6.艦船修理部 |
艦船修理部の角から 拡大画像サイズ 243K |
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艦船修理部には2000人が働いていてい、そのうち1800人が日本人だという。この艦船修理部は、昭和26年に創設され、朝鮮戦争の時は、ここは大活躍だったという。現在では西太平洋(耳慣れない言葉だが、日本は確かに太平洋の西にある。)で一番大きな艦船修理工場である。ここでは、ほとんどありとあらゆる艦船の修理がおこなわれており、米海軍の中でも、ここの技術レベルはトップレベルであると、評価が高いそうである。それは働いている日本人の技術に負うところが多いという。第二次世界大戦後、技術で立国してきた日本人の面目躍如と言うところだろうか。
横須賀造船所の時代から、ずっと使われてきたというスチームハンマーもここにあった。言いかえれば、それほど大きなものの修理もするということだろうか。工場のフェンスに沿って歩いていたとき、フェンスの向こうになにやら見たことのある大きな櫛のようなものがあった。とろねこに「あれ、なんだっけ?どこかで見たことあるんだけど」と聞くと、とろねこはくすくす笑いながら、「あれは、船の上についてるレーダーのアンテナでしょう。地面にじかに置いてあるからイメージしにくいんだと思うけれど」と答えてくれた。なるほど、それである。
よくよく考えてみれば当たり前のことだけれど、形あるものは必ず壊れるわけで、大きな軍艦であっても、修理は必ず必要なのだ。そういう意味でも、きちんとしたベースとなる港を持つことは、大切なことなのだ。人間だって、心の中に帰れる港を持っている方がずっと生きて行きやすかったりするじゃないか。そういう意味で、米海軍にとって、この横須賀は、安心して帰れる港なのだろう。
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