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赤穂事件関係年譜 2
【赤穂浅野藩年譜 2 浅野長直(久岳院殿)】
-寛永10(1633)〜寛文11(1671)−
更新 2006/9/18

《年譜》
年 号 西 暦 干支 天 皇 将軍 事 項 赤穂 本家
寛永101633癸酉明正家光☆2.27 長直、家臣高松五太夫をして佐竹義宣(久保田城主)の死を弔すため香奠金1枚を贈る。佐竹義隆(久保田城主・義宣世子)これを返進す。義隆家臣梅津政景、長直用人大石内蔵助良勝へ書状にて申し越す〔梅津9〕。
☆5.17〜8上旬 長直、台命により江戸城惣門舛形土手石垣水道普請を酒井宮内少輔忠勝(出羽鶴岡城主)組にて勤む〔久岳1〕。
☆9.2 長直、御預人小山田傳四郎を六郷政乗(出羽本荘城主)に渡し、水谷山三郎を安藤右京進重長(上野高崎城主)より請取るべき旨の老中奉書到来す〔久岳1〕。
☆9.3 松平(浅野)光晟、長重一周忌につき泉岳寺へ御弔銀10枚を供える〔久岳1〕。
☆12 浅野長治、畠山長門守義真より「上杉流之軍配免許」・其外「九重之巻号令幕之巻」を相伝す〔鳳源3〕。
☆是歳 浅野長治室うわ姫、今年より浅野本家より年々端午御帷子、重陽歳暮御小袖の代わりとして歳暮合力銀を贈られる〔鳳源3〕。
長直(24) 光晟
寛永11 1634 甲戌 明正 家光 ☆2〜4 長直、台命により増上寺客殿普請手伝を土井利勝組にて勤む〔久岳1〕。
☆6.20 徳川家光上洛。長直、江戸に留まり和田倉惣御門土橋警衛を勤む〔久岳1〕。
☆7.21 長直上洛予定につき、旗本上田主殿助重秀(本家家臣上田重安子)を以て広島浅野本家より銀33貫目を借用のところ、500両を返進す〔久岳1〕。
☆F.16 三吉浅野長治、京に於いて将軍家光より領知朱印状(寛永11.8.4付)を賜る〔鳳源3〕。
☆8.朔 浅野長治、永井信濃守尚政・内藤伊賀守忠重・安藤右京進重長へ「領分郷村高辻之帖面」を差出す〔鳳源3〕。
☆8.11 松平(浅野)光晟、長直へ将軍の機嫌窺と長直への肝煎を幕府年寄衆へ依頼したことを伝え、且つ普請を労う〔久岳1〕。
☆9上旬〜11中旬 長直、台命により駿府在番を勤む〔久岳1、寛政〕。
☆10か 松平(浅野)光晟、長直へ在番の見舞として浴衣帷子10を贈り、また名馬を大石内蔵助良欽・大原主水に預ける旨を報ず〔久岳1〕。
☆11 松平(浅野)光晟、長直へ在番の見舞として大和柿1折・粕鯛1桶を進上し、近日の面会を申し入れる〔久岳1〕。
☆12.3 松平(浅野)光晟、長直へ歳暮の祝儀として小袖1重を贈る〔久岳1〕。
☆12.9 松平(浅野)光晟、江戸城二丸普請を命ぜられる〔鳳源3〕。
長直(25) 光晟
寛永121635乙亥明正家光☆正.12 江戸城二丸普請につき、松平(浅野)光晟1000個、三吉浅野長治500個の石を割り当てられる〔鳳源3〕。
☆2.11 松平(浅野)光晟、参勤の祝儀として長直室へ紗綾10巻を贈る〔久岳1〕。
☆2.12 長直、駿府在番中の折に使者を以て進物を贈った寺西将監利之へ返書を遣わす〔久岳1〕。
☆4.28 長直、松平(浅野)光晟へ端午の祝儀として帷子3を贈る〔久岳1〕。
☆5 長直、松平(浅野)光晟江戸城二の丸普請手伝につき使札を以て見舞う〔久岳1〕。
☆5.24 長直室、松平(浅野)光晟江戸城二の丸普請手伝につき見舞として行器2荷・御重1組を贈る〔久岳1〕。
☆6.11 松平(浅野)光晟の普請完了〔久岳1〕。
☆6.13 松平(浅野)光晟、長直へ普請中の音信・普請道具の手配を謝す〔久岳1〕。
☆7.6 三吉浅野長治室うわ姫、七夕の祝儀として松平(浅野)光晟へ「ささい」1折を進上す〔鳳源3〕。
☆7.27 将軍家光、上使を尾張大納言義直へ遣わして松平(前田)肥前守利常三女萬姫を養女として松平(浅野)光晟と縁組する旨を伝達す。光晟家臣浅野甲斐守忠長・上田備前守重政・竹本外記永忠が尾張邸に呼ばれて上意の趣を伝えられる〔鳳源3〕。縁組の御礼として光晟・三吉浅野長治同道して登城、それより年寄衆へ廻勤す〔鳳源3〕。
☆8.2 松平(浅野)光晟と徳川家光養女(実は松平−前田−肥前守利常女)との縁組成立につき長直、樽肴1荷2種を進上す〔久岳1〕。
☆9.6 長直、松平(浅野)光晟へ重陽の祝儀として小袖1重を進上す〔久岳1〕。
☆9.20 長直、松平(浅野)光晟・徳川家光養女祝言の見舞として蝋燭300挺・鮭5尺を使者にて進上す。長直室も小袖5を進上す〔久岳1〕。将軍家光養女萬姫(前田利常三女)、江戸城より桜田浅野邸へ入輿す〔鳳源3〕。
☆10.4 松平(浅野)光晟、長直室へ小袖5を贈る〔久岳1〕。
☆10.5 松平(浅野)光晟、長直家臣大石良欽・大原主水等へ小袖を贈る〔久岳1〕。
☆12.9 松平(浅野)光晟、長直へ銀20枚を持参し到来す〔久岳1〕。
長直(26) 光晟
寛永13 1636 丙子 明正 家光 ☆正.14 晩、松平(浅野)光晟、長直を招請す〔久岳1〕。
☆2.朔〜10下旬 長直、台命により酒井忠世とともに江戸城西の丸普請手伝を勤む。毎日人数357人宛を出す〔久岳1、寛政〕。
☆4.13 徳川家光、日光社参につき江戸発駕。長直供奉し、鉢石口(日光入口)御番を勤む〔久岳1、寛政〕。
☆7.9 松平(浅野)光晟、長直へ明晩招請につき失念なきよう申し入れる〔久岳1〕。
☆7.10 松平(浅野)光晟、長直室妹(丹羽長重女)へ音信す〔久岳1〕。
☆7.11 松平(浅野)光晟、長直へ長直室妹への音信を報ず〔久岳1〕。
☆7.21 長直、松平(浅野)光晟へ明晩招請につき必ず来るように促す〔久岳1〕。
☆8.14 三吉浅野長治室うわ姫、上野伊香保へ湯治につき松平(浅野)光晟より晒5疋・風呂敷1到来す〔鳳源3〕。
☆9.5 長直、松平(浅野)光晟へ重陽の祝儀として小袖1を進上す〔久岳1〕。
☆9.14 松平(浅野)光晟、昨日徳川家光より拝領の鉄炮鳥を明晩料理につき、長直を招請す〔久岳1〕。
☆10.14 松平(浅野)光晟、明晩松平定綱屋敷来訪につき、長直へも参るよう申し入れる〔久岳1〕。
☆10.27 晩、長直、松平(浅野)光晟と対顔し、鷹を進上す。光晟、鷹を据えていた者へ小袖を遣わす〔久岳1〕。
☆10.28 長直、松平(浅野)光晟へ昨晩鷹据の者へ小袖を賜った事を謝す〔久岳1〕。
☆11 朝鮮通信使来聘につき長直、相模大磯駅にて饗応を命ぜられ、同所へ赴きて勤む〔久岳1〕。
☆12.16 長直、来る23・25日の内、年忘祝につき松平(浅野)光晟を招請す。光晟、25日朝の来訪を返答す〔久岳1〕。
☆12.19 尾張大納言義直、松平(浅野)光晟屋敷へ来訪につき長直、取持を勤む。それにつき長直、御盃台2組・生鯛2を進上す〔久岳1〕。
☆12.20 松平(浅野)光晟、長直へ昨日の取持と進物を謝す〔久岳1〕。
☆12.21 長直、松平(浅野)光晟へ歳暮の祝儀として小袖1重を進上す〔久岳1〕。
長直(27) 光晟
寛永14 1637 丁丑 明正 家光 ☆9.8 松平(浅野)光晟興業につき、長直家来菅谷平兵衛・大内斎助・瀧傳十郎・小島助三郎・辻数馬・森次郎八・沖八十郎・寺澤十三郎参上す。光晟、彼らにそれぞれ小袖を遣わす〔久岳1〕。
☆是歳 長直、台命により江戸御火消役を勤む〔久岳1〕。
長直(28) 光晟
寛永15 1638 戊寅 明正 家光 長直(29) 光晟
寛永16 1639 己卯 明正 家光 ☆6.8 松平(浅野)光晟嫡子岩松、初めて御披露目につき三吉浅野長治へ帷子・単物各5、銀30枚、長治室うわ姫へ越前綿5把を贈る〔鳳源3〕。
☆8.11 江戸城本丸炎上につき長直、台命により掃除普請を勤む〔久岳1〕。
☆12.朔 長直の女子誕生。松平(浅野)光晟祝儀として産着6を贈る〔久岳1〕。
☆是歳 三吉浅野長治、増田茂左衛門正良より大坪流馬術を習う〔鳳源3〕。 
長直(30) 光晟
寛永17 1640 庚辰 明正 家光 ☆正.9 松平(浅野)光晟長女市姫、山王社へ御宮参す。その後、三吉浅野長治邸へ立ち寄り長治へ小袖5、長治室うわ姫へ縮緬20巻、長治養女三姫へも縮緬20巻を贈る。家臣たちへも拝領物あり〔鳳源3〕。
☆2.10 三吉浅野長治、江戸城本丸普請出来につき4月中将軍御移徒につき、梨子地御刀掛を献上す〔鳳源3〕。
☆4.14 三吉浅野長治室うわ姫、女子を出産、梅松と名付ける〔鳳源3〕。
☆4 江戸城本丸普請成就、徳川家光移徒につき長直、小屏風1双を献上す〔久岳1〕。
☆4 徳川家光日光社参、長直、鉢石口(日光入口)御番を勤む〔久岳1〕。
☆5.18 三吉浅野長治、家臣へ領内の仕置油断なきよう命ず〔鳳源3〕。
☆5 三吉浅野長治、日光参詣〔鳳源3〕。
☆7.11 浅野家重臣(大石内蔵助良勝・大原主水・奧野将監直継・近藤三郎左衛門正純・坂田左近右衛門・菅谷平兵衛利治)、大石八郎兵衛信云に知行方物成納所を命ず〔弘前大石家史料〕。
☆7中旬 長直、台命により大坂城在番を勤む〔久岳1〕。
☆7.20 三吉浅野長治、小幡勘兵衛景憲より「軍法之免許状」を受く〔鳳源3〕。
☆8.26 長直、大坂城在番につき飛札を以て機嫌窺の進物をした山岡作左衛門に返書を遣わす〔久岳1〕。松平(浅野)光晟、長直大坂城在番につき米100俵・薪3000把を贈り、到来す〔久岳1〕。
☆10.9 長直家臣奧野将監直継・大原主水、家中原左次兵衛女房上下4人を笠間へ遣わすため女切手拝領を願い出る〔大石文書・義士帖〕。
※このころの長直の諱は「長綱」〔久岳1〕。
長直(31) 光晟
寛永18 1641 辛巳 明正 家光 ☆3.21 三吉浅野長治、江戸参勤のため三吉を出馬す〔鳳源3〕。
☆8.9 徳川家光嫡子竹千代(後の家綱)御七夜の御祝につき、長直登城し来国光の刀を献上す〔久岳1〕。三吉浅野長治も登城して脇差を献上す〔鳳源3〕。
☆9.15 長直家臣菅谷平兵衛(四十七士菅谷半之丞政利の祖父)没。法名「昌岩宗久禅門」〔国昌寺過去帳〕。
長直(32) 光晟
寛永19 1642 壬午 明正 家光 ☆4.17 松平(浅野)光晟女亀姫、山王社へ御宮参す。それより三吉浅野長治邸へ立ち寄り長治へ袷5、長治室うわ姫へ紗綾10巻、長治女梅松・同養女三姫へ縮緬5巻宛贈る〔鳳源3〕。
☆4.22 松平(浅野)光晟江戸参府につき、三吉浅野長治室うわ姫へ紗綾10巻、長治女梅姫へ倫子5巻、長治養女三姫へ縮緬5を進上す〔鳳源3〕。
☆5.朔 三吉浅野長治、在所への暇を賜る〔鳳源3〕。
☆5.15 三吉浅野長治、日光参詣のため江戸を出発す〔鳳源3〕。
☆5.19 三吉浅野長治、日光より帰府〔鳳源3〕。
☆5.24 三吉浅野長治、小幡景憲より「甲陽軍艦秘伝印可」を受く〔鳳源3〕。
☆5.25 三吉浅野長治、江戸を出発す〔鳳源3〕。
☆6.7 三吉浅野長治、伏見着〔鳳源3〕。
☆6.13 三吉浅野長治、伏見発。夜、大坂着〔鳳源3〕。
☆6.14 暁、三吉浅野長治、大坂発〔鳳源3〕。
☆6.15 三吉浅野長治、忠海に着船す〔鳳源3〕。
☆6.17 浅野長治、備後三吉着〔鳳源3〕。
☆11.16 長谷川久太郎吉重、広島退去のため在江戸の嫡子織部宗正屋敷立退につき長直、松平(浅野)光晟へ杉原長房・北条出羽守氏重・松平出雲守勝隆・浅野本家留守居と談合し、証人奉行酒井和泉守忠吉へ報告した旨を報ず〔久岳1〕。
長直(33) 光晟
寛永20 1643 癸未 明正
後光明
家光 ☆正 三吉浅野長治、厳島へ社参す〔鳳源3〕。
☆3.26 三吉浅野長治、参勤のため三吉発。同日賀茂村に宿泊す〔鳳源3〕。
☆3.27 三吉浅野長治、忠海出船〔鳳源3〕。
☆4.3 三吉浅野長治、大坂着船〔鳳源3〕。
☆4.6 三吉浅野長治、大坂発〔鳳源3〕。
☆4.18 三吉浅野長治、江戸参府〔鳳源3〕。
☆4.22 三吉浅野長治、松平(浅野)光晟江戸参府につき長治室うわ姫へ紗綾10巻、女梅姫へ倫子5巻、養女三姫へ縮緬5巻を贈る〔鳳源3〕。
☆6.9 三吉浅野長治、朝鮮人来聘につき伊豆三島駅の御馳走御用を命ぜられる〔鳳源3〕。
☆7 朝鮮通信使、江戸より直に日光山参詣につき長直、台命によって下野今市に於いて饗応を勤む〔久岳1〕。
☆10 長直室、男子を出産。又市郎と命名す(後の長友)〔景永、寛政〕。
☆10.10 松平(浅野)光晟より長直へ産着6到来す〔景永〕。
長直(34) 光晟
寛永21
正保元
1644 甲申 後光明 家光 ☆正.22 松平(浅野)光晟室、松千代(後の三次藩長治養子又六郎長尚)出生。長直、祝儀の進物を贈る〔久岳1・鳳源4〕。
☆2.22 浅野松千代、山王社へ御宮参。その後三吉浅野長治へ立寄り、長治へ小袖5・大判1枚、長治室うわ姫へ紗綾20巻、梅松・三姫へ縮緬5巻ずつ進上す〔鳳源4〕。
☆7中旬〜 長直、台命により大坂城在番を勤む〔久岳1〕。
★12.16 改元。
長直(35) 光晟
正保2 1645 乙酉 後光明 家光 ☆2.8 松平(浅野)光晟に三男誕生。鶴松と命名す〔鳳源4〕。
☆5.29 松平(浅野)光晟三男鶴松、御宮参。また三吉浅野長治へ帷子2・単物3・馬代金1枚、長治室へ紗綾10巻、梅松・三姫へ紗綾5巻ずつを進上す〔鳳源4〕。




☆6.13 大坂城在番中の長直、本高のまま播磨国赤穂への転封を命ぜられる〔久岳1〕。幕府の使者蒔田数馬(阿部対馬守重次・同豊後守忠秋・松平伊豆守信綱の奉書持参)〔久岳1〕。酒井忠勝、長直へ所替の御礼と在笠間の家臣引越を指示す〔久岳1〕。
☆6.22 松平信綱・阿部重次、奉書にて赤穂在番水谷伊勢守勝隆へ長直赤穂転封につき在番目付多賀左近・津田平左衛門と相談の上、長直家臣へ引渡すよう命ずる。信綱・重次、請取の詳細について添状も遣わす〔久岳1、寛政〕。
☆6.23 松平(浅野)光晟・浅野長治、長直家老大石良欽・坂田左近右衛門へ笠間の処置・転封について松平(藤井)伊賀守忠晴所替の際の御書出写を参考として知らせる〔久岳1〕。
☆7.6〜下旬 松平(浅野)光晟、長直赤穂入部につき御馳走船を差出す〔久岳1〕。
☆7.10 長直転封につき笠間領惣名主、浅野家奉行・郡奉行・代官に対して申し分無き旨の手形を大石良欽・坂田左近右衛門まで差出す〔久岳1〕。浅野長治・松平定綱・同忠晴、長直の赤穂転封につき家来難儀のため松平(浅野)光晟へ申し入れて金2000両を取替える〔久岳1〕。
☆8.9 幕府御船手役小浜民部少輔光隆、長直へ入部の祝儀の礼と船手御用の件を伝える〔久岳1〕。
☆8 長直の許に小浜光隆の書状(前項)到来す〔久岳1〕。
☆8.10 長直、松平(浅野)光晟へ上屋敷移徒の祝儀として使者を以て進物を贈る〔久岳1〕。
☆8.12 長直、御船手として植木小右衛門一吉次男六兵衛武利の件につき進藤三郎左衛門へ武利を上らせるよう進藤文右衛門に指示す〔久岳1〕。
☆8.15 松平(浅野)光晟、長直へ赤穂入部の祝儀として馬代金1枚・鉄炮袋(猩々緋)100挺分・三原酒両樽を使者を以て進上す〔久岳1〕。
☆8.16 滝川与三右衛門、長直へ入部の祝と見舞い兼ねて御船手御用は植木武利を召置くよう申し入れる〔久岳1〕。
☆8.20 酒井紀伊守忠吉・伊丹順斎康勝・曽根源左衛門・杉浦内蔵允、長直へ赤穂郡去年種借米・当年秋取立の件を連署状にて伝える〔久岳1〕。
☆9.19 小浜光隆、長直へ植木武利大坂着につき赤穂へ赴くよう進藤文右衛門まで申し入れるよう指示する〔久岳1〕。その後、長直、植木武利に200石を宛行い、御船奉行を命ず〔久岳1〕。
☆是歳 長綱(長直)、将軍家光嫡子家綱の諱を憚り「長直」と改名す〔久岳1〕。
長直(36) 光晟
正保3 1646 丙戌 後光明 家光 長直(37) 光晟
正保4 1647 丁亥 後光明 家光 ☆正.11 長直、家臣大石八郎兵衛信云に450石を宛行う〔弘前大石家史料〕。
☆6.朔 浅野兵部長澄(長直養子・のちの内記長賢)、はじめて松平(浅野)光晟屋敷へ来訪す。これによって光晟、返礼として長直へ馬代銀1枚、帷子・単物各5を贈る〔久岳1〕。
☆7 松平(浅野)光晟、長直へ長直妹縁組の祝儀として樽肴2荷3種を使札を以て贈る。また長直妹へも進物を贈る〔久岳1〕。
☆9.13 長直、松平(浅野)光晟へ縁組の祝儀として蝋燭200挺を進上す〔久岳1〕。
☆10.19 長直、妹(長重女・法名長松院)と松平(桜井)三七郎忠氏との縁組を命ぜられる〔久岳1〕。
長直(38) 光晟
正保5
慶安元
1648 戊子 後光明 家光 ☆3 長直、松平(浅野)光晟帰国の節赤穂通過につき、使者佐々三左衛門を以て肴を進上し、且つ約束の犬も贈る。光晟、帰国の上、使者を以て長直へ鰹節1箱・諸白両樽を贈る〔久岳1〕。
☆4.6 松平(藤井)忠晴室(杉原長房女・長直従弟女)病気にて、長直・浅野長治・小出大和守吉英等相談し、養生に配慮せしもこの日逝去す〔久岳1〕。
☆4.17 松平(浅野)光晟、広島に東照宮勧請、御宮造営につき長直、石燈籠8基を献上す〔久岳1〕。
☆5.22 長直、帰国の暇を賜る〔久岳1〕。
☆6.4 松平忠氏と一門衆の振舞あり〔久岳1〕。
☆6.8 長直、日光参詣のため江戸を立つ〔久岳1〕。
☆6中旬 長直、日光より帰府す〔久岳1〕。
☆6.17 長直、播磨国赤穂郡加里屋に築城を絵図面を以て老中に願出たところ、将軍家光の上聞に達し許可の奉書(阿部忠秋・同重次・松平信綱連署)が発給される(奉書が長直の許に到来した月日は不明)〔久岳1〕。
☆6.19 長直妹と松平忠氏祝言〔久岳1〕。
☆6.20 長直、帰国のため江戸を発す〔久岳1〕。
☆6 堀部甚之丞友政(金丸甥)、熊本城主細川綱利の御児小姓に召し出される〔堀部史−堀部氏系図、細川家家臣先祖附〕。
☆7 長直、赤穂着〔久岳1〕。
☆7.15 長直の使者奥野将監、広島着〔久岳1〕。
☆7.16 広島東照宮遷宮につき長直名代として奥野将監が遣わされる〔久岳1〕。
☆7.17 奥野将監、長直名代として広島東照宮へ金馬代を奉幣し、神酒を頂戴す〔久岳1〕。
☆7.18 浅野本家より奥野将監へ振舞あり。祝儀の使者につき奥野に帷子3・単物2を下される〔久岳1〕。
長直(39) 光晟
慶安2 1649 己丑 後光明 家光 ☆5.23 長直、参勤のため下向の旅中へ松平(浅野)光晟より見舞として両種到来す〔久岳1〕。
☆6.9 長直、参勤の御礼のため登城して御目見し、銀馬代・綿100把を献上す〔久岳1〕。
☆6.19 長直、寛永9年以来の奉公勤役を記した「御奉公御勤之書付」を旗本庄田小左衛門・朝比奈源六へ差出す〔久岳1〕。
☆7.9 晩、長直、松平(浅野)光晟・北条出羽守氏重をを招請す〔久岳1〕。
☆7.13 松平(浅野)光晟、嘉例生見玉の祝儀として長直を招請す。長直、光晟邸に来訪す〔久岳1〕。
☆10.25 長直、平井へ湯治す。これにより松平(浅野)光晟より湯帷子5・風呂鋪1到来す〔久岳1〕。
☆12.8 松平(浅野)光晟嫡子岩松(後の綱晟)、長直へ来る12日晩に自分部屋へ招請す〔久岳1〕。
長直(40) 光晟
慶安3 1650 庚寅 後光明 家光 ☆3.3 長直、江戸城西の丸普請につき上巳の祝儀を兼ねて登城し、徳川家光へ三寸釘10万本を献上す〔久岳1〕。
☆6.10 松平(浅野)光晟江戸発駕につき長直、品川まで使者を遣わし保土ヶ谷駅までは飛札を以て進物を贈る〔久岳1〕。
☆6 長直、例年当月は在所への暇を賜れど、将軍世子徳川家綱移徒まで詰めたき旨を申し出る〔久岳1〕。
☆8.21 長直、松平(浅野)光晟室出産につき見舞のため赴く。また切々と使者・音信もあり〔久岳1〕。
☆8.晦 山鹿素行、長直邸に来たる。三次浅野長治も長直邸に来たる。長直・長治養子内記長澄、兵法を学ぶ為素行に誓詞を出す〔素行年譜〕。
☆9.7 朝、山鹿素行、長直の招きに応じ、長直邸に来たる。午刻、長直・素行、丹羽光重邸へ参る。歌舞妓あり。三次浅野長治・中根平十郎正盛(御書院組頭)も来る〔素行年譜〕。
☆9.19 明日将軍世子徳川家綱移徒につき長直登城し、御腰物掛(梨地蒔絵御紋)1・御碁盤(梨地)1面(石とも)・御将棋盤1面(駒とも)を献上す〔久岳1〕。
☆I.2 長直、在所への暇を賜る〔久岳1〕。
☆I.5 山鹿素行、長直邸へ参る〔素行年譜〕。
☆11.14 山鹿素行、三次浅野長治の招きに応じ長治邸へ参る〔素行年譜〕。
☆冬 赤穂浅野家御預人大久保数馬・水谷山三郎、喧嘩して双方絶命す〔久岳1〕。
☆是歳(月未詳)16 肥後熊本藩家老長岡(松井)式部少輔寄之(八代城代)、同藩重臣長岡(沼田)勘解由延之へ三吉浅野長治の江戸出発日等を報ず〔松井2-374〕。
長直(41) 光晟
慶安4 1651 辛卯 後光明 家光
家綱
☆正.18 長直、御預人喧嘩につき江戸へ注進のところ、検使・死骸取捨の奉書(松平信綱・阿部重次連署)が発給される〔久岳1〕。
☆2.朔 山鹿素行、三次浅野長治邸へ参る〔素行年譜〕。
☆2.9 松平信綱・阿部重次、大久保・水谷の死骸処理を知らせた長直へ返書を遣わす〔久岳1〕。
☆3.18 相高院(徳川秀忠養女実蒲生秀行女・肥後熊本城主加藤肥後守忠広室・浅野光晟異父姉、加藤家断絶後は相模国鎌倉の内山崎村に住居)逝去す〔久岳1〕。
☆4.26 長直、参勤のため赤穂出船し兵庫に停泊中のところ将軍家光薨去を知る[久岳1]。長直、相高院逝去につき松平(浅野)光晟へ使札にて弔し、香奠銀10枚を進上すれども返進される。弔問の使者田中兵左衛門、光晟より袷2を拝領す〔久岳1〕。
☆4.27 長直、赤穂へ帰国す。また、老中へ使者を遣わし参勤の指示と大坂御奉行衆へ断りの上帰国したことを報ず〔久岳1〕。その後、老中より「当年は参勤に及ばず」旨の奉書到来す〔久岳1〕。
☆7.13 長直、将軍代替につき誓紙の件を老中へ伺ったところ、参勤の上で行うようにとの奉書(松平信綱・松平和泉守・阿部豊後守連署)が発給される〔久岳1〕。
☆8.2 長直、松平忠氏子息三丞死去にて松平(浅野)光晟より弔問の使者ありにつき挨拶す〔久岳1〕。
☆11.10 長直、城郭普請開始の旨を老中へ申出たところ「弥御普請」の奉書(松平和泉守・阿部豊後守・松平信綱連署)が発給される〔久岳1〕。そのため赤穂新城一二三曲輪構合1800間くらい、堀・石垣・大手櫓・天守台等、承応〜万治年間にかけて築城す〔久岳1〕。
☆11.29 松平(浅野)光晟、長直へ松平忠氏室(長直妹)平産につき書状にて祝う〔久岳1〕。
長直(42) 光晟
慶安5
承応元
1652 壬辰 後光明 家綱 ☆正.9 山鹿素行、旗本大島雲八義近邸に参り、終日閑談す〔素行年譜〕。
☆7.3 長直、幕府へ誓紙を提出する〔久岳1〕。
☆7.26 長直嫡子又市郎(長友)、初めて将軍徳川家綱へ拝謁す〔景永、寛政〕。
★9.18 改元。
☆12.8 午刻、山鹿素行、長直邸へ参り君臣の礼をとる。素行、三次浅野長治・丹羽光重邸へ太刀馬代を以てこのことを告ぐ〔素行年譜〕。
長直(43) 光晟
承応2 1653 癸巳 後光明 家綱 ☆4.23 長直嫡子又市郎、松平(浅野)岩松元服につき(綱晟)、松平(浅野)光晟を招請す〔景永〕。
☆E.19 長直、赤穂へ発駕す〔素行年譜〕。
☆E.26 山鹿素行、江戸を発して赤穂へ向かう〔素行年譜〕。
☆7.2 土屋但馬守数直(常陸土浦城主)、山鹿素行を享す〔素行年譜〕。
☆7.24 朝、小笠原山城守長矩(三河吉田城主)、山鹿素行を享す〔素行年譜〕。
☆9.朔 山鹿素行、遠州浜松に寄宿す〔素行年譜〕。
☆9.6 山鹿素行、伊勢内宮に参拝す。晩、明星茶屋に寄宿す〔素行年譜〕。
☆9.7 山鹿素行、伊勢関に泊まる〔素行年譜〕。
☆9.8 山鹿素行、石部に泊まる〔素行年譜〕。
☆9.9 山鹿素行、入京。大善院に寄宿す〔素行年譜〕。
☆9.17 山鹿素行、愛宕山に登る〔素行年譜〕。
☆9.18 山鹿素行、京を発して伏見に至りて八幡に参拝す。日暮、橋本旅店より船に乗る〔素行年譜〕。
☆9.19 朝、山鹿素行、大坂に至り三川屋祐甫宅に寄宿す〔素行年譜〕。
☆9.21 山鹿素行、大坂町奉行曽我丹波守古祐邸に来たる。大坂加番板倉主水正重矩来会す〔素行年譜〕。
☆9.22 山鹿素行、天王寺に遊ぶ〔素行年譜〕。
☆9.23 山鹿素行、大坂を発し兵庫に寄宿す〔素行年譜〕。
☆9.24 山鹿素行、加古川に寄宿す。兵庫に於いて経嶋寺及び平清盛の石塔を拝見す〔素行年譜〕。
☆9.25 山鹿素行、播州赤穂着。長直、木村弥二兵衛を遣わして放鷹の鴨を与えて慰労す。旅宿は大塚理太夫宅〔素行年譜〕。
☆9.26 山鹿素行、長直に拝謁し、征矢100を献上す〔素行年譜〕。
☆9.27 長直家老大石頼母助良重、茶餉を以て山鹿素行を享す〔素行年譜〕。
☆是秋 赤穂領凶作〔素行年譜〕。
☆10.15 長直、赤穂城二丸虎口を縄張す。山鹿素行を招きて談ず。素行、間縄を取り改め直す〔素行年譜〕。
長直(44) 光晟
承応3 1654 甲午 後光明
後西
家綱 ☆正.1 長直出座。各々礼謁す〔素行年譜〕。
☆2 赤穂領、昨年の凶作により領民多く飢える。長直、所々に場を設けて粥を振る舞うなどして救恤す〔素行年譜〕。
☆3.10 山鹿素行、坂越浦に遊ぶ。大石源五左衛門(後の内蔵助良欽)舟を艤す〔素行年譜〕。
☆5.3 山鹿素行、江戸へ帰る暇を賜る〔素行年譜〕。
☆5.4 長直、山鹿素行に真長の刀を与える〔素行年譜〕。
☆5.5 山鹿素行、船にて赤穂を発す〔素行年譜〕。
☆5.7 山鹿素行、大坂着〔素行年譜〕。
☆5.11 山鹿素行、大坂を発し、伏見に至る〔素行年譜〕。
☆5.24 未刻、山鹿素行、江戸に着く〔素行年譜〕。
☆6.朔 山鹿素行、長直嫡子又一郎(長友)に拝謁す〔素行年譜〕。
☆6.2 山鹿素行、三吉浅野長治の招きに応じ長治邸へ参る〔素行年譜〕。
☆6.13 長直、江戸着〔素行年譜〕。
☆9.24 山鹿素行、約束により丹羽左京邸へ参る〔素行年譜〕。
☆12.4 山鹿素行女竹、痘疾にて死す。これにより素行、喪に服す為出仕せず〔素行年譜〕。
☆12.19 長直、素行の服喪を免ず。素行出仕す〔素行年譜〕。
長直(45) 光晟
承応4
明暦元
1655 乙未 後西 家綱☆正.1 在江戸の赤穂藩士、長直に拝礼す〔素行年譜〕。
☆正.9 山鹿素行、約束により三吉浅野長治邸に到る。石河多兵衛来会〔素行年譜〕。
☆2.22 長直、稲葉伊勢守宅に来訪す。山鹿素行先に参る。土屋数直・旗本仙石因幡守久俊(久邦・伯耆守久尚父)等も来会す〔素行年譜〕。
☆2.29 山鹿素行、三吉浅野長治邸に到る〔素行年譜〕。
☆3.2 石河多兵衛、長直邸に到る。山鹿素行、ここに会す〔素行年譜〕。
☆3.3 山鹿素行、長直宅に出仕す〔素行年譜〕。
★4.13 改元。
☆4.22 松平(浅野)光晟、長直邸を来訪。山鹿素行、初めて光晟に拝謁す〔素行年譜〕。夕刻、山鹿素行、約定により丹羽左京邸に到る〔素行年譜〕。
☆6.27 長直、帰国のため江戸発駕〔素行年譜〕。
☆8.10 大島雲八、山鹿素行を訪ねる〔素行年譜〕。
☆12.7 山鹿素行、大島雲八邸に到る〔素行年譜〕。
長直(46) 光晟
明暦2 1656 丙申 後西 家綱 ☆正.11 大島雲八・左兵衛兄弟、山鹿素行を訪ねる〔素行年譜〕。
☆3.26 山鹿素行、東叡山に遊ぶ〔素行年譜〕。
☆5.25 長直、参勤す〔素行年譜〕。
☆5.29 山鹿素行、三吉浅野長治邸に到る〔素行年譜〕。
☆8.1 山鹿素行、自宅を修す〔素行年譜〕。
☆8.22 長直家臣大石頼母助良重、素行宅を来訪。夜に及びて帰る〔素行年譜〕。
☆9.23 山鹿素行弟四郎左衛門、松浦肥前守に拝謁し、家臣となる〔素行年譜〕。
☆9.28 山鹿素行、新宅に移る〔素行年譜〕。
長直(47) 光晟
明暦3 1657 丁酉 後西 家綱 ☆正.1 山鹿素行、昨年暮より父貞以病により長直に拝謁せず〔素行年譜〕。
☆正.5 山鹿素行、長直に拝謁す〔素行年譜〕。
☆正.18 江戸本郷本妙寺より出火。江戸町中過半焼失す(明暦の大火)〔素行年譜〕。
☆正.19 山鹿素行宅焼失。未刻、糀町初鹿野伝右衛門隣より出火。井伊直孝・松平(浅野)光晟の邸焼失。江戸中大半焼失〔素行年譜〕。
☆3.5 三次浅野長治、山鹿素行宅に来臨す〔素行年譜〕。
☆5.6 山鹿素行、高田馬場にて馬術訓練す〔素行年譜〕。
☆11.18 山鹿素行、長直嫡子又一郎(長友)に拝謁す〔素行年譜〕。
☆11.21 山鹿素行、飛脚を以て歳暮を赤穂の長直に賀す〔素行年譜〕。
☆11.26 山鹿素行、高田の新宅に移る〔素行年譜〕。
☆12.11 長直嫡子又市郎(長友)、山鹿素行を享す〔素行年譜〕。
☆12.27 長直嫡子又市郎、従五位下釆女正に叙任す。諱は松平(浅野)光晟が指図す(以後は長友)〔素行年譜、景永、寛政〕。
長直(48) 光晟
明暦4
万治元
1658 戊戌 後西 家綱 ☆正.1 未刻、館林徳川綱吉の別荘火災。山鹿素行、長直嫡子采女正長友に拝謁す〔素行年譜〕。
☆正.12 午刻、火災。速やかに止む。未刻出火。また止む。夜また出火[素行年譜]。
☆2.5 長直嫡子長友、叙任の祝儀として松平(浅野)光晟へ1種1荷を使者をして進上す[景永]。
☆2.13 長直嫡子長友、叙任の祝儀として進物を贈った赤穂御船奉行植木武利に返書を遣わす[景永]。
☆6.9 長直嫡子長友、松平(浅野)綱晟婚姻成立の祝儀として松平(浅野)光晟へ進物を贈る。光晟、返礼として長友へ銀1枚・単物3・帷子5を贈る[景永]。
☆6.15 長直、参勤[素行年譜]。
☆6.21 長直、参勤御礼[素行年譜]。
★7.23 改元。
☆8.9 松平(浅野)綱晟、将軍家綱より御鷹之雲雀を御披につき長友を招請す[景永]。
☆9.4 旗本土岐十左衛門、明日将軍家綱移徒につき御歓の登城は4半時より昼までのうちにすべき旨を長直嫡子長友に伝える[景永]。
☆9.晦 旗本土岐十左衛門、明日は紀伊大納言頼宣へ暇を賜るにつき登城無き旨を長直嫡子長友へ伝える[景永]。
☆9 山鹿素行、「武教全書」の清書完成させる[山鹿素行年譜]。
☆10.16 山鹿素行、本郷天澤寺に遊び、隠元禅師に会す[山鹿素行年譜]。
☆11.5 松平(前田)利常先月23日に逝去につき長直嫡子長友、松平(浅野)光晟へ使札にて弔す[景永]。
☆12.2 松浦肥前守、茶餉のため山鹿素行宅に至る。三吉浅野長治も来会す[素行年譜]。
☆12.13 松平(浅野)綱晟、将軍家綱より拝領の御鷹の雁御披につき長直嫡子長友を招請す[景永]。
☆K.23 三吉浅野長治・松浦肥前守、山鹿素行宅に来臨す[素行年譜]。
長直(49) 光晟
万治2 1659 己亥 後西 家綱 ☆正.1 山鹿素行、長直に拝謁す[素行年譜]。
☆正.8 山鹿素行、松浦肥前守邸に至る。三吉浅野長治も来会す[素行年譜]。
☆正.9 山鹿素行、三吉浅野長治邸に至る。松浦肥前守も来会す[素行年譜]。
☆正.12 三吉浅野長治・松浦肥前守、山鹿素行宅に来臨す[山鹿素行年譜]。
☆5.晦 松平(浅野)綱晟室寵君、男子を出産。岩松と命名す(のちの綱長)[景永]。
☆6.6 長直嫡子長友、松平(浅野)光晟・綱晟へ御七夜の祝儀として進物を贈る。綱晟、長友へ返礼として帷子・単物5を贈る[景永]。
☆9.14 松平(浅野)岩松、御宮参[景永]。
☆9.15 長直嫡子長友、松平(浅野)岩松御宮参の祝儀として松平(浅野)光晟へB1折を使者にて進上す[景永]。
☆11.2 山鹿素行、高田馬場にて馬術訓練し、落馬して手足を傷く[素行年譜]。
☆11.6 松平(浅野)光晟、将軍家綱より拝領の御鷹の鶴を明日御披につき長友を招請す。長友、咳気にて断る[景永]。
長直(50) 光晟
万治3 1660 庚子 後西 家綱 ☆正.1 朝、山鹿素行、長直嫡子長友に拝謁す[素行年譜]。
☆正.5 長直嫡子長友、山鹿素行に兵書を講義するよう依頼す[素行年譜]。
☆7.19 仙台城主松平(伊達)陸奥守綱宗、幕府より隠居を命ぜられ、嫡子亀千代(綱村)相続す[素行年譜]。
☆9 山鹿素行、大島雲八を介して赤穂浅野家を致仕す[素行年譜]。
☆12.16 長友と内藤飛騨守忠種(のちの忠政・志摩鳥羽城主)女との縁組、長直の願い通りに許可される[景永]。
長直(51) 光晟
万治4
寛文元
1661 辛丑 後西 家綱 ☆正.1 巳刻、山鹿素行、長直に拝謁す[素行年譜]。
☆正.13 山鹿素行、三吉浅野長治邸に至る[素行年譜]。
☆2.27 松平(浅野)光晟女市姫・戸澤能登守正誠(出羽新庄城主)婚姻につき長友、光晟邸へ参り、、市姫へ祝儀として銀子を進上す[景永]。
☆2.29 松平(浅野)綱晟、御祝儀の振舞のため戸澤正誠をはじめ一家方を招請す。長友も来訪す[景永]。
☆3.4 山鹿素行、三吉浅野長治邸に至る[素行年譜]。
☆3.8 山鹿素行、丹羽光重邸に至る[素行年譜]。
☆3.13 三吉浅野長治、山鹿素行宅に来会す[素行年譜]。
☆3.27 丹羽光重・三吉浅野長治・仙石兵部忠俊(越前守嫡子)、山鹿素行宅へ来話す[素行年譜]。
☆4.9 山鹿素行、長直邸に至る。平賀六左衛門、長直の家臣となる[素行年譜]。
☆4.10 三吉浅野長治、山鹿素行宅に来会す[素行年譜]。
☆4.13 山鹿素行、平賀六左衛門を伴い、長直に拝謁す[素行年譜]。
☆4.22 山鹿素行、三吉浅野長治邸に至る[素行年譜]。
☆4.24 南風。三吉浅野長治、山鹿素行宅に来臨す[素行年譜]。
★4.25 改元。
☆5.9 三吉浅野長治、近く帰国につき山鹿素行宅に来臨す[素行年譜]。
☆5.10 松平(浅野)綱晟江戸発駕につき長友、使者を川崎まで遣わし使札にて生干1箱を進上す[景永]。
☆6.8 長直、帰国の暇を賜る[素行年譜]。
☆7.3 長直、帰国のため江戸発足[素行年譜]。
☆7.29 水戸藩主徳川頼房、死去[素行年譜]。
長直(52) 光晟
寛文2 1662 壬寅 後西 家綱 ☆正.元 長友、所労につき年頭の登城せず[景永]。
☆2.6 夜、浅野長治女犬姫逝去す。松平(浅野)綱晟、長友へ書状にて弔す[景永]。
☆3.26 松平(浅野)綱晟明日江戸参府につき長友、戸塚まで使者を遣わして使札にて肴1種を進上す[景永]。
☆6.26 長直嫡子長友、内藤忠種(忠政)女を娶る。これにより、松平(浅野)光晟・三吉浅野長治・仙石兵部忠俊(上田城主)赤穂藩邸に来たる。長直は禁裏造営により在京[素行年譜]。山鹿素行、三吉浅野長治から「難太平記」(今川了俊著)を借りる[素行年譜]。
☆6.27 山鹿素行、昨日浅野長治より借りた「難太平記」を読む[素行年譜]。
☆7.26 長友と内藤忠種女婚姻。これにつき在京の長直、家臣岡林杢助を遣わす[景永]。松平(浅野)光晟、長友へ祝儀として使者今中太郎右衛門一光を遣わす[景永]。
☆8.8 松平(浅野)光晟使者今中一光到着し、長友へ太刀・馬代・帷子・単物10・樽肴2荷3種、長友室へ紗綾(赤白)20巻・銀5枚を進上す。また長友室より光晟へ祝儀物を進上す[景永]。
☆10.9 三吉浅野長治・本多対馬守、山鹿素行宅へ来話す[素行年譜]。
☆11.4 松平(浅野)綱晟、将軍家綱より拝領の御鷹の雁御披につき長友を招請す。長友、頭痛につき断る[景永]。
☆12.6 三吉浅野長治、山鹿素行宅へ来臨す。松浦肥前守もまた来る[素行年譜]。
☆12.10 三吉浅野長治・松浦肥前守、山鹿素行宅に来臨す[素行年譜]。
☆冬 長友、疱瘡を患うも容体は軽く、御酒湯を掛る[景永]。
長直(53) 光晟
寛文3 1663 癸卯 後西
霊元
家綱☆正.10 三吉浅野長治、山鹿素行宅に来臨[素行年譜]。
☆正.12 大島雲八、山鹿底宅に来たる[素行年譜]。
☆正.23 長友、病後の御礼として将軍家綱へ箱肴を進上す[景永]。
☆正.25 松平(浅野)光晟、長友へ御酒湯の祝儀として樽肴2種両樽を使札を以て贈る[景永]。
☆正.28 三吉浅野長治・大島雲八、山鹿素行宅へ来会す[素行年譜]。
☆2.9 三吉浅野長治、山鹿素行宅へ来臨す[山鹿素行年譜]。
☆2 松平(浅野)光晟より長友へ病気の御湯酒の祝儀として樽肴2種両樽、使札を以て到来す。長友返礼として光晟へ2種両樽を進上す[景永]。
☆4.13 将軍家綱、日光山社参のため江戸発駕[景永]。
☆4.16 申刻、将軍家綱日光へ到着[景永]。
☆4.20 日光山に於いて大猷院殿(家光)13回忌法要が行われる[景永]。
☆4.23 明日将軍家綱還御につき長友、登城の件を松平(浅野)光晟へ申し入れ、昼時分に光晟邸に赴く。光晟より明日同道の申入あり[景永]。
☆4.24 将軍家綱、江戸還御[景永]。
☆5.3 松平(浅野)綱晟、長友へ霊元天皇即位につき明日は何れも登城の旨を伝える[景永]。
☆5.23 武家諸法度発布[素行年譜]。
☆5.23 諸侯に御暇を賜る[素行年譜]。
☆6.7 戸田伊豆守、大島雲八・左衛門兄弟、山鹿素行宅に来会す[素行年譜]。
☆7.12 大島雲八、山鹿素行宅に来たる[素行年譜]。
☆7.20 先に長直に預けられた大久保長次郎・庄之助・水谷市之丞・弟熊之助・長太郎赦免[寛政]。
☆8.25 松平(浅野)光晟、一本村屋敷茶屋出来につき長友を招請す[景永]。
☆9.朔 浅野長蔵長吉(光晟子・後の三次藩2代長照)将軍家綱へ初めて拝謁につき長友も同道す[景永]。
☆9.12 大島雲八、山鹿素行宅に来たる[素行年譜]。
☆9.19 松平(浅野)光晟、浅野長吉御目見の祝儀として長友を招請す[景永]。
長直(54) 光晟
寛文4 1664 甲辰 霊元 家綱 ☆正.8 長直家臣大石頼母良重・大原玄等・藤井又助・中田甚五兵衛、山鹿素行宅に来たりて来話す[素行年譜]。
☆3.23 山鹿素行、長直邸に至る[素行年譜]。
☆4.24 山鹿素行、長直邸に至る。長直より血留石を拝領す[素行年譜]。
☆4.27 晩、山鹿素行、三吉浅野長治邸に至る[素行年譜]。
☆D.20 山鹿素行、長直嫡子長友を訪ねる。大島雲八、来会す[素行年譜]。
☆8.5 山鹿素行、三次浅野長治邸に至る[素行年譜]。
☆是歳 熊本藩士堀部甚之丞友政(金丸甥)、中小姓となる(6人扶持)[堀部史−堀部氏系図、細川家家臣先祖附]。
長直(55) 光晟
寛文5 1665 乙巳 霊元 家綱 ☆正.1 山鹿素行、長直嫡子長友に拝謁す[素行年譜]。
☆正.9 山鹿素行、三次浅野長治邸に至る[素行年譜]。
☆正.21 長直室、江戸にて逝去す。法名高光院殿蓮心日澄大師、墓所江戸妙行寺[素行年譜、丹羽家年譜]。墓所は赤穂高光寺との説もあり[景永]。これにより松平(浅野)綱晟より長友へ飛札にて弔問あり[景永]。松平(浅野)光晟、使者和田才兵衛忠栄をして弔すとともに香奠を供える。また浅野内記長賢へも御悔あり[景永]。
☆正.29 三次浅野長治、山鹿素行宅に来臨す[素行年譜]。
☆4 長友、伊豆伊東へ湯治。これにつき松平(浅野)綱晟より度々書状にて見舞あり[景永]。
☆6.10 三次藩士某家僕、使に出でし主人の宿を探すも殺害さる。三次藩士下手人を捜して斬殺す[素行年譜]。
☆6.11 三次浅野長治、山鹿素行宅に来臨す[素行年譜]。
☆6.21 長友、八代君(綱晟室)疱瘡御酒湯の祝儀として1種を進上す[景永]。
☆10.5 山鹿素行、長直邸に至る[素行年譜]。
☆10.7 長直家臣浅井一学・近松伊看、山鹿底宅に来たる[素行年譜]。
☆12.13 山鹿素行甥山鹿千介正明、長直に拝謁し、400石を賜る[素行年譜]。夕方、素行父修玄庵貞以、病に罹る[素行年譜]。
☆12.22 山鹿素行父修玄庵貞以、死去す(81歳)[素行年譜]。
長直(56) 光晟
寛文6 1666 丙午 霊元 家綱 ☆正.1長友、病気が全快しないため年頭の登城せず〔景永〕。
☆正.14 山鹿素行亡父貞以の墓碑建つ〔素行年譜〕。
☆正.27 山鹿素行亡父貞以五七日。長直、素行に美魚・狩鳥を贈る〔素行年譜〕。
☆4.5 山鹿素行、初めて他出し、板倉重矩邸に至り、老中就任を賀す〔素行年譜〕。
☆4.10 山鹿素行、長直邸に至り慰弔の礼を述ぶ。且つ所々に至りて同様〔素行年譜〕。
☆5.7 山鹿素行、長直家臣大石頼母良重と石谷土入を享す〔素行年譜〕。
☆6.2 山鹿素行、三次浅野長治邸に至る〔素行年譜〕。
☆6.22 山鹿素行、瘧疾を発し、薬を用う〔素行年譜〕。
☆7.11 山鹿素行、瘧疾を再発す。久保玄貞の薬を服用す。長直、近日帰国のため素行宅に来臨す〔素行年譜〕。
☆7.28 三次浅野長治養子和泉守長尚(光晟実子)、広島にて逝去す〔景永〕。
☆8.29 三次浅野長治・本多対馬守、山鹿素行宅にて来話〔素行年譜〕。
☆8 浅野長尚逝去につき長友、松平(浅野)光晟へ書状にて弔す〔景永〕。
☆8 熊本藩士堀部友政(金丸甥)、知行200石を賜り御小姓組に加えられる〔堀部史−堀部氏系図、細川家家臣先祖附〕。
☆9.13 山鹿素行、三次浅野長治邸に到る〔素行年譜〕。
☆9.15 山鹿素行子「萬助」誕生す〔素行年譜〕。素行妾「不知」死す。宗参寺に葬る。法名「桂岩妙圓」〔素行年譜〕。
☆9.21 石谷市右衛門、山鹿素行に『聖教要録』の趣旨に保科正之立腹との板倉重矩の命を伝う。素行、林弥三郎を招いて一封の書を土屋但馬守に献ず〔素行年譜〕。
☆9.24 山鹿素行、磯部善右衛門宅に至る。三次浅野長治・本多對馬守来会す〔素行年譜〕。
☆9.25 本多對馬守、素行宅に来たる。『聖教要録』の罪が決定した旨を語る〔素行年譜〕。




長直(57) 光晟
寛文7 1667 丁未 霊元 家綱 ☆8.11 長友室、男子を出産。又市郎と命名す(後の内匠頭長矩)[景永・冷光1、寛政]。松平(浅野)綱晟より祝儀として樽肴1荷2種到来す。長友、綱晟へ返礼の進物を贈る[景永]。
☆12.朔 長友、将軍家綱へ病後の御礼を申上げ、箱肴を献上す[景永]。
長直(58) 光晟
寛文8 1668 戊申 霊元 家綱 ☆11.13 松平(浅野)綱晟、将軍家綱より拝領の御鷹の雁御披につき長友を招請す。長友、綱晟の許を訪れる[景永]。
☆12.27 松平(浅野)綱晟、侍従に任官す[景永]。
長直(59) 光晟
寛文9 1669 己酉 霊元 家綱 ☆正.25 松平(浅野)綱晟、任官の祝儀振舞のため長友を招請す[景永]。
☆4.14 松平(浅野)光晟、江戸参府[景永]。
☆4.29 松平(浅野)光晟、新宅(赤坂中屋敷)移徒につき長友はじめ一門を招請す[景永]。
長直(60) 光晟
寛文10 1670 庚戌 霊元 家綱 ☆6.25 長直、持病につき帰国ならず。長友、父の代わりに帰国の暇を願出たところ許可ありて、将軍家綱より時服5・羽織を拝領す[景永]。
☆是頃か 長友、江戸発駕[景永]。
☆7.29 長友、初めて在所赤穂へ入国し、この旨を老中へ報ず。松平(浅野)光晟より長友へ入国の祝儀として太刀・金馬代・樽肴1荷2種到来、使者三上惣左衛門重易[景永]。
☆9.10 夜、長直、中風を発し半身不随・言語不明瞭の状態となる[景永]。
☆9.19 長直重病につき久世大和守廣之見舞う。土屋但馬守数直より「浅野長治はじめ一門衆談合し、長友江戸参府を老中へ願い出たところ将軍家綱の上聞に達した」旨の手紙長友の許に到来す[景永]。長友、赤穂を発足す[景永]。
☆10.4 長友、江戸参府[景永]。
☆10.29 江戸に於いて長友室、男子を出産、犬千代と命名す(後の大学長広)。松平(浅野)光晟、長友と長友室へ祝儀として樽代金各500疋・肴各1種、犬千代へ銀10枚・肴1種を贈る[景永]。
☆12.3 内藤源兵衛忠慶(長友室兄)逝去す。これにより松平(浅野)光晟より長友へ御悔あり[景永]。
☆12.5 浅野犬千代出産による松平(浅野)光晟よりの祝儀、長友の許へ到来す[景永]。
☆12.15 長友登城し、将軍家綱へ参勤の御礼を申上げ、時服3・太刀・銀馬代を献上す[景永]。
長直(61) 光晟
寛文11 1671 辛亥 霊元 家綱 ☆3.4 土屋数直よりの長友・浅野内記長賢・長三郎長恒へ明日登城すべき旨を杉浦内蔵允申し来る[景永]。
☆3.5 長友・長賢・長恒登城し、白書院御次之間において老中より長直の願い通りに隠居を許され、長直領地5万3千石の内5万石を長友が相続し、長賢へ3500石、長恒へ新田3000石の分知を申し渡される[景永、寛政]。
☆3.21 長友登城し、将軍家綱へ家督の御礼を申上げ、太刀・金30枚・小袖10を献上し、家綱御台所へも銀20枚を献上す。浅野長賢・長恒も登城し、分知の御礼として太刀・金2枚を将軍家綱に献上す[景永]。
☆3.28 長友、家督の祝儀として松平(浅野)岩松(綱長)へ進物を贈ったところ返礼として大判1枚到来す[景永]。
☆4.朔 長友、家督の祝儀として松平(浅野)光晟へ太刀・金馬代・蝋燭300挺を使者奥野将監をして進上す。長友室も光晟へ使者松本喜兵衛をして進物を贈る[景永]。
☆4.4 松平(浅野)光晟、長友へ金馬代・羅勢板1端・鶴1羽、長友室へは樽代1000疋・肴1種、浅野長賢・長恒へは金馬代・肴1種宛を使者高木八兵衛をして贈り、到来す[景永]。
☆4.5 松平(浅野)光晟、江戸参府[景永]。
☆4.6 松平(浅野)光晟参府につき浅野本家上屋敷へ上使土屋数直来訪につき長友、本家上屋敷へ赴く[景永]。
☆4.8 松平(浅野)光晟、浅野長吉参勤の御礼のため登城す。長友も登城して合流す[景永]。
☆4.20 将軍家綱上野参詣、大猷院殿21回忌法事[景永]。
☆4.22 松平(浅野)綱長、初めて登城し将軍家綱に拝謁につき長友、祝儀として肴1種を使者を以て進上す。綱長よりも返礼として樽代500疋・肴到来す[景永]。
☆4.26 長友、家督の祝儀として松平(浅野)光晟・綱晟・浅野式部少輔長吉を招請す。また、沖権太夫吉忠・岡本主馬貞清・太田彦三郎重矩・下方左近貞信等を共に連れるよう申し入れる[景永]。
☆5.朔 晩、浅野長吉振舞につき長友、長吉邸へ来訪す[景永]。
☆5.8 尾張中納言光義(光友)振舞につき長友、松平(浅野)光晟・綱晟・浅野長治等と同道して尾張邸に赴く[景永]。
☆5.10 松平(浅野)光晟、将軍家綱より拝領の鶴御披につき長友を招請す。長友、光晟邸に来訪す[景永]。
☆5.22 松平(浅野)光晟、久世廣之を振舞す。長友相伴す[景永]。
☆5.25 松平(浅野)光晟、長友を家督の祝儀振舞のため招請す。浅野長賢・松平織部・松平主馬定逸・佐々又兵衛等相伴す。また奥野将監にも料理を下さる。大石良重・岡林杢之介直宗にも料理を下さる仰せあれども出席せず[景永]。大石良重・岡林直宗、長友へ祝儀として御腰物行秀(代金10枚)を佐々又兵衛持出にて進上す[景永]。
☆6.3 松平(浅野)光晟邸へ甲斐恵林寺の僧侶、蒔田権佐定行を同道して来訪す。長友他来客あり。恵林寺、武田信玄の旗・判物等持参につき長友ら拝見す[景永]。
☆6.5 長友、家督の祝儀として進物を贈った植木小右衛門武利に返書を遣わす[景永]。浅野長恒も新知拝領の祝儀として進物を贈った植木武利に返書を遣わす[景永]。
☆6.6 長友、浅野長賢・長恒の「明細書」を提出す[景永]。
☆6.15 松平(浅野)光晟・浅野長吉、大老酒井雅楽頭忠清を振舞す。長友相伴す[景永]。
☆6.18 長友、松平(浅野)光晟へ入国祝儀の返礼として笹田彦左衛門を以て銀馬代・1荷2種を進上す[景永]。
☆8.17 赤穂藩士千馬伯規(四十七士千馬光忠養父)没。法名「理學宗心信士」[赤穂花岳寺義士家族墓碑銘]。
☆11.9 松平(浅野)光晟、将軍家綱より拝領の鶴御披につき長友を招請す。長友出席せず[景永]。
☆12.7 長友、松平(浅野)綱晟次男大助(後の三次3代土佐守長澄)御七夜の祝儀として産衣2重・肴1種を使者にて進上す[景永]。
長直(62)
長友(29)
光晟
寛文頃? ☆赤穂城内三の丸の大石邸庭園泉池完成か[新義6]。
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