1996年5月17日(第48日)
西安


    
青龍寺の恵果阿闍梨と弘法大師の尊像
ここがお大師さんと恵果阿闍梨が出会った
青龍寺だ

 今日は西安のスモッグの中、まず、始皇帝の兵馬俑を訪れました。ここには、大きな体育館のような、覆いの建物が3つ建っていて、1号坑がよく私たちが写真などで見るあの建物です。中には、兵士に馬、そして木で出来ていたので、なくなってしまいましたが、馬に引かせる戦車などが、たくさん作られていたのです。これは、始皇帝が、第一に自分の墓を守らせるため、第二に国を東の平定下ばかりの諸民族から守るため、第三に殉死で優秀な兵士達を失うことのないようにと作らせたものだそうです。3号坑は1号坑と2号坑の兵士や戦車に指令を出すための作戦司令部の様な位置づけで作られたものだそうです。そのほか、始皇帝の魂を乗せて天国へ運ぶための銅製の馬車も15元支払って、別に見てきました。これは、本当に精巧なもので、これを一つ追加して見学しただけで、魂まで送ることをきちんと考えていたのだと、この始皇帝の壮大な計画に対する美佳かが変わりました。
 そのあと始皇帝陵をバスの窓から見ながら、華清池へ。ここは玄宗皇帝と楊貴妃もはいったという、温泉の史跡です。
 そして、昼食後、イスラム教の寺院、清真寺へよりました。もう、モスクはたくさんだと思いながら、一応観光しましたが、やはり中国的な建物のモスクというのはとても珍しかったです。  そしてホテルに帰ってから、タクシーを呼んで、ガイドの劉さんという女性と、青龍寺へ。ここは、804年から弘法大師空海が、当時の中国の密教の第一人者恵果阿闍梨から、密教を伝えられた場所です。空海が恵果阿闍梨から跡継ぎに選ばれ、すべてを授けられて日本に帰国してしまったため、結果的には、中国の密教は絶えてしまったと言っても過言ではありません。私は、真言宗を大変身近に思っておりますので、せっかく西安に来たのでここにはどうしても来たかったのです。実は長いことこの青龍寺の所在地はわからなくなっていたのですが、近年場所が確認され、弘法大師空海の記念堂が建てられています。青龍寺のあとといっても、寺院があるわけではないのがなんだかとても残念でした。

ミニコラム 玄宗皇帝と楊貴妃の別荘、華清池
華清池の望楼
こんなところに
あがって髪を乾かすやつ
いるんかい
 今日は、玄宗皇帝と楊貴妃の別荘があり、二人がたびたび訪れたという、、華清池という温泉の湧く遺跡に行った。ここは、白楽天の長恨歌「春寒くして浴を賜う華清池、温泉水滑らかにして凝脂を洗う」という歌に歌われた旧跡である。ここには、二人が入ったという温泉の湯船も残されていて、なかなか興味深かった。なぜ、楊貴妃が風呂と結びつくかというと、本当かどうかは今や確かめようもないが、彼女にはわきががあって、それをたいそう気にしていた、という説があるとガイドさんの説明にあった。やはり、すべてに完璧な女性は居ないのね、なんて、少々安心したりして。
 写真は、その楊貴妃が、入浴後に、吹きすぎる風でその髪を乾かしたという望楼である。絶世の美女が、風呂上がりのけだるい雰囲気で、天然の風の中、髪を櫛けずって乾かしていたなんて、本当に絵になる。私も、この48日、結構ぼろぼろにしてしまったが、長い髪をしている。ただし、絶世の美女からはほど遠く、とてもまねしてみる度胸はないなあ、なんて思っていたら、ツアーの人から後ろ姿ならいけるかもしれない、の声あり。でもね、柳の腰ではなく、屋久杉の腰で、なんて返事をしたら、頭だけだよ、と切り替えされた。ああ、ぶすはつらい。

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