2.正面の丘に登る


    
潜水艦隊のエンブレム
フラッキーホールの前に掲げられていた潜水艦隊のエンブレム
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 正面ゲートを抜けて、まず、前にそびえる丘に登った。美しい米海軍横須賀基地司令部の建物の右を通り過ぎ、最初に案内されたのは、平屋で横長の外見の建物、フラッキーホール。第二次世界大戦で功績があり勲章も与えられたフラッキー提督の名前がつけられている。ここは、第七艦隊所属の潜水艦隊司令部になっている。
 アメリカ人は、様々なものにアメリカにとって功績のあった人の名前を付ける慣習を持つ。ビルの名前はもちろん、町、通りの名、空港の名前もそうである。そして、例外なく海軍の艦船にも蒼々たる名前が並んでいる。航空母艦だけでも、高名な海軍提督の名前である「ニミッツ」を筆頭に、「アイゼンハワー」「カール ビンソン」「セオドア ルーズベルト」「エイブラハム リンカーン」「ジョージ ワシントン」「ハリー S トルーマン」「ジョン F ケネディ」など、大統領名のオンパレードである。はっきり言ってものすごい。しかし、その尊敬できる人たちの名前をいただいたものたちを、ある時は大切なものとして守り、ある時は国外に誇り、ある時は親しみを込めて呼ぶ。そういう文化もいいもんだという感じがした。
 フラッキーホールの右手に岩山のようなものが見えた。その中に、第二次世界大戦中の1938年から1945年の8年間に掘られた防空壕がある。中に入ってみると、朽ち果てた配線などが丸見えの鑿のあとも生々しいの洞窟である。第二次大戦後は、マッシュルーム栽培に使われたこともあったという。なるほど、気温も高く、湿気もおおいようだ。枝のように分かれた洞窟の先がすでに落盤してしまっているところもあった。総延長は27キロ(ほぼ横浜から横須賀への距離に匹敵)に及び、中には、500床の病院、小型の潜水艦工場などがあって、800人以上の人が住んでいたという。これらは、コマンド・ケイブと呼ばれている。1992年に調査が行われ、安全上の理由から、3つの大きな防空壕を残して、全ての入り口がふさがれたという。現在は事務室として使われていると言うが、こちらの中は見学できなかった。とろねこが「おそらく、作戦司令室があるんじゃないか」と言っていたが、なるほど、NORAD(北米防空司令部)もアメリカ本土の岩山をくりぬいて作られていたっけね。
 内部は、鑿の後もくっきりと残っていて、所々に岩質が明らかにもろいところもあった。なるほど、だんだんに崩れているというのも頷けた。
 丘を降りてから、結果的に丘を半周するような形で見学をしたが、入り口をふさがれた痕跡を見ると、ずいぶん規模の大きなものもあったようで、見上げるような入り口の面影を残しているものもあった。こういうものを掘って、人が中に避難しなければいけないような、そんな状況はもう2度と御免被りたいものだと思った。

ミニコラム 横須賀基地の周辺情報
 メインゲートに一番近いのは、京浜急行汐入駅。駅前は、きれいに整備され、横須賀芸術劇場、ダイエーなどがある。ところが、汐入の駅には昼間、特急、快速特急などが停まらない。いささか不便。昔は、止まっていたのだが、今年平成11年の夏のダイヤ改正から、停まらなくなったらしい。地元の横須賀市の人たちにとって、間違いなく市の中心地域として位置づけられると場所だと思うのだが、どういうわけなのだろう。一つとなりの横須賀中央は停車駅だ。ここは古くから商店街などもあって開けていた。駅一つのことだから、と言うことなのかもしれないが、都心と違い駅と駅の間が離れていて、隣の駅に特急が停まるというだけで、市の大きな施設のあるこの駅が特急停車駅ではなくなってしまったことは残念だ。
 駅前は、1995年ころから順次整備がされて、昔の面影はない。どぶいた通りも昼間見たせいかもしれないが、妙にしらっちゃけて、少しだけ寂れた感じがした。きれいに整備された市街とは、おそらく対極にあったあの猥雑な雰囲気は、もしかしたらあの町の新しいテイストである清潔さに駆逐されてしまったのかもしれない。
 どこの町にも中心がある。ここを中心にして、町を作っていこうとみんなの気持ちが一致すれば、何も問題はないのに、難しいものである。

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