ホーム||史料館入口||年譜目次|   << 赤穂事件関係年譜 凡例 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14>>
赤穂事件関係年譜 3
【赤穂浅野藩年譜 3 浅野長友(景永院殿)】
−寛文12(1672)〜延宝3(1675)−
更新 2003/11/22

《年譜》
年 号 西 暦 干支 天 皇 将軍 事 項 赤穂 本家
寛文121672壬子霊元家綱☆正.9 長友屋敷(上屋敷か)移徒につき松平(浅野)光晟、祝儀として樽肴1荷2種を使者を以て贈る[景永]。
☆3.27 松平(浅野)光晟、長友明日老中招請につき三原樽2・黒鶴1羽を使者を以て贈る[景永]。
☆3.28 長友、家督の祝儀として老中を招請す[景永]。
☆4.18 松平(浅野)光晟、願いにより隠居を許され、家督は綱晟が相続する。長友、この祝儀として進物を贈る。綱晟より長友へ太刀・金5枚・肴1種を使者にて到来す[景永]。
☆6.4 松平(浅野)光晟、隠居の祝儀として長友を招請す[景永]。
☆6.21 稲葉美濃守正則、長友へ明日登城すべき旨を書状にて伝える[景永]。
☆6.22 長友登城し、家督後初めての在所への暇を賜り、将軍家綱より時服5・羽織を拝領す[景永、寛政]。
☆是頃 長友、長直病気につき江戸発足を延引す[景永]。
☆E.23 松平(浅野)綱晟、長友を招請す。相客あり[景永]。
☆7.18〜19頃 長直、病気再発す[景永]。
☆7.19 仙石主税助政明(信濃上田城主)と中川佐渡守久恒(豊後岡城主)女縁組につき長友、松平(浅野)光晟へ書状にて祝う。光晟、長友へ縁組首尾よく整った旨を報ず[景永]。
☆7.21 長直重体につき治療並びに薬を幕府医師井上玄徹を所望のところ老中より許可の奉書が遣わされる[景永]。
☆7.24 長直、逝去(63歳)。江戸芝泉岳寺に於いて火葬す[景永、寛政]、法名久岳院殿前朝散大夫行少府僚湖山常清大居士[泉岳寺浅野長直墓碑銘]。なお法名「湖山」の「山」は「珊」ともあり[久岳1・景永]。遺骸は大石良重が奉持して赤穂花岳寺に納骨[景永]。松平(浅野)光晟、長友へ使者を遣わし長直逝去を弔し、香典銀5枚を贈る[景永]。長友、光晟へ父長直の遺物「雪舟観音之絵」1幅を使者を以て進上す[景永]。
☆9.15 松平(浅野)綱晟、家督の祝儀振舞につき長友を招請す[景永]。
☆9.28 長友、長直逝去につき赤穂へ使者を遣わして香典を供えた本家御船奉行植木小右衛門武利(はじめ六兵衛、もと赤穂浅野家御船奉行)へ返書を遣わす[景永]。
☆10.10 長友、江戸発足[景永]。
☆10.29 長友、家督後初めて赤穂入国[景永]。
☆11.朔 長友、入国の御礼として老中方へ使者を遣わす[景永]。
☆是頃 松平(浅野)綱晟より長友へ入国の祝儀太刀・馬代金10両・2種両樽、使者を以て到来す。松平(浅野)光晟は隠居につき書状にて入国を祝う[景永]。
☆12.20 長友室、疱瘡にて逝去、法名戒珠院殿理菴榮智大姉、葬地赤穂大蓮寺[景永・冷光1]。松平(浅野)光晟よりの弔問状到来す[景永]。
☆12 松平(浅野)綱晟疱瘡を病む。長友、病中の綱晟へ家臣大野九郎兵衛・豊田勘兵衛を附置かせる[景永]。
長友(30) 光晟
綱晟
寛文13
延宝元
1673癸丑霊元家綱 ☆正.2 松平(浅野)綱晟逝去す(37歳)、法名天心院殿前四品拾遺徹性日通大居士[景永]。長友、松平(浅野)光晟へ書状にて弔す[景永]。
☆2.6 広島国泰寺にて天心院殿(浅野綱晟)法事執行につき長友、使者安藤善右衛門をして香典銀20枚を供える[景永]。
☆3.9 松平(浅野)綱長より長友へ父綱晟遺物として光世脇差(代金10枚)到来す[景永]。
☆3.19 松平(浅野)綱長、遺領相続の祝儀として長友へ太刀・金馬代・肴1種を進上す[景永]。
☆3.26 長友、松平(浅野)綱長遺領相続の祝儀として太刀・金馬代・1荷2種を進上す[景永]。
☆5.19 長友、帰国のため赤穂発足予定を領内洪水損亡につき延引す[景永]。
☆5.28 長友、赤穂発足。長友、松平(浅野)光晟へ参勤延引の様子等を報ず[景永]。
☆6.11 長友、参勤の途中なりしも疱瘡にて尾張熱田に1泊、その後小田原まで至れども疼悶眩暈の症状にて逗留す[景永]。
☆6.22 松平(浅野)綱長・光晟、書状にて長友を見舞う[景永]。
☆7.9 長友、病につき参勤の御礼を名代の使者を以て済ませる。名代、将軍家綱へ太刀・金馬代・綿100把、御台所へ銀5枚を献上す。女中方へも進物あり[景永]。
☆7.12 長友室父内藤忠政(はじめ忠種)逝去す、法名知洞院殿性誉覚本大居士[冷光1]。
☆7.24 松平(浅野)綱長、久岳院殿(長直)1周忌につき使者伴十郎兵衛資政をして香典銀10枚を泉岳寺へ供える[景永]。
★9.21 改元。
☆10.朔 松平(浅野)綱長近日帰国につき長友、使者を以て猟彪鞍覆2掛・肴1種を進上す[景永]。
☆10.8 松平(浅野)綱長・光晟江戸発足につき長友、暇乞の使者を遣わす。長友、戸塚駅まで飛札を遣わし、綱長・光晟へ大和柿1箱・粕漬の鯛1桶を進上す[景永]。
☆10.28 松平(浅野)綱長・光晟赤穂表渡海につき赤穂浅野家より音信あり[景永]。
☆11.4 松平(浅野)綱長、安藝入国[景永]。
☆11.15 長友、松平(浅野)綱長の入国祝儀として大石内蔵助良欽を遣わし、太刀・金馬代・2種双樽を進上す。追って綱長より長友へ入国の祝儀として肴1種到来す[景永]。
長友(31) 綱晟
綱長
延宝2 1674 甲寅 霊元 家綱 ☆正.元 長友、年頭の祝儀として将軍家綱へ太刀目録を使者をして献上す[景永]。
☆3.21 松平(浅野)綱長、江戸参府[景永]。
☆3.25 松平(浅野)綱長、参勤の御礼につき祝儀として長友へ大判1枚を贈る[景永]。
☆6 長友、例年の通り帰国予定を病気につき在府したき旨を老中に願い出て許される[景永]。
☆夏 赤穂領内出水[景永]。
☆7.24 久岳院殿(長直)3回忌につき泉岳寺にて法事あり。松平(浅野)綱長、使者をして香典銀5枚を供える[景永]。
☆9 赤穂領内台風高潮にて海辺の堤破損す[景永]。
長友(32) 綱長
延宝31675乙卯霊元家綱☆正.元 長友、年頭の祝儀として使者をして将軍家綱へ太刀目録を献上す[景永]。
☆正.19 浅野長治逝去につき長友、松平(浅野)光晟へ書状にて弔す[景永]。
☆正.26 長友、夜前より持病強く発し午刻に逝去す。病中松平(浅野)綱長より見舞として長友邸来訪あり[景永、寛政]。長友の遺骸、泉岳寺にて火葬、葬礼あり[景永]、法名景永院殿前朝散大夫行釆女令心巌異即大居士[泉岳寺浅野長友墓碑銘]。泉岳寺にて7日間法要あり[景永]。追って松平(浅野)光晟より御悔の使者として森甚右衛門正勝遣わされる。また、赤穂家老へも進藤左吉俊信が遣わされる[冷光1]。
☆2.2 景永院殿(長友)法事につき松平(浅野)綱長、泉岳寺に参詣し香典銀20枚を供える[景永]。
☆2.3 長友遺骨、江戸を立つ。のち赤穂花岳寺へ納骨、3日間法事あり。在広島の松平(浅野)光晟、使者友田伝左衛門嘉治を赤穂へ遣わして香典銀10枚を供える[景永]。
☆3.22 長友嫡子又市郎、明日登城を命ぜられる[冷光1]。
☆3.23 又市郎登城し、長友の遺領相続を仰付られる[冷光1、寛政]。
☆4.7 又市郎登城し、将軍家綱へ家督の御礼を申上げ、太刀・金20枚・袷10・父長友遺物備前守家の刀(代金20枚)を献上す。また御台所へも銀20枚を献上す、女中衆へも進物あり[冷光1、寛政]。松平(浅野)綱長より又市郎へ家督の祝儀として大判1枚・小羅紗1及、光晟より太刀・金馬代・肴1種到来す。又市郎も2人へ返礼す[冷光1]。
☆C.23 朝、又市郎と三次藩主浅野式部少輔長吉妹阿久里姫(長治女)との縁組を旗本大久保右京を以て大老酒井忠清・老中へ願出る。書付は老中稲葉美濃守正則請取る[冷光1]。
☆5.23 松平(浅野)綱長縁組許可につき又市郎、広島へ祝儀として肴1種を進上し、本家江戸屋敷へも祝の使者を遣わす[冷光1]。
☆6.24 老中より赤穂浅野家御預の山鹿甚五左衛門高興(素行)赦免の沙汰あり(大猷院殿25回忌大赦)[冷光1]。
☆6.25 又市郎のもとへ観理院・圓覚院よりの山鹿素行赦免を報じた書状到来[冷光1]。
☆7.8 又市郎の縁組許可[冷光1]。
☆7.22 松平(浅野)綱長より又市郎へ縁組祝儀として肴1種到来[冷光1]。
☆8.12 又市郎、松平(浅野)綱長へ縁組祝儀の返礼す[冷光1]。
☆9.29 松平(浅野)綱長、丹羽左京大夫光重母逝去につきにつき又市郎へ弔問状を遣わす[冷光1]。 
長友(33)
長矩(9)
綱長
<<凡例  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14>>