帰ってきてからの色々なこと
思い出にかえて


 旅行中に大変お世話になり、途中から、体調が悪そうで心配をしていた参加者のMさんのご主人からお葉書をいただいたのは、1998年の新春のことでした。お年賀状の返事のそのはがきには、Mさんがガンで亡くなられたと記してありました。旅行中から、たくさんの薬を服用し、どこか超然と大自然と対峙しておられた彼女が、不治の病に冒されているようだという話は、旅行中からありました。薬石効なくして、帰らぬ人になられた、そのことを伺って、私はとても悲しい気持ちになりました。
 というのは、旅行終盤に、疲れとたぶん病気のせいで土気色の顔色になってしまっていた彼女に、「みているだけで食欲がなくなる」「同じ食卓だということだけで不愉快」等々、暴言をはき続けた人たちがいたのです。感情的な対立はあったと思います。彼女たちも病気のことは知らなかったかもしれない。知っていたという人もありましたが、事実は分かりません。そういう言葉を浴びせられると、細っていた食欲がさらになくなるのか、Mさんは、周りの人に先に席を立つ非礼をわびると、席を立って行きました。それは、ひどいときは、1日に3回、つまり食事の度にまるで判で押したように起こりました。悪いことに中国では、大きなテーブルで食事をするのですが、男女に分かれて食事をしていた私たちの中で、Mさんは、彼女たちの攻撃から逃れるすべはなかったようでした。それは、ある意味で、私も同じでしたから。
 でも私の目には、そのMさんの顔色より、聞こえよがしに口汚くののしりの言葉を繰り返し繰り返し浴びせかけたその女性二人の方が、よほど醜く、汚らしく映りました。そしてとても後悔しているのは、その人たちに、「いい加減、やめたらどうか」と強く意見することができなかったこと。一人は、大金持ちの芸能人の奥さん、もう一人は早期退職した小学校の先生でしたが、どちらも声も態度も大きく、私からみると恐ろしい人たちでした。男性参加者たちも、陰では悪く言っていましたが、かといってその状況をどうにかしようという男気のある人はいませんでしたし、添乗員もみて見ぬ振りでした。
 でも、どれほど恐ろしい人でも、あそこまで、Mさんの旅そのものを汚すような発言をとがめないという形で、私自身もMさんの旅を汚していたということを考えると、ものすごく申し訳ない気持ちになります。
 この経験で私が肝に銘じたこと。自分がされているなら、我慢という手もある。でも誰かがされているなら、いじめには断固として立ち向かうべきだと。今はあのときより、少し強くなって、そういうこともなくなったが、私は一生、この情けない自分の思い出を忘れることはないからと思います。  


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