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赤穂事件関係年譜 4
【赤穂浅野藩年譜 4 浅野長矩(冷光院殿)】
−延宝4(1676)〜元禄13(1700)−
更新 2004/10/01

《年譜》
年 号 西 暦 干支 天 皇 将軍 事 項 赤穂 本家
延宝41676丙辰霊元家綱☆正.26 景永院殿(長友)1周忌につき松平(浅野)綱長、小山孫六良速を赤穂へ遣わして香典銀10枚を供える[冷光1]。
☆8.朔 又市郎、将軍家綱へ八朔の祝儀として太刀目録を献上す[冷光1]。
☆10.19 江戸に於いて浅野長治後室齢松院逝去につき又市郎、三次藩浅野長吉へ弔問として山羽理左衛門を遣わす[冷光1]。
☆11.4 山羽理左衛門、弔問の使者を勤む[冷光1]。
☆11.8 松平(浅野)綱長へ尾張中将綱義(後の綱誠)養女貴姫(実は徳川光友女)入輿につき又市郎、綱長邸へ詰める[冷光1]。
☆11.9 又市郎、松平(浅野)綱長へ婚礼祝儀として金馬代・肴1種を使者をして進上す[冷光1]。
☆11.12 尾張綱義、松平(浅野)綱長を招請す。又市郎も尾張邸へ赴く[冷光1]。
☆11.14 松平(浅野)綱長より返礼として金馬代・肴1種、貴姫より1荷2種、使者をして又市郎の許に到来す[冷光1]。松平(浅野)光晟、祝儀振舞につき尾張綱義を招請す[冷光1]。
☆11.25 尾張綱義、松平(浅野)光晟招請につき又市郎も招請す[冷光1]。
☆12.10 松平(浅野)光晟、又市郎を招請すれども出席せず[冷光1]。
長矩(10) 綱長
延宝51677丁巳霊元家綱 ☆4.4 評定所に於いて公儀代官関口作左衛門、代官所勘定滞を咎められ又市郎へ御預を命ぜられる[冷光1、寛政]。
☆4.12 尾張中納言光友・松平摂津守義行、婚礼祝儀として松平(浅野)綱長を招請す。又市郎も尾張邸へ赴く[冷光1]。
☆5.9 尾張中納言光友・松平摂津守義行、婚礼祝儀として松平(浅野)光晟を招請す。又市郎も尾張邸へ赴く[冷光1]。
☆7.26 日根野権十郎、又市郎邸に赴き、又市郎御預の関口作左衛門に切腹の上意を伝達す[冷光1]。
☆7 又市郎、浅野長吉妹阿久利姫へ結納の祝儀を贈る[冷光1]。
☆9.1 浅野家臣(笠間)吉田助兵衛之貫(四十七士吉田兼亮・貝賀友信父)姉で同家中岡嶋善右衛門妻(四十七士岡嶋常樹養母)死去す。法名「至岸清休信女」[赤穂花岳寺義士家族墓碑銘]。
長矩(11) 綱長
延宝6 1678 戊午 霊元 家綱 ☆3.21 近日阿久利姫又市郎屋敷へ引越につき、松平(浅野)光晟より又市郎へ御懸盤2人分・肴1種到来す[冷光1]。
☆4.9 阿久利姫、又市郎屋敷へ引越す。これにより阿久利姫、松平(浅野)光晟へ祝儀として肴1種を進上す[冷光1]。
☆5.10 松平(浅野)光晟、阿久利姫引越の祝儀として又市郎・阿久利姫へ祝儀として肴1種宛を贈る。追って松平(浅野)綱長より又市郎へ肴1種到来す[冷光1]。
☆8.朔 又市郎、八朔の祝儀として使者をして将軍家綱へ太刀目録を献上す[冷光1]。
長矩(12) 綱長
延宝71679己未霊元家綱☆正.3 又市郎登城し、将軍家綱へ年頭の御礼を申上げ、太刀目録を献上す[冷光1]。
☆6.朔 松平(浅野)光晟、初めて阿久利姫の許へ来訪し、縮緬5巻・肴1種を持参す[冷光1]。
☆7.10 又市郎、領内風雨にて破損につき「損亡之御書付」を老中へ差出す[冷光1]。
長矩(13) 綱長
延宝8 1680 庚申 霊元 家綱
綱吉
☆正.2 又市郎、年頭の祝儀として使者をして将軍家綱へ太刀目録を献上す[冷光1]。
☆6.26 又市郎母方叔父内藤和泉守忠勝(志摩鳥羽城主)、増上寺に於いて遺恨ありとして永井信濃守尚長(丹後宮津城主)に刃傷に及ぶ[冷光1・厳有院殿御記録]。尚長は死亡。
☆6.27 内藤忠勝、青龍寺に於いて切腹を命ぜられる[冷光1]。
☆8.18 又市郎、従五位下に叙位す[冷光1、寛政]。松平(浅野)綱長より又市郎へ祝儀として大判1枚を使者を以て到来す[冷光1]。
☆8.21 又市郎、内匠頭と改める(以後、長矩と統一)[冷光1]。
☆G.10 長矩登城し、将軍家綱へ官位の御礼を申上げ、銀馬代を献上す[冷光1]。
☆12.12 長矩、叙任の祝儀として松平(浅野)綱長等を招請す。大石良重も召出されて盃を賜る。長矩、本家の沖権太夫元忠・近藤杢左衛門勝正等へ盃を遣わし、大石良重と長矩医師里村仍へ料理を与える[冷光1]。
長矩(14) 綱長
延宝9
天和元
1681 辛酉 霊元 綱吉 ☆正.2 長矩、年頭の祝儀として将軍綱吉へ使者を以て太刀目録を献上す[冷光1]。
☆2.21 松平(浅野)綱長、去年の将軍代替・徳川綱吉将軍宣下の祝儀として長矩他一家衆を招請す。御能あり[冷光1]。
☆2.25 松平(浅野)綱長、旗本衆を招請す。長矩も綱長邸へ赴く。御能あり[冷光1]。
☆2.27 松平(浅野)綱長、尾張綱誠を招請す。長矩も綱長邸へ赴く。御能あり[冷光1]。
☆3 長矩、台命により江戸神田橋惣御門御番を勤む[冷光1]。
☆4.10 阿久利姫、御鉄醤初。また、初めて松平(浅野)光晟屋敷へ来訪し、肴1種を持参す。光晟より阿久利姫へ縮緬5巻・肴1種、大御前(光晟室)よりは綸子2巻・肴1種を拝受す[冷光1]。
☆5.8 将軍綱吉上野参詣、長矩供奉す[冷光1]。
☆7.朔 松平(浅野)綱長室、男子を出産、岩松と命名す(後の吉長)[冷光1]。
☆7.6 長矩、松平(浅野)岩松御七夜の祝儀として使者をして松平(浅野)綱長室へ樽肴1荷2種、岩松へ小脇差(左国弘・代金5枚)・産衣2重・肴1種を進上す。綱長へは進藤與四郎を遣わし、書状を以て太刀・金馬代・樽肴を進上す[冷光1]。
☆7.21 長矩使者近藤與四郎、広島城に登城し松平(浅野)拝謁し盃を賜る。その後、組頭伴資政相伴にて料理も下さる[冷光1]。追って綱長・綱長室より長矩へ使者をして祝儀物到来す[冷光1]。
☆8.27 熊本藩士堀部友政(金丸甥)次男重蔵知英、御児小姓となる[堀部史−堀部氏系図、細川家家臣先祖附]。
★9.29 改元。
☆11.朔 長矩、屋敷近所火消役を命ぜられる[冷光1]。
☆11.22 上野沼田城主真田伊賀守信利改易、その身は奥平小次郎昌章(下野宇都宮城主)に御預となる。信利嫡子弾正忠信就は評定所に於いて長矩へ御預を命ぜられる。赤穂浅野家、信就を請取る[冷光1]。
長矩(15) 綱長
天和2 1682 壬戌 霊元 綱吉 ☆2.10 播磨姫路城主松平大和守直矩(15万石)改易し、新たに豊後国日田7万石を賜る。これにつき長矩、播磨家嶋海辺要害の守護を命ぜられる[冷光1]。
☆3.28 当秋朝鮮通信使来聘につき長矩、伊豆三島駅にての御馳走御用を命ぜられる。これによって江戸城にて「御馳走勤方之御書付」を請取る。相役木下肥後守公定(備中足守藩主)[冷光1]。
☆3 長矩、屋敷近所火消役御免[冷光1]。
☆4.朔 奏者番兼寺社奉行水野右衛門大夫忠春(三河岡崎城主)、赤穂浅野家家臣堀部弥兵衛金丸へ朝鮮通信使御馳走の書付を渡す[冷光1]。
☆4.16 長矩、木下公定と同道して水野忠春へ「勤向御伺之御書付」を持参す[冷光1]。
☆4.18 浅野・木下両家家来、水野忠春より呼び出され「勤向御伺之御書付」について付札を以て指図あり[冷光1]。
☆4 赤穂浅野家、播磨家嶋海辺要害御番所を請取り、家中勤番す(6月まで)[冷光1]。
☆5.16 長矩朝鮮通信使御馳走として伊豆三島へ赴くにつき松平(浅野)綱長より猩々緋10間到来す[冷光1]。
☆6.朔 尾張綱誠、松平(浅野)綱長招請につき長矩、相伴として赴く[冷光1]。
☆6.4 道中朝鮮通信使宿所を宗対馬守義真(対馬府中城主)に渡すこと並びに宿所囲見分として義真家来来訪につき馬人足滞り無き旨、書付にて達あり[冷光1]。
☆6.18 長矩・木下公定、水野忠春へ朝鮮通信使御馳走勤向に関して書付にて諸事を伺う[冷光1]。
☆6.19 三次浅野長照病気につき松平(浅野)綱長、弟大助(後の土佐守長澄)養子願を差出につき老中へ願書持参の件を長矩に依頼す。長矩、旗本蒔田権佐定行と同道し老中方へ赴く。月番阿部豊後守正武と面謁し願書を提出す[冷光1]。
☆6.21 水野忠春より長矩・木下公定へ6月18日の伺に対して付紙にて指図あり[冷光1]。長矩・木下公定、三島在番中旅宿の儀につき水野忠春へ書付にて伺ったところ指図あり[冷光1]。
☆6.25 浅野家家臣堀部金丸・木下家家来申合わせ、水野忠春へ御馳走の節の料理人の件について問い合わせたところ忠春家来より返答あり[冷光1]。老中阿部正武、浅野長照養子の儀につき大助へ誓紙を出すよう指図のため長照屋敷へ大目付坂本右衛門佐重治が赴く。長矩・蒔田定行も誓紙に立会う[冷光1]。
☆6 本多中務大輔政武(陸奥福島城主)姫路転封につき赤穂浅野家、播磨家嶋海辺要害番所を本多家へ引渡す[冷光1]。
☆7.21 京都所司代稲葉丹後守正通より朝鮮通信使一行の人数を宗義真より伝えてきた旨を書付を以て達あり[冷光1]。
☆7.25 松平(浅野)綱長・丹羽若狭守長次、長矩の朝鮮通信使御馳走に際して前髪執を相談し、老中大久保加賀守忠朝(下総佐倉城主)へ内意を伺ったところ尤との指図あり。長矩、前髪執。これにより綱長、進藤左吉俊信を附置せらる。その後、綱長使者西山小左衛門兼昌が祝として遣わされるも兼ねてよりの申し出により音物は断る[冷光1]。
☆7.晦 水野忠春より長矩・木下公定へ朝鮮国より献上の鷹・馬、7月17日大坂着岸、通信使7月26日大坂着船の旨を報じた書状到来[冷光1]。長矩、公定と申し合わせて忠春の許を訪れ、通信使三島参着の節老中へ届けるべきかを伺う。忠春、「御伺之通」と指示す。また、その他諸事も伺う[冷光1]。
☆8.4 長矩、木下公定と申合わせて老中大久保忠朝を訪れ、口上にて朝鮮通信使参着の際に届けるべきかを伺う。忠朝より指示あり。長矩・公定、帰り際に水野忠春を訪れ忠朝へも伺った旨を伝える[冷光1]。
☆8.5 松平(浅野)綱長・長矩、御用の儀につき明日4ツ時登城の老中よりの切紙到来[冷光1]。
☆8.6 長矩、松平(浅野)綱長と同道して登城し三次浅野長照養子の儀、上聞に達し願の通り許可の旨を老中列座の上、堀田備中守正俊が上意を伝える(蒔田定行も長矩等とともに同席)[冷光1]。
☆8.11 長矩、木下公定と連名にて朝鮮通信使伊豆三島に参着の由を大久保忠朝へ届ける。朝鮮国より献上の馬、三島到着[冷光1]。
☆8.12 朝、長矩・木下公定、朝鮮国より献上の馬を箱根に於いて稲葉美濃守正則(相模小田原城主)に渡す。両者、この旨を大久保忠朝へ届ける[冷光1]。
☆8.17 朝鮮通信使、三島に到着。長矩・木下公定、御馳走を勤む。卯刻、通信使発足[冷光1]。
☆8.18 長矩・木下公定、朝鮮通信使三島到着及び御馳走・通信使発足を老中へ報ず。長矩・公定、朝鮮国より献上の荷物を稲葉正則へ引き渡す[冷光1]。
☆8.27 朝鮮通信使、将軍綱吉へ謁見を果たすにつき長矩・木下公定、使札ほ以て老中へ御歓を申し上げる[冷光1]。
☆8.28 朝鮮通信使、西の丸の将軍綱吉嫡子徳松へ謁見を果たすにつき長矩・木下公定、使札ほ以て老中へ御歓を申し上げる[冷光1]。
☆9.5 将軍綱吉、朝鮮人の曲馬上覧につき長矩・木下公定、祝儀の連状を差出す[冷光1]。
☆9.11 明日朝鮮通信使江戸発足につき長矩・木下公定の許へ達書到来す[冷光1]。
☆9.15 朝鮮通信使、三島到着。長矩・木下公定、御馳走を勤む。卯刻、通信使発足す[冷光1]。
☆9.16 長矩、朝鮮通信使三島到着並びに御馳走・通信使発足を老中へ報ず。長矩、朝鮮通信使上々官荷物を九鬼大隅守隆常(丹波綾部領主)に渡す[冷光1]。
☆9.18 長矩、江戸に帰府す[冷光1]。
☆10.朔 三次養子浅野大助、松平(浅野)綱長と同道して登城し、養子の御礼を申上る。また西の丸の徳松へも同様。それより長矩・蒔田定行も合流、同道して老中方へ御礼を申上る[冷光1]。大助、養子尽力の御礼として長矩へ銀1枚を贈る[冷光1]。
☆11.28 長矩、松平(浅野)綱長より振舞の約束につき本家へ赴いたところ、市ヶ谷付近より出火、長矩に火消役拝命、出馬につき断って帰宅す。巳後刻、四谷穢多窪町より出火につき老中、長矩へ火消役を任命のを書状を以て伝える[冷光1]。
☆12.9 松平(浅野)綱長、堀田筑前守正俊を招請、「口切之御茶」進上につき長矩、綱長邸勝手へ参る[冷光1]。
☆12.16 松平(浅野)綱長、同光晟参勤の祝儀と御口切を兼ねて光晟・長矩・長矩弟犬千代等を招請す[冷光1]。
☆12.19 松平(浅野)綱長、甲府徳川家家臣芝崎十郎左衛門乗馬御覧の約束につき長矩を召連る。その他仙石越前守政明の家来も出席す。料理が出て、芝崎にも下さる。そのあと、馬場へ出て一同、芝崎の乗馬を拝見す[冷光1]。
長矩(16) 綱長
天和3 1683 癸亥 霊元 綱吉 ☆正.11 午刻、長矩と阿久利姫の婚姻整う。御附の使者として松平(浅野)綱長より岡田半大夫充常、松平(浅野)光晟よりは高田杢右衛門正成が遣わされる[冷光1]。
☆正.15 松平(浅野)綱長、婚姻の祝儀として長矩へ金1枚、阿久利姫へ趨紗10巻を贈る。松平(浅野)光晟・光晟室も婚姻の祝儀として長矩へ樽肴1荷2種宛、阿久利姫へ樽代金1000疋・肴1種を贈る。長矩、返礼として光晟へ1荷2種、阿久利姫は金300疋・肴1種を光晟へ進上す。長矩・阿久利、返礼として綱長へ使者を遣わす[冷光1]。
☆正.22 長矩、婚姻の祝儀として松平(浅野)綱長・同光晟・浅野長照養子大助を招請す[冷光1]。
☆2.4 長矩、松平(浅野)綱長を招請す。振舞あり[冷光1]。
☆2.6 長矩、来月江戸参向の公家衆御馳走を命ぜられる[冷光1]。
☆2.7 長矩登城し、将軍綱吉へ婚姻の御礼を申上げ、時服4を献上す[冷光1]。
☆2.26 長矩・松平(浅野)光晟、かねてよりの松平(浅野)綱長との約束につき赴き、馬場にて甲府徳川家家来芝崎十郎左衛門の乗形を拝見す、綱長も所望して乗馬す[冷光1]。
☆2.28 松平(浅野)光晟、将軍綱吉より拝領の掛物披露につき老中を招請す。長矩も本家御勝手へ出座す[冷光1]。
☆3.22 長矩、松平(浅野)光晟を招請す。御能あり。光晟、長矩室阿久利姫へ婚礼後初めて出座につき縮緬10巻を贈り、奥様附落合与左衛門勝信・女中衆へ下され物あり[冷光1]。
☆3.27 松平(浅野)綱長、長矩へ御馳走役拝命の祝儀として御鷹の塩鴨1・西条枝柿1箱を贈る[冷光1]。
☆4.20 日光に於いて大猷院殿(3代将軍家光)33回忌法事が執行される。これにつき将軍綱吉上野へ参詣、長矩供奉す[冷光1]。
☆4.25 松平(浅野)綱長室、次男を出産。数馬と命名す[冷光1]。
☆5.朔 数馬御七夜につき長矩、松平(浅野)綱長邸へ赴く。大書院にて料理あり[冷光1]。
☆5.6 松平(浅野)綱長女豊姫と本多能登守忠常(下野宇都宮城主本多下野守忠平嫡子)との縁組を仰せ付けらる[冷光1]。
☆D.22 松平(浅野)綱長次男数馬逝去す。これにつき長矩、広島の綱長へ弔問状を送る[冷光1]。
☆D.23 松平(浅野)綱長室、産後の病気にて逝去。法名馨香院。長矩、御悔として綱長邸へ赴く。また、広島へも使者を遣わして弔す。長矩、綱長室のために伝通院へ参詣す[冷光1]。
☆6.23 長矩登城し、家督後初めて在所への暇を賜り、将軍綱吉より時服6・羽織を拝領す。松平(浅野)光晟より長矩へ帰国の祝儀として肴1種到来す[冷光1、寛政]。
☆7 長矩、江戸出立[冷光1]。
☆8.7 長矩、赤穂城に着。松平(浅野)綱長より入部の祝儀として進藤左吉俊信が遣わされ、太刀・金馬代・樽肴1荷2種、松平(浅野)光晟より使者同人をして御鷹の塩鶴1羽が到来す。長矩、進藤俊信へ時服3・羽織1を与える[冷光1]。追って長矩、返礼として綱長へ太刀・金馬代・肴1種、光晟へ肴1種を使者渡邊市丞をして贈る[冷光1]。
☆10.朔 長矩使者渡邊市丞、広島へ到着。広島城に登城して松平(浅野)綱長より料理を賜り、小袖2を与えられる[冷光1]。
長矩(17) 綱長
天和4
貞享元
1684 甲子 霊元 綱吉 ☆正.(3か) 長矩、将軍綱吉へ年頭の祝儀として太刀を献上す[冷光1]。
★2.21 改元。
☆3.29 長矩、花岳院殿(浅野長重)が台徳院殿(2代将軍秀忠)以来より御奉仕の「御勤切御殊恩等」の書付を差出す[冷光1]。
☆4 長矩、内々に松平(浅野)光晟・丹羽玉峯光重(陸奥二本松藩隠居・丹羽長次父・浅野長友叔父)と相談の上、岡林杢之介直宗・藤井与右衛門へ年寄役を申し付ける[冷光1]。
☆4 赤穂分家浅野内記長賢病気につき、長矩弟犬千代長好を養子に所望のところ長矩不同意のため大石酒之允(赤穂浅野家家老大石頼母助良重次男、後の左兵衛長武)を養子とする[冷光1]。長矩、長賢養子の儀を松平(浅野)光晟へ相談し、旗本大嶋出羽守義近・前田伊賀守利房へ申し入れる[冷光1]。
☆5.13 長矩、参勤のため赤穂出船[冷光1]。
☆5.20 長矩、伏見着[冷光1]。
☆5.21 朝、長矩、京都屋敷へ入る。京都所司代稲葉正通・京都町奉行井上志摩守正貞を訪れる。帰邸後、晩に京都を立ち、伏見に1泊す[冷光1]。
☆5.22 長矩発駕、東海道を東へ下る[冷光1]。
☆6.4 長矩、江戸参府[冷光1]。
☆6.11 長矩登城し、将軍綱吉へ参勤の御礼を申上げ、金馬代・綿100把を献上す。また御台所へも銀5枚を献上す[冷光1]。
☆7.25 長矩、弟大学長広御目見の儀につき長広同道にて大老堀田正俊はじめ老中へ挨拶に廻る[冷光1]。
☆8.28 殿中に於いて若年寄稲葉石見守正休、堀田正俊に刃傷に及ぶ。正休はその場にて老中らに斬殺される。長矩、正休とは母方従弟につき遠慮の儀を老中戸田山城守忠昌へ伺ったところ「然るべき」との指図あり。その後長矩、2・3日遠慮すれども常の通り出仕すべき旨を忠昌より伝えられる[冷光1]。
☆10.9 松平(浅野)光晟、二の丸にて能を演ずるにつき長矩室阿久利、肴1種を進上す[冷光1]。
☆(冬か) 長矩病む[冷光1]。
☆12.15 長矩、病後初めて登城し、将軍綱吉に拝謁す[冷光1]。
☆12.26 赤穂分家浅野長賢、大石酒之允養子の件を旗本前田相模守・松平半兵衛清次を以て若年寄衆へ申し入れる[冷光1]。
☆12 長矩弟大学長広、御袖留[冷光1]。
長矩(18) 綱長
貞享2 1685 乙丑 霊元 綱吉 ☆正.14 松平(浅野)綱長女豊姫・本多忠常縁組につき忠常・忠常弟本多一学忠寄・松平内記利直(飛騨守利明嫡子)等、綱長を招請す。長矩も赴く。振舞あり[冷光1]。
☆2.15 松平(浅野)綱長女豊姫・本多忠常結納につき長矩赴く。料理あり[冷光1]。
☆4.14 本多忠平、長矩を招請するにつき長矩、本多家勝手へ出向く[冷光1]。
☆4.16 松平(浅野)綱長、本多忠平を招請につき長矩、相客として綱長邸に赴く[冷光1]。
☆6.18 長矩、江戸城黒書院にて将軍綱吉より帰国の暇を賜り、時服6・羽織を拝領す[冷光1]。
☆7.15 長矩、赤穂着城。老中方へ使者をして帰国を報ず[冷光1]。
長矩(19) 綱長
貞享3 1686 丙寅 霊元 綱吉 ☆正.18 赤穂藩士吉田兼亮次男助二郎成重(四十七士吉田兼貞兄)没す。法名「芳山少林幽位」[赤穂花岳寺義士家族墓碑銘]。
☆2.9 松平(浅野)光晟、年始の振舞と御能拝見の祝儀を兼ねて長矩室阿久利姫・仙壽院・園姫を招請す。能興業あり。阿久利姫、松平(浅野)吉長へ初めて対面につき箱肴1種を進上す[冷光1]。
☆3.10 熊本藩士堀部友政(金丸甥)、奉行本役に就任す[堀部史−堀部氏系図、細川家家臣先祖附]。
☆5.18 長矩、参勤につき赤穂出船[冷光1]。
☆6.7 長矩、江戸参府[冷光1]。
☆6.13 長矩登城し、参勤の御礼を申上げる[冷光1]。
☆9.12 松平(浅野)綱長、青山屋敷へ赴くにつき長矩・三次浅野長澄も参る。京都呉服所那波三右衛門御膳を差上げる。その後、茶屋の接待あり。客に道服1宛を下さる[冷光1]。
☆10.9 松平(浅野)綱長、長矩を招請す。饗応あり。その他相客等もあり[冷光1]。
☆11.14 三次浅野土佐守長澄前髪執[冷光1]。
☆11.15 長矩、室阿久利姫御袖留の祝儀として松平(浅野)綱長より金1000疋到来す。松平(浅野)光晟へは同様の祝儀を使者をして進上す。追って光晟より樽代500疋到来す[冷光1]。浅野長澄前髪執につき祝儀の振舞のため長矩来訪す[冷光1]。
☆11.25 松平(浅野)綱長、将軍綱吉より拝領の鶴御披につき長矩を招請す。長矩、綱長邸へ赴く[冷光1]。
☆11.29 松平(浅野)綱長、沖権大夫忠祐の長屋へ御成、菱川喜兵衛(画工か)・長矩・浅野長澄も参る[冷光1]。
☆12.6 松平(浅野)綱長、大学長広元服の祝儀として長矩へ縮緬10巻を進上す[冷光1]。
長矩(20) 綱長
貞享4 1687 丁卯 霊元
東山
綱吉 ☆正.元 松平(浅野)綱長、年始の祝儀として尾張中将綱誠を招請につき長矩・浅野長澄・仙石政明も参る。金春大夫を召して謡あり[冷光1]。
☆正.22 松平(浅野)綱長、年始の祝儀として尾張中将綱誠を招請につき長矩・浅野長澄・仙石政明も参る。金春大夫を召して謡あり[冷光1]。
☆5.5 長矩、伯父浅野内記長賢(旗本・赤穂分家)卒去につき御定式の通り忌服す[冷光1]。
☆6.5 赤穂浅野家屋敷内御広敷女中部屋の屋根より出火、犯人は長矩室阿久利の下女2人と判明。長矩、女中処置について町奉行北条安房守へ伺う[冷光1]。
☆6.22 長矩、帰国の暇を賜る[冷光1]。
☆7.朔 北条安房守指図困難につき長矩、女中火付の件を老中大久保忠朝へ伺う[冷光1]。
☆7.2 長矩、江戸発駕延引の旨を老中方へ伺ったところ、指図あり。大久保忠朝より長矩へ手紙にて帰国延引と屋敷内鎮静・火の用心を指示す[冷光1]。
☆7.10 長矩、火付の件を松平(浅野)光晟へ報ず。追って返書あり[冷光1]。
☆7.21 大久保忠朝より長矩へ屋敷へ参るようにとの切紙あり。忠朝、火付女中の儀は相談の上将軍綱吉へは申上げなかったので勝手次第に江戸発駕するよう指示す[冷光1]。松平(浅野)綱長・光晟より長矩へ見舞の書状あり、また綱長よりは見舞の使者として進藤瀬兵衛俊信が遣わされる[冷光1]。長矩、道中伊勢桑名にて進藤俊信と対面、使者を戻す。追って長矩、赤穂より綱長へ礼状を出し両種を進上す。使者平野藤右衛門[冷光1]。
☆7.23 長矩、江戸発駕。東海道を伊勢路へ向かう[冷光1]。
☆8.9 長矩、赤穂着[冷光1]。
☆8.23 長矩使者平野藤右衛門、広島着。広島城に於いて松平(浅野)綱長より料理を賜り、長矩への返書が渡される[冷光1]。
☆10.10 長矩、領内破損の書付を江戸へ遣わす[冷光1]。
☆11.3 領内破損の書付、老中戸田山城守忠昌へ差出される[冷光1]。
長矩(21) 綱長
貞享5
元禄元
1688 戊辰 東山 綱吉 ☆4.22 松平(浅野)綱長女豊姫・本多忠常婚姻につき長矩、婚礼前の御饐として屏風2双・種を進上す、使者平野藤右衛門。婚礼が済んでからも進上物あり。松平(浅野)光晟へも同様に樽肴を進上す[冷光2]。
☆4.29 本家より長矩へ返礼あり。長矩使者平野藤右衛門、本家屋敷書院に於いて松平(浅野)綱長と対面し、返答の上料理を下さる。また袷2も賜る[冷光2]。
☆5.15 長矩、参勤のため赤穂発駕[冷光2]。
☆6.6 長矩、参勤の御礼を申上げ将軍綱吉へ金馬代・綿100把を献上す[冷光2]。
☆6.18 松平(浅野)綱長嫡子岩松(後の吉長)、初めて将軍綱吉に拝謁。長矩も登城す。長矩、御祝として松平(浅野)光晟を訪れる[冷光2]。
☆7.朔 河鰭少将季縁後室鶴姫(三次浅野長治女)逝去す[冷光2]。
☆7.晦 長矩御預の真田信就赦免[冷光2]。
☆7 長矩、河鰭季縁室鶴姫逝去につき松平(浅野)光晟へ弔問状を遣わす[冷光2]。
☆8.19 赤穂領内洪水につき損亡す[冷光2]。
★9.30 改元。
☆10.14 松平(浅野)綱長、嫡子岩松(吉長)将軍綱吉へ初御目見の祝儀として尾張中将綱誠を招請、御能あり。長矩も相客として招請される[冷光2]。
☆12.22 本多忠平、松平(浅野)綱長を招請につき長矩も参る[冷光2]。
長矩(22) 綱長
元禄2 1689 己巳 東山 綱吉 ☆正.19 赤穂浅野家屋敷に付火あり。ただちに消火す[冷光2]。
☆正.22 長矩、老中大久保忠朝へ付火の件について届けたところ忠朝使者、目付中根主税へ火付人を渡すよう指示あり。即刻渡す[冷光2]。
☆正.27 長矩、28日出仕の儀につき老中大久保忠朝へ伺うところ留守居役が呼ばれて遠慮の旨の指示あり[冷光2]。
☆@.29 老中大久保忠朝、赤穂浅野家留守居役を呼び明日より登城するよう伝える。長矩、御礼として忠朝邸に赴く[冷光2]。
☆2.朔 この日より長矩登城す[冷光2]。
☆2.12 松平(浅野)綱長、長矩に振舞う[冷光2]。
☆2 熊本藩士堀部知英(金丸大甥)、御小姓となる[堀部史−堀部氏系図、細川家家臣先祖附]。
☆3 松平(浅野)光晟国元にて病気につき長矩、御歩行使を遣わす。その後も度々見舞・進物贈る。長矩室阿久利よりも見舞の進物を贈る[冷光2]。
☆4.9 松平(浅野)綱長、長矩に振舞う。綱長、直に夜咄す[冷光2]。
☆5.23 傳通院に於いて松平(浅野)綱長室馨香院7回忌の法事あり。長矩・室阿久利より代参の使者として加藤平大夫が遣わされる[冷光2]。
☆6.22 長矩、在所への暇を賜る[冷光2]。
☆7.5 長矩、江戸出立[冷光2]。
☆7.25 長矩、赤穂着[冷光2]。
☆10.23 松平(浅野)光晟、江戸参府。
長矩(23) 綱長
元禄3 1690 庚午 東山 綱吉 ☆5 長矩、参勤のため赤穂発駕[冷光2]。
☆6.2 長矩、江戸参府[冷光2]。
☆6.18 長矩、参勤の御礼を申上げる[冷光2]。
☆7.5 松平(浅野)綱長、長矩を招請す。その他仙石政明等相客あり[冷光2]。
☆8.5 松平(浅野)綱長、長矩邸来訪、振舞あり[冷光2]。
☆12.23 長矩、老中奉書を以て本庄火消を命ぜられる[冷光2]。
☆12.29 松平(浅野)綱長、年忘として長矩を招請す。狂言あり、綱長嫡子岩松はじめ客あり[冷光2]。
長矩(24) 綱長
元禄4 1691 辛未 東山 綱吉 ☆3.22 将軍綱吉、側用人柳沢出羽守保明邸御成につき長矩、保明へ蝋燭300挺・肴1種を進上す[冷光2]。
☆4.10 浅野本家家臣上田主水重羽、向屋敷に於いて松平(浅野)綱長へ御膳を差上げる。長矩・三次浅野長澄等も出席す[冷光2]。
☆6.7 三次浅野長照女万代姫逝去す[冷光2]。
☆6 長矩、松平(浅野)綱長へ万代姫逝去の弔問状を遣わす[冷光2]。
☆是頃 長矩病む[冷光2]。
☆7.18 長矩、病気平癒につき病後初めて老中方へ挨拶に参る[冷光2]。
☆7.28 長矩、在所への暇を賜り、将軍綱吉より時服6・羽織を拝領す[冷光2]。
☆8.22 長矩、江戸発駕[冷光2]。
☆G.10 長矩、赤穂着城[冷光2]。
☆12.14 長矩、真壁傳正寺焼失につき堂宇建立のため、同寺の願出によって銀50枚を遣わす[冷光2]。
☆12 長矩、三次浅野式部少輔長照隠居・土佐守長澄家督の御歓として松平(浅野)光晟へ使者を遣わす[冷光2]。
長矩(25) 綱長
元禄5 1692 壬申 東山 綱吉 ☆3.21 松平(浅野)綱長、参勤のため赤穂近海通船につき長矩、牛窓まで使者を遣わす。音信あり[冷光2]。
☆6.14 松平(浅野)光晟来る16日発駕につき松平(浅野)綱長、光晟を招請す。長矩、相伴として参る[冷光2]。
☆7.朔 かねてよりの約束につき松平(前田)加賀守綱紀・同大蔵大輔正甫、松平(浅野)綱長邸に来訪す。浅野・前田両家の間に婚姻が整ったため(綱長嫡子岩松と綱紀女の縁組)、囃子あり。長矩も参る。綱紀帰邸後、綱長より直に夜咄あり[冷光2]。
☆7.2 長矩、本庄火消を命ぜられる(翌年6月まで勤む)[冷光2]。
長矩(26) 綱長
元禄6 1693 癸酉 東山 綱吉 ☆2.22 長矩登城し、将軍綱吉の「中庸」の講釈を拝聴す[冷光2]。
☆2.23 長矩、昨日の将軍「中庸」の講釈につき将軍綱吉へ金500疋・箱肴1種を献上す[冷光2]。
☆2.25 松平(浅野)綱長、松平(山内)土佐守豊昌(土佐高知城主)・同民部大輔豊房(豊昌嫡子)を招請す。その他相客あり。長矩も綱長邸勝手へ参る[冷光2]。
☆3.22 松平(浅野)光晟病気につき長矩、飛札を以て粕漬鯛1桶を進上す。長矩室阿久利も見舞状を遣わす。その後、それぞれに返書あり[冷光2]。
☆4.13 長矩、松平(浅野)光晟へ使札にて病気見舞、使者藤井彦四郎。その後藤井、広島城に於いて浅野兵庫忠易相伴にて料理を下され、紗綾3巻を下さる旨の返書が出る[冷光2]。
☆4.22 長矩室阿久利、飛脚を以て松平(浅野)光晟の病状を案ずる[冷光2]。
☆4.23 松平(浅野)光晟逝去す(77歳)、法名玄徳院殿前羽林次将仁嶽良寛大居士。長矩、松平(浅野)綱長へ悔の使者を遣わす。長矩室阿久利、綱長へ弔問状を遣わす[冷光2]。
☆5.14〜5.20 広島国泰寺にて玄徳院殿(光晟)法事あり。長矩・阿久利、代香の使者をして香典を供える。追って松平(浅野)綱長より長矩夫妻へ御礼の使者が遣わされ、光晟の遺物が贈られる[冷光2]。
☆6.22 長矩、在所への暇を賜る[冷光2]。
☆是頃 長矩、江戸発駕[冷光2]。
☆6 大坂城番安部摂津守信友(武蔵岡部領主)内室(内藤忠勝女・長矩叔母)卒去につき、松平(浅野)綱長、弔問状を長矩へ遣わす[冷光2]。
☆7.12 長矩、赤穂帰城[冷光2]。
☆10.6 備中松山城主水谷出羽守勝美(5万石)、国元にて卒す[冷光2]。
☆11.27 水谷勝美養子弥七、疱瘡にて卒し、水谷家は無嗣断絶となる[冷光2]。
☆12.21 水谷勝美実弟三上主水に新知3000石を賜り、水谷家再興なる[冷光2]。
☆12.22 赤穂浅野家留守居、月番老中阿部豊後守正武に呼ばれ備中松山城請取在番を命ずる旨の奉書が渡される[冷光2、寛政]。赤穂家中冨森助右衛門正因・斎田忠八、早道にて奉書を赤穂まで持参す[冷光2]。
☆12.26 赤穂浅野家留守居、備中松山城受城目付堀小四郎・駒井内匠へ松山城請取の諸事について伺う[冷光2]。
☆12.27 江戸よりの使者冨森正因・斎田忠八、赤穂着。奉書及び切紙を長矩の許へもたらす[冷光2]。
☆12.28 長矩、備中松山城請取御請の旨を報ずるため川端善兵衛に三宅定八(御歩行)を添えて江戸へ遣わす[冷光2]。長矩、赤穂城内にて備中松山城請取の御供揃を命ず。また、水谷家中引払の様子を探るべく倉持彦兵衛を備中松山へ遣わす[冷光2]。
☆12.29 長矩、備中松山城請取の御用馬・家中馬の用事につき瀬谷権兵衛を備中松山へ遣わす[冷光2]。
長矩(27) 綱長
元禄7 1694 甲戌 東山 綱吉 ☆正.朔 長矩、備中松山城請取の諸事、在番諸道具の用意のため室井仁左衛門・内橋吉兵衛を松山へ遣わす[冷光2]。
☆正.3 長矩、備中松山城請取のため、松山の様子探索・兵粮馬飼料等の手配のため橋本次兵衛を松山へ遣わす[冷光2]。
☆正.6 備中松山派遣の倉持彦兵衛、赤穂に戻る[冷光2]。御請の使者川端善兵衛・三宅定八、江戸着。赤穂浅野家江戸留守居、土屋政直より松山収城目付の堀小四郎・駒井内匠へ赴き御請の使者江戸着を知らせる。御請使者両人、同道して老中阿部正武へ連書を差上げたところ月番老中土屋政直へ差出すよう指示あり。それより大久保忠朝邸へ参上して、連書を差出す[冷光2]。諸事伺うよう指示あり[冷光2]。赤穂浅野家、書状を以て収城目付両者に羅勢板3間宛を贈る。また、大坂今井七郎兵衛(旗本)・京都平岡吉左衛門(旗本)へも備中松山の御用を知らせ、奥嶋3反宛を進上す[冷光2]。
☆正.7 赤穂浅野家江戸留守居役建部喜六、長矩自筆の備中松山城請取在番の請書を大久保忠朝へ持参す。また老中・若年寄等への御礼の書状も方々へ持参す[冷光2]。
☆正.8 橋本次兵衛、大体の様子を知り、松山の絵図等を得て赤穂に帰着す[冷光2]。
☆正.10 川端善兵衛・建部喜六、老中土屋政直邸へ赴き備中松山城請取の件につき返答を受ける[冷光2]。
☆是頃 松平(浅野)綱長、使者小山孫六良速を遣わす[冷光2]。
☆正.12 川端善兵衛、江戸発足[冷光2]。
☆正.13 内橋吉兵衛、赤穂に戻る[冷光2]。備中松山への道中・休泊・宿見分として三木團右衛門・三浦藤蔵・鈴木庄蔵・小田武助・藤田文内・大工1人・足軽6人・番足軽1人が遣わされる[冷光2]。
☆正.19 備中松山見分の三木團右衛門等、赤穂に戻る[冷光2]。
☆正.20 三次浅野長澄の長矩への見舞の使者福永助左衛門忠重、広島発足[冷光2]。松平(浅野)綱長、使者中村権平陳矩をして長矩へ御餞・鞍置馬2疋・金巾100端を贈る[冷光2]。
☆正.21 三次浅野長澄使者福永忠重、長矩へ主人よりとして肴1種・忍冬酒1徳利・切付10脊、三次隠居浅野長照よりの伝言と肴1種を献ず[冷光2]。長矩、福永忠重へ料理を遣わす。福永、長矩御前にて口上を申上げる。返答あり[冷光2]。長矩、福永の宿へ使者をして巻物2を与える[冷光2]。
☆正.23 川端善兵衛、赤穂帰着[冷光2]。
☆正.28 長矩、松山御供の面々へ行列拝見を命ず。組外以上大書院・御医師金之間次・組付以上は大書院にて拝見す[冷光2]。
☆正.晦 赤穂浅野家家老大石良雄・藤井又左衛門・大野九郎兵衛、備中松山水谷家家老中へ諸事相談の為、原惣右衛門元辰・橋本茂左衛門を来る10日に派遣の旨を伝える[冷光2]。
☆2.13 長矩弟大学長広煩につき三次浅野長澄より本郷政右衛門重次・山中与大夫を御附の使者として遣わす。長矩在国のため、浅野隼人長恒・同左兵衛長武肝煎す。長澄も毎日見舞に参上し、医師等の儀につき相談す[冷光2]。
☆2.19 長矩、備中松山城請取のため赤穂出陣す。これにより注進の使者を江戸の老中まで遣わす[冷光2]。長矩、備前に宿泊[冷光2]。
☆2.20 長矩、備中宮内に宿泊[冷光2]。
☆2.21 赤穂浅野家先立の軍、備中松山に到着。案内として家老大石良雄請受城目付の許へ赴く[冷光2]。晩、長矩、備中松山に到着、松山町人荒木八郎左衛門の所にて夕の膳を食す[冷光2]。長矩、見舞として受城目付堀小四郎・駒井内匠へ赴き、目付より将軍綱吉の黒印状を頂戴す[冷光2]。長矩、荒木方に宿泊、受城目付よりも見舞あり[冷光2]。松平(浅野)綱長、長矩へ見舞の使者として小山孫六良速を赤穂へ遣わす。一応赤穂浅野家から返答あり[冷光2]。
☆2.23 長矩、備中松山城を請取る。また、今回召連人数の書付を受城目付へ差出す[冷光2]。長矩、黒印状頂戴・城請取の注進・松山発足の日等の儀につき江戸の老中へ使者を遣わす。また、御扶持米拝領の御礼も申上げる[冷光2]。松平(浅野)綱長使者小山良速、松山到着につき長矩、小山へ城請取の儀を知らせ、時服2を与え、且つ綱長へは城請取の儀を歩行使を以て知らせる[冷光2]。
☆2.24 長矩弟大学長広快然し、御酒湯御掛あり。これにより、長広、三次浅野長澄の使者を断り本郷重次・中山与大夫の両人に綿300把を与える[冷光2]。その後、松平(浅野)綱長、赤穂の長矩へ飛札にて見舞い、長広へは酒湯の祝儀として肴1種を進上す[冷光2]。
☆2.25 辰上刻、長矩、備中松山を発駕す。また、家老大石良雄・組頭2人・物頭4人・用人2人・目付使番1人宛・侍24〜5人に松山在番を命ず(在番中水谷家足軽慮外の儀あり)[冷光2]。
☆2.27 長矩、赤穂着城す。また、松山在番の儀につき老中大久保忠朝へ伺あり[冷光2]。
☆3上旬 長矩、松平(浅野)綱長へ返礼として多藝太郎左衛門を遣わし、両種進上す[冷光2]。その後、多藝、広島城中に於いて料理を下され、御目見し、口上を申上げる。返答あり。多藝、時服2を拝領す[冷光2]。
☆4.23 玄徳院殿(浅野光晟)1周忌法事、広島国泰寺に於いて執行す[冷光2]。これにより長矩、使者津田又兵衛を遣わし香典銀5枚を供える[冷光2]。
☆4.29 松平(浅野)綱長嫡子岩松(吉長)、松平(前田)加賀守綱紀女節姫と結納につき長矩、綱長へ書状にて祝う[冷光2]。
☆6.22 長矩弟大学長廣、かねてからの願により赤穂新田3000石分知を許可される。これにより松平(浅野)綱長よりの祝儀として肴1種、長矩の許へ到来す[冷光2]。
☆8.21 長矩弟大学長廣、兄長矩の領地のうち新田3000石を分知され、寄合に列す[寛政]。
☆9.朔 長矩弟大学長廣、将軍綱吉へ初めて御目見す[冷光2、寛政]。
☆9.9 長矩、弟長廣の分知の祝儀を献上した家老大石良雄に返書を遣わし、且つ赤穂表の事諸事入念に申し付ける[冷光2]。
☆9.10 長矩弟長廣、分知御礼の祝儀として松平(浅野)綱長へ太刀・馬代・両種を進上す[冷光2]。
☆12.4 松平(浅野)綱長、分知の祝儀として長廣を招請し、信国脇差(代金100貫)を贈る[冷光2]。
☆12.26 松平(浅野)綱長、女斉姫と九条少将師前の縁組を長矩に報ず[冷光2]。
長矩(28) 綱長
元禄8 1695 乙亥 東山 綱吉 ☆正.13 備中松山城下足軽町より出火、赤穂在番衆、消火に尽力す[冷光2]。
☆正.15 長矩、備中松山松山火事を幕府に届ける[冷光2]。
☆正.25 松山灘之山下草焼失につき届あり[冷光2]。
☆正 松平(浅野)綱長の女縁組を報じた書状、長矩の許に到来[冷光2]。
☆2.8 四谷あたりより出火、赤穂浅野家赤坂下屋敷類焼す[冷光2]。
☆4.16 松平(浅野)綱長、赤坂中屋敷先頃召上につき長矩、同所下辻番所2ヶ所のうち寺町辻番に家臣を遣わす[冷光2]。
☆4.23 玄徳院殿(浅野光晟)3回忌法事、広島国泰寺に於いて執行す。これにより長矩、使者菅仙右衛門を以て香典を供える[冷光2]。
☆5.3 晩、赤穂浅野家留守居、老中戸田忠昌(月番)より呼ばれ戸田家用人より備中松山城は安藤対馬守重博に賜る旨を伝える。この件は赤穂へ知らされる[冷光2]。
☆是頃か 赤穂より御請の飛脚が江戸に遣わされる[冷光2]。
☆5.21 赤穂浅野家留守居、安藤重博邸へ赴き、安藤家留守居へ備中松山にては御用を承る旨を申入れる[冷光2]。
☆5.22 備中松山城引渡目付は井上太左衛門・菅沼藤十郎に命ぜられる。赤穂浅野家留守居、両目付の許へ赴き御用あらば承る旨を申入れる。その後、赤穂浅野家より両目付へ晒5疋・干肴1折宛進上す[冷光2]。
☆6.16 備中松山城引渡目付両人、赤穂浅野家へ松山城引渡の儀につき書付を渡す[冷光2]。
☆6 安藤重博より赤穂浅野家へ備中松山城を8月5日に請取る旨を申来るにつき、赤穂浅野家留守居、この旨を達す[冷光2]。
☆6.29 備中松山城引渡目付、赤穂浅野家へ松山城引渡の日限の儀を老中へ申上げた旨を知らせる[冷光2]。
☆7.16 備中松山城引渡目付井上太左衛門・菅沼藤十郎、江戸出立につき長矩、見舞として近江石部まで、飛札を以て肴1種宛を目付両人へ進上す[冷光2]。
☆7.18 老中阿部豊後守正武、赤穂浅野家留守居を呼出し、備中松山城引渡は目付の指図にに従うよう在所へ伝えるべき旨を命ず[冷光2]。
☆是頃 長矩、老中阿部正武へ御請の飛札を差出す[冷光2]。
☆7.27 安藤重博家臣本ノ郷久大夫、赤穂浅野家用人・備中松山城引渡目付、会所へ参会し対談あり[冷光2]。
☆7.29 安藤重博家臣本ノ郷久大夫、赤穂浅野家用人・備中松山城引渡目付、会所へ参会し対談あり[冷光2]。安藤家家老近藤権右衛門より赤穂浅野家家老大石良雄へ昨日備中阿部村へ引越家来到着を報ず。良雄よりも返書を遣わす[冷光2]。
☆8.朔 晩、代官平岡吉左衛門・大岡喜左衛門備中松山到着[冷光2]。
☆8.2 代官平岡吉左衛門・大岡喜左衛門備中松山到着につき大石良雄並びに赤穂用人、見舞として両者へ赴き音物を進上す。また、代官到着の件は追って老中へ届出る[冷光2]。
☆8.3 備中松山城引渡目付到着につき赤穂用人1人、町口惣門で迎えに出る。大石良雄は松山城曲輪惣門外にて待ち受ける。御迎として赤穂用人1人が美袋村まで赴く[冷光2]。大石良雄、到着の慰労のため目付の許へ赴く。また、使者を以て音物あり。その後、この件を江戸へ届ける[冷光2]。大石良雄・赤穂用人、引渡目付井上より呼出され、松山城引渡につき高札等の指示を受ける[冷光2]。晩、高札を本町末の高札場に建置く(番人をつける)。良雄・赤穂用人、高札設置を引渡目付へ報告す。また、松山絵図・武具帖を持参、目付井上受け取る[冷光2]。
☆8.4 備中松山城引渡目付、松山城を検分す。赤穂家老大石良雄・赤穂用人案内す。また、良雄等、引渡後の即刻退去を目付へ伺ったところ勝手次第との指示あり[冷光2]。赤穂浅野家、引渡目付の指図により松山城惣門内武具を引渡し、遠所番所を引渡した旨を目付へ届ける[冷光2]。夜、赤穂浅野家松山夜廻りを行い松山町年寄・目代その他用達庄屋・町人へ銀子・時服等を与える[冷光2]。
☆8.5 卯刻、備中松山城を安藤重博へ引渡す。巳上刻、松山城引渡完了。赤穂浅野家の在番衆、松山発足す[冷光2]。
☆8.6 長矩、備中松山城引渡を江戸の老中へ注進す。使者は組外の給人1人・中小姓1人[冷光2]。
☆8 長矩、備中松山城引渡につき江戸参勤を伺ったところ9月中の参府を命ぜられる[冷光2]。
☆9.朔 赤穂領内風雨損亡につき松平(浅野)綱長、長矩へ見舞状を遣わす[冷光2]。
☆9.22 長矩、江戸参府[冷光2]。
☆9.28 長矩登城し、参勤の御礼を申上げる[冷光2]。
☆9 先頃、赤穂領内風雨損亡の松平(浅野)綱長よりの見舞状、長矩の許へ到来す。
☆10.13 子上刻、長矩家臣吉田忠左衛門尊義(のち兼亮)の外孫伊藤喜太郎(後の伊藤十郎太夫治行)誕生[花岳寺所蔵文書]。
☆10.25 長矩、赤坂寺辻番所を赤坂町人らの願により諸道具・御法度書とともに引渡し、肖板の御法度書は長矩が引取る[冷光2]。
☆12.4 朝、松平(浅野)岩松元服ににつき江戸桜田浅野本家上屋敷へ赴く[冷光2]。岩松、将軍綱吉の御前にて元服、偏諱拝領、従四位下備後守に叙任し「吉長」と名乗る。長矩も同道す[冷光2]。長矩、吉長元服の祝儀として広島の松平(浅野)綱長へ使者進藤源四郎を遣わす[冷光2]。
☆12中旬 長矩、煩い公儀医師井上玄徹の薬を服用す[冷光2]。
☆12.21 長矩、この日より疱瘡となる。小川玄達の治療を受ける[冷光2]。
☆12.25 赤穂使者進藤源四郎、広島城に登城し口上と共に長矩の祝儀肴1種を進上す。広島城金之間に於いて進藤源四郎料理を賜り、後、書院にて松平(浅野)綱長に拝謁して直答を受ける。源四郎は自身で太刀・馬代を献ず。その後、源四郎、綱長より使者を以て時服2を拝領す[冷光2]。夜、長矩、痞張差発、高熱を発す。奥山立庵転薬すれども重体となる[冷光2]。
☆12.26 長矩危篤につき三次浅野長澄・赤穂分家浅野隼人長恒(旗本)、老中大久保忠朝邸へ赴き、長矩弟長広を長矩養子に願出る。早速に大久保邸に大目付仙石伯耆守久尚が参り、願書判元を確認す[冷光2]。その後、長矩、快癒に向かう[冷光2]。
☆12 熊本藩士堀部知英(金丸大甥)、200石拝領す[堀部史−堀部氏系図、細川家家臣先祖附]。
長矩(29) 綱長
元禄9 1696 丙子 東山 綱吉 ☆正.5 長矩、御酒湯[冷光2]。
☆正.22 松平(浅野)綱長見舞の使者進藤瀬兵衛俊信(馬廻)、主君よりの煎海鼠1箱を持参し、長矩の許へ到来す[冷光2]。
☆正.25 長矩、進藤俊信へ返答し、時服2を与える[冷光2]。
☆2.5 松平(浅野)綱長より御酒湯祝儀の使者吉村平右衛門重直(用人)、主君よりの干鯛1折を持参、長矩の許へ到来[冷光2]。
☆3.5 長矩登城し、病後の御礼を申上げる[冷光2]。
☆4.26 赤穂藩士岡野又右衛門(四十七士不破正種の実祖父)死去。法名「了義得入居士」[赤穂花岳寺義士家族墓碑銘]。
☆5.9 長矩、老中連署奉書を以て本所材木火番を命ぜられる[冷光2]。
☆5.13 長矩室阿久利生母(三次浅野長治側室)死去す。法名壽光院[冷光2]。
☆6.12 松平(浅野)綱長、旧臘の吉長元服の祝儀として長矩を招請す[冷光2]。
☆6.21 松平(前田)加賀守綱紀、松平(浅野)綱長を招請す。長矩も同道し相客となる[冷光2]。
☆6.22 松平(浅野)綱長、長矩室阿久利へ生母壽光院死去の悔の使者を遣わす[冷光2]。
☆9.12 松平(浅野)吉長、元服の祝儀として長矩へ備前長次刀(代金100貫)を進上す[冷光2]。
☆12.22 松平(浅野)綱長、女梅姫縁組・仙石主税(仙石政明4男)出生の祝心にて招請につき長矩・長広・赤穂分家浅野長恒等、綱長邸へ赴く[冷光2]。
長矩(30) 綱長
元禄10 1697 丁丑 東山 綱吉 ☆4.9 松平(浅野)綱長、殿中にて将軍綱吉の御能を拝見す。この祝儀として綱長、一家方を招請し能を興行す。長矩も招請される[冷光2]。
☆4.10 松平(浅野)綱長、殿中にて将軍綱吉の御能を拝見す。この祝儀として綱長、一家方を招請し能を興行す。長矩も招請される[冷光2]。
☆6.12 赤穂分家(若狭野領主)浅野長恒・赤穂分家(家原領主)浅野左兵衛長武(旗本)生母永壽院(浅野長直女鶴姫・大石良重後家)死去す[冷光2]。法名永壽院殿月岑貞松大姉、泉岳寺に葬る[泉岳寺浅野家墓碑銘]。
☆6下旬 長矩、在所への暇を賜る[冷光2]。
☆7.9 長矩、江戸発駕[冷光2]。
☆7.25 長矩、赤穂帰城[冷光2]。
☆8 松平(浅野)綱長、美作国津山城在番を命ぜられた旨を長矩へ報ず。その後、津山より浅野伊織高尚・沖権太夫忠祐が使者として赤穂へ遣わされる[冷光2]。
☆9.17 老中土屋政直、将軍綱吉養女八重姫と水戸城主徳川綱條嫡子吉孚へ入輿の節に綿100把を進上するよう長矩に指示す[冷光2]。
☆11.6 長矩、津山城請取御悦の使者として原元辰を松平(浅野)綱長の許へ遣わす。その後、原元辰、広島城書院に於いて料理を賜り、綱長の直答を仰付けらる[冷光2]。
☆11.12 赤穂浅野家赤坂下屋敷召上につき替地として本所に下される旨、赤穂分家浅野長恒へ仰渡される[冷光2]。
長矩(31) 綱長
元禄11 1698 戊寅 東山 綱吉 ☆6.5 三次浅野長澄、備後福山城請取を命ぜられる。これにより長澄、赤穂浅野家の備中松山城請取の扣書借用を用人宮尾弥兵衛正直をして赤穂浅野家へ申入れる。赤穂浅野家江戸留守居、この件を国元の長矩へ伝える。その後、宮尾の許へ赤穂留守居建部喜六が遣わされ、請取の祝詞と協力する旨を伝え、諸式覚書の清書は赤穂にあるので三次より取りに来るよう赤穂家老中に伝えた旨を知らせる[冷光2]。
☆是頃 赤穂浅野家原元辰、赤穂より三次へ松山城請取の諸式覚書を届けるよう命ぜられる[冷光2]。
☆6.9 長矩、参勤の御礼を申上げる[冷光2]。
☆6.28 原元辰、三次に到着し主君よりの祝儀として押掛30・肴1種を浅野長澄に進上す[冷光2]。
☆6.29 原元辰、浅野長澄より料理・盃を賜る。その後、長澄、原の旅宿へ使者を遣わし、御単物・帷子3を与える[冷光2]。
☆8 長矩、台命により江戸神田橋惣門御番を勤む(翌年6月まで)[冷光2]。
長矩(32) 綱長
元禄12 1699 己卯 東山 綱吉☆正.19 鳳源院殿(浅野長治)25回忌法事、三次鳳源寺に於いて執行す。これにつき長矩室阿久利、御焼香名代木全惣右衛門貞嘉(三次浅野家御目付役)をして香典金300疋を供える[冷光2]。
☆4.7 松平(浅野)綱長、上野寛永寺普請御手伝終了の祝儀として能を興行す。これにより長矩、肴を進上す。また、綱長より長矩へ返礼として肴1種到来す[冷光2]。
☆5.23 馨香院殿(浅野綱長室)17回忌法事、江戸小石川伝通院にて執行す。これにより長矩室阿久利、代香の使者として落合与左衛門勝信(赤穂浅野家奥様御附人)が遣わされる[冷光2]。
☆6.5 長矩、名古屋城主徳川中納言綱誠逝去につき松平(浅野)綱長へ使札を遣わす[冷光2]。
☆6 長矩、在所への暇を賜る[冷光2]。
☆7.9 長矩、赤穂帰城[冷光2]。
☆8 長矩弟大学縁組、願の通り許可につき松平(浅野)綱長、長矩へ書を以て歓ぶ[冷光2]。
☆11.21 松平(浅野)吉長婚姻成立[冷光2]。
☆12.9 長矩、松平(浅野)吉長婚姻成立につき松平(浅野)綱長へ使者をして祝儀を進上す。追って綱長より長矩へ返礼あり[冷光2]。
長矩(33) 綱長
元禄13 1700 庚辰 東山 綱吉 ☆6.11 長矩、参府の御礼を申上げる[冷光2]。
☆6.16 長矩、江戸桜田御門番を命ぜられる(翌年2月7日まで)[冷光2]。
☆7.27 松平(浅野)綱長祖母自昌院逝去す。遺骨は安藝へ送られる[冷光2]。
☆8.18  熊本藩奉行本役堀部友政(金丸甥)、奉行本役を免ず[堀部史−堀部氏系図、細川家家臣先祖附]。
☆8.27 自昌院殿遺骨、赤穂領内播磨国有年到着につき赤穂浅野家より役人出張す。本陣へは赤穂城代大野九郎兵衛・用人植村與五左衛門が赴く[冷光2]。
☆9.6 広島日通寺に於いて自昌院殿法事執行す。これにより長矩、使者木村孫右衛門(赤穂浅野家御国役)をして香典銀3枚を供える。長矩室阿久利は使者大岡藤左衛門(赤穂浅野家近習)をして香典銀2枚を供える。綱長より使者両人へ下物あり[冷光2]。
☆10.2 自昌院遺物として長矩へ御花入2(唐調四角、唐蒔絵)、長矩室阿久利へは屏風1双(惣金、秋野)・御重1組(黒蒔絵、藤)・香炉1(唐調1角)・御香合1(金沢象嵌)・雪信絵3幅到来す[冷光2]。
☆11.4 長矩弟長広と伊勢菰野領主土方市正雄豊孫女と婚礼につき松平(浅野)綱長より長矩へ御附の使者あり(綱長より両家へ婚礼前より進物あり)[冷光2]。
長矩(34) 綱長
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