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赤穂事件関係年譜 9
【赤穂事件補遺年譜 2】
−宝暦9(1759)〜文政4(1821)−
更新 2004/11/28

《年譜》
年 号 西 暦 干支 天 皇 将軍 事 項 赤穂 本家
宝暦91759己卯桃園家重 ☆5.晦 近江水口藩士冨森正福(四十七士冨森正因子)嫡男亦三郎正屋死去す。法名實參元道信士[泉岳寺冨森家墓碑銘]。 長延 宗恒
宝暦10 1760 庚辰 桃園 家重
家治
☆正.26 浅野長延(大學家)、進物の事を勤める[寛政]。
☆2 熊本藩士堀部言真(金丸養子)、隠居す[堀部史−堀部氏系図、細川家家臣先祖附]。
長延 宗恒
宝暦111761辛巳桃園家治☆7.10 熊本藩士堀部言真(金丸養子)、江戸に於いて没す(75歳)。法名「退退院萬休無外居士」、墓所芝愛宕下青松寺[堀部史−堀部氏系図、細川家家臣先祖附]。 長延 宗恒
宝暦12 1762 壬午 桃園
後桜町(女帝)
家治 ☆正.晦 近江水口藩士冨森助右衛門正福(四十七士冨森正因子、幼名長太郎)、死去す(62歳)。法名義功清運居士、江戸泉岳寺に葬る[泉岳寺冨森家墓碑銘]。長延 宗恒
宝暦13 1763 癸未 後桜町 家治 ☆7.15 浅野長延(大學家)、大坂目付代となる[播磨赤穂浅野家譜]。
☆7.19 浅野長延(大學家)、朝鮮人来朝につき道中往来道筋見分を勤める[播磨赤穂浅野家譜]。
長延 宗恒
重晟
宝暦14
明和元
1764 甲申 後桜町 家治 ★6.2 改元。 長延 重晟
明和2 1765 乙酉 後桜町 家治 長延 重晟
明和3 1766 丙戌 後桜町 家治 ☆2.8 赤穂城主森和泉守忠洪、赤穂城内に明神社を建立す[森家大系図]。
☆4.5 赤穂城主森和泉守忠洪、赤穂城内に祖先(森可成・長可・忠政)を祀る「三霊祠」を建立す[森家大系図]。
☆11.28 浅野長延(大學家)、進物の事を辞す[寛政]。
長延 重晟
明和4 1767 丁亥 後桜町 家治 ☆正.21 近江水口藩士冨森正幸(正福養子)妻冨女死去す。法名春峰了雪信女[泉岳寺冨森家墓碑銘]。
☆5.7 浅野長延(大學家)、小性組番を辞す[寛政]。
☆11 浅野長純次男長貞(大學家)、兄長延の養子となる[播磨赤穂浅野家譜]。
長延 重晟
明和5 1768 戊子 後桜町 家治 ☆6.22 後安永五、大坂より休息として帰国中の苓内氏に請うて「義士文章」を急ぎ筆写す[纂書1]。
☆8.3 浅野長延(大學家)致仕し、養子大學長貞家督を相続す[寛政]。
☆12.5 浅野長貞(大學家)、はじめて将軍家治に拝謁す[寛政]。
長延
長貞
重晟
明和6 1769 己丑 後桜町 家治 長貞 重晟
明和7 1770 庚寅 後桜町
後桃園
家治 長貞 重晟
明和8 1771 辛卯 後桃園 家治 長貞 重晟
明和9
安永元
1772 壬辰 後桃園 家治 ★11.16 改元。 長貞 重晟
安永2 1773 癸巳 後桃園 家治 長貞 重晟
安永3 1774 甲午 後桃園 家治 長貞 重晟
安永4 1775 乙未 後桃園 家治 ☆2.24 浅野長貞(大學家)、小性組番士となる[寛政]。 長貞 重晟
安永5 1776 丙申 後桃園 家治 長貞 重晟
安永6 1777 丁酉 後桃園 家治 長貞 重晟
安永7 1778 戊戌 後桃園 家治 長貞 重晟
安永8 1779 己亥 後桃園
光格
家治 長貞 重晟
安永9 1780 庚子 光格 家治 長貞 重晟
安永10
天明元
1781 辛丑 光格 家治★4.2 改元。 長貞 重晟
天明2 1782 壬寅 光格 家治 長貞 重晟
天明3 1783 癸卯 光格 家治 ☆5 佐久間太華、「断復讐論」を著す[纂書1]。 長貞 重晟
天明4 1784 甲辰 光格 家治 長貞 重晟
天明5 1785 乙巳 光格 家治 ☆正.28 邨尾祐誠、藤井永耆翁より「吉田忠左衛門覚書」(享保5年写)を借りて筆写す[纂書1]。 長貞 重晟
天明6 1786 丙午 光格 家治 ☆10.11 浅野長貞(大學家)、安房国平郡正木村の領地を改めて上総国長柄郡北高根村・関村に移さる[寛政・播磨赤穂浅野家譜]。 長貞 重晟
天明7 1787 丁未 光格 家齊 長貞 重晟
天明8 1788 戊申 光格 家齊 長貞 重晟
天明9
寛政元
1789 己酉 光格 家齊★正.25 改元。 長貞 重晟
寛政2 1790 庚戌 光格 家齊 長貞 重晟
寛政3 1791 辛亥 光格 家齊 長貞 重晟
寛政4 1792 壬子 光格 家齊 ☆正.4 浅野長延(大學家)没(播磨赤穂浅野家譜には5日とあり)。法名「大善院殿喝山恕休居士」、葬地泉岳寺[泉岳寺赤穂浅野家墓碑銘]。 長貞 重晟
寛政5 1793 癸丑 光格 家齊 長貞 重晟
寛政6 1794 甲寅 光格 家齊 ☆5.24 近江水口藩士冨森助右衛門正幸(正福養子)、隠居し家督は長太良郎正盈が相続す[水口藩士先祖系譜録]。
☆5.29 近江水口藩士冨森正幸(正福養子)死去す。法名直翁春舩居士[泉岳寺冨森家墓碑銘]。
☆6.19 近江水口藩士長太郎正盈(正幸子)、水口藩高輪下屋敷に於いて切腹を命ぜられる(28歳)。法名義存全勇居士。これにより冨森家断絶す[水口藩士先祖系譜録、泉岳寺冨森家墓碑銘]。
☆11.14 浅野長貞長男久次郎長邦(大學家)、芸術出精につき部屋住にて切米300俵賜り、御書院番士となる[播磨赤穂浅野家譜・寛政]。
長貞 重晟
寛政7 1795 乙卯 光格 家齊 長貞 重晟
寛政8 1796 丙辰 光格 家齊 ☆正.3 近江水口藩士冨森正盈姉せの(正幸女)死去す。法名玉室壽仙禪尼[泉岳寺冨森家墓碑銘]。 長貞 重晟
寛政9 1797 丁巳 光格 家齊 ☆F.16 朽木老君、「義士親類書」(水野家・細川家御預分)を筆写す[纂書1]。 長貞 重晟
寛政10 1798 戊午 光格 家齊 長貞 重晟
寛政11 1799 己未 光格 家齊 長貞 重晟
斉賢
寛政12 1800 庚申 光格 家齊 長貞 斉賢
寛政13
享和元
1801 辛酉 光格 家齊 ★2.5 改元。 長貞 斉賢
享和2 1802 壬戌 光格 家齊 長貞 斉賢
享和3 1803 癸亥 光格 家齊 ☆8 越智直澄、芝廣岳院旦那矢島氏筆写の「泉岳寺書上」を借りて写す[纂書1]。長貞 斉賢
享和4
文化元
1804 甲子 光格 家齊 ★2.11 改元。 長貞 斉賢
文化2 1805 乙丑 光格 家齊 長貞 斉賢
文化3 1806 丙寅 光格 家齊 長貞 斉賢
文化4 1807 丁卯 光格 家齊 長貞 斉賢
文化5 1808 戊申 光格 家齊 ☆5.26 浅野長貞(大學家)没(「播磨赤穂浅野家譜」には6月3日とあり)。法名「良俊院殿仁嶺道儀居士」、葬地泉岳寺[泉岳寺赤穂浅野家墓碑銘]。
☆8.4 浅野長貞長男長邦(大學家)、父の遺跡を相続し、今まで賜っていた切米300俵を返上す[播磨赤穂浅野家譜]。
長貞
長邦
斉賢
文化6 1809 己巳 光格 家齊 長邦 斉賢
文化7 1810 庚午 光格 家齊 長邦 斉賢
文化8 1811 辛未 光格 家齊 長邦 斉賢
文化9 1812 壬申 光格 家齊 長邦 斉賢
文化10 1813 癸酉 光格 家齊 長邦 斉賢
文化11 1814 甲戌 光格 家齊 長邦 斉賢
文化12 1815 乙亥 光格 家齊 長邦 斉賢
文化13 1816 丙子 光格 家齊 ☆7.27 浅野長邦(大學家)実母没。法名「鶴壽院殿自繁妙榮大姉」、葬地泉岳寺[泉岳寺赤穂浅野家墓碑銘]。
☆12.14 浅野長邦(大學家)室小林氏没。法名「智月院殿梅室貞薫大姉」、葬地泉岳寺[泉岳寺赤穂浅野家墓碑銘]。
長邦 斉賢
文化14 1817 丁丑 光格
仁孝
家齊 長邦 斉賢
文化15
文政元
1818 戊寅 仁孝 家齊 ★4.22 改元。 長邦 斉賢
文政2 1819 己卯 仁孝 家齊 ☆是歳 磐城平藩士鍋田三善(晶山)、三宅観瀾著「烈士報讐録」(若狭奥田吉従蔵本)を筆写す[纂書1]。 長邦 斉賢
文政3 1820 庚辰 仁孝 家齊 長邦 斉賢
文政4 1821 辛巳 仁孝 家齊 ☆2.14 山崎美成、清水正徳蔵本「涙襟集序目」を筆写す[纂書1]。長邦 斉賢
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