彩陶にいくつかいいものがある、ということでしたが、私は勉強不足でよくわかりませんでした。館内の売店で、きれいな中国の切り絵を売っていましたので、それをおみやげに買い込みました。小さくてかさばらず軽い、これがやはりおみやげ選びのこつですものね。
 そのあと、途中の会寧でお昼ご飯を食べました。ツアー客に添乗員、ガイドにドライバー2名の計22人が、一度に入れる店が見つからず、結局、麺を食べる組と、中国に入って国境を越えたところで食べた大盤鳥をもう一度食べる組に分かれて二軒の店に入りました。そしてさらに、並びの店から餃子を取って食べたので、人によっては、自分の麺の出来るのを待ちながら、餃子を食べて、できあがった麺を食べ、そして、大盤鳥組の残りをつついて、という人もありました。
 その後、今日の目的地の平涼への最後の難関、六盤山にかかりました。山自体は3500mほどで、峠の高さも2800mほどありましたが、峠は折からの雨が雪に変わって、山のこちら側ではつもってさえいました。しかし、峠を越えたとたん、雪はやんでやはり山の表と裏では天気が違うと言うことがあるのだなと実感させられました。六盤山からの下り道でいくつかのアクシデントが重なって、6時半頃に平涼のホテルに到着の予定が、12時40分頃になってしまいました。このあたりは、黄土高原と言って黄色い粘土質の土壌なのですが、その、水はけの悪さも問題を大きくしていたように思います。現在はこの六盤山の山越えをなくすため、トンネルを掘っているそうですが、何の手違いか16mずれてしまっていると言うことで、開通にはまだ時間がかかりそうです。バスの中に閉じこめられてから時間がたって、日が暮れたときは本当に心細かったです。

ミニコラム 六盤山越えでの交通事故で17時間のバス旅
山道で転倒しているトラック
このトラックが
ここで寝ていたために
道が通行止めになった
 今日は、今回の旅で初めての本格的な雨だった。夕方から、平涼の町に入る手前の山越えで、3500mの六盤山を越えにかかった。途中から、ひどい霧が出て、地面も粘土質の土に雨が降ってぬかるみ状態になった。2800mの峠の頂上にさしかかった頃、雨は雪に変わった。車の進行に支障はなかったけれど、5月半ばの雪にはびっくりさせられた。
 峠からの下り坂で、トラックが横転していた。荷物の積みすぎか、スリップしたのかはっきりはわからないが、途方に暮れたようにフロントグラスの割れた車の運転席で、運転手が座り込んでいた。そのときはまだ、行く手にどんなアクシデントが待ち受けているか全く知らない私は、その横転したトラックの写真を撮ったのだった。
6時半ごろ、六盤山をほとんど下り終えて、川沿いの道を走っていたとき、前方に車の列が見えてきた。列の最後尾についてしばらく待ったが、動く気配がないので、ガイドさんが前を見に行った。すると、二つの事故が起こっていた。一つ目は100mほど前方で道の段差に、トラックが引っかかって、前輪を破損していた。そして1キロほど前方では、2台のトラックが衝突しているというのだ。故障したトラックはよけて通ることが可能なので問題はないが、衝突している2台は、罰金をどちらが支払うかで延々ともめ続けているというのだ。ガイドは、余り大した額ではないので、自分が支払うから早くどいてくれといってきたといっていた。
 それから2時間ほど待つと、やっと車が動いた。やれやれと思ったのもつかの間、じきにまた車が止まった。しばらく待ったが、動かないのでまたガイドさんが見に行った。彼らを待っている間に、キャビンの電気が消え、車内は真っ暗になった。彼らが戻ってきて言うには、今度は、道路工事の現場で地下水が出てしまい、道路が通行出来なくなっているという。今のところ工事現場に人は居ないので、もしかすると朝までこのまま動けないかも知れないというので、ガイドさんと運転助手さんが、町まで歩いて連絡をしに行くことになった。外はもう、真っ暗だ。皆それぞれに、衣類や懐中電灯を提供し、彼らは出発していった。そこから町まで、18キロあるという。
 車内には、ある種あきらめにも似たムードが漂い、皆それぞれに、バスの備品の毛布と枕で、長期戦に備える体勢を作り始めた。バスの後ろの方から、いびきも聞こえてきた。ガイドさん達は、どこかで電話を借りて連絡をつけ、1時間ほどで戻ってきた。10時過ぎに車が1キロほど動き、何とか今晩中に抜けられるかも知れないと明るいムードが漂った。10時半ごろ、ホテルから食料を持って救援隊がやってきてくれた。問題の道路工事の箇所の向こうに車を止め、後は徒歩で真っ暗な雨の中をやってきてくれたという。メニューはまんとうにザーサイ、ハムに牛肉のローストだった。この食料の補給は車内のムードを一気に明るくした。救援隊の話では、一車線の交互通行で何とか車の列は流れはじめているという。
 結局、断続的に車は走って、12時13分に問題の箇所を抜け、12時40分にホテルに着いた。朝、ホテルを出発してから17時間経過していた。

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