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赤穂事件関係年譜 4-2
【赤穂浅野藩年譜 4-2 浅野長矩(冷光院殿) 2】
−元禄14年辛巳(1701)−  天皇 東山天皇   将軍 徳川綱吉
                  赤穂藩主 浅野長矩(35歳)    広島藩主 浅野綱長


更新 2005/03/28

《年譜》元禄14年辛巳(1701)
月 日 事 項

《正月》

正.2 ☆京都への年頭使者として吉良上野介義央・畠山民部大輔に命ぜられる[元禄年録]。

《2月》

2.3 ☆月番老中秋元但馬守喬朝、長矩へ老中連署奉書を以て「御用之儀」につき明朝五半時に登城するよう命じる[冷光3]。
2.4 ☆長矩登城し、老中列座にて勅使御馳走御用を命ぜられる。院使御馳走役は伊達左京亮宗春(伊予吉田領主3万石)[元禄年録、冷光3]。
☆浅野長矩、高家吉良上野介義央へ使者をして勅使御馳走役拝命を報ず[冷光3]。
2.7 ☆長矩、外桜田門御番を免ぜられ、脇坂淡路守安照(播磨国龍野城主)と交代す[冷光3]。
2.15 ☆松平(浅野)綱長より長矩への勅使御馳走役拝命祝儀蝋燭500把・肴1種到来す[冷光3]。
是月 ☆2 赤穂浅野家江戸留守居建部喜六(200石)・同近藤政右衛門、勅使御馳走勤向の格式を調べるため三次浅野長澄より先年勤めた際(元禄9年の伝奏御馳走)の御内証帳を借用し、下調を行う[冷光3]。その後、高家吉良義央へ勤向につき伺いすれども不快の事あり[冷光3]。

《3月》

3.10 ☆3.10 伝奏衆(勅使・院使)明日江戸到着につき御後乗役人として赤穂浅野家馬廻冨森正因(200石)・同高田郡兵衛(200石)、未明より品川宿へ遣わされる[冷光3]。赤穂浅野家家臣、辰ノ口伝奏屋敷へ引越す。同日より伝奏屋敷の裏門出入は停止し、表門のみの使用とする[冷光3]。午刻、伝奏衆より赤穂浅野家上屋敷(築地鉄砲洲)へ使者到来し、長矩と面談す。長矩使者へ料理を振舞う[冷光3]。夕方未後刻、長矩、伝奏屋敷へ引越す[冷光3]。
3.11 ☆未明、伝奏衆江戸到着。長矩少々不快、持病の痞出る。赤穂浅野家医師寺井玄溪(300石10人扶持)調合の薬を服用す[冷光3]。
3.12 ☆巳後刻、公家衆、江戸城白書院に於いて将軍綱吉と対顔す。その外、地下御目見[元禄年録、冷光3]。堀部武庸、伝奏屋敷当番[堀部金丸覚書]。
3.13 ☆朝巳刻、堀部武庸、伝奏屋敷番を向番と交代し急速す[堀部金丸覚書]。
☆巳後刻、江戸城大広間に於いて伝奏衆饗応の御能あり[元禄年録、冷光3]。
3.14 ☆勅答につき長矩登城す。長矩、本丸大廊下(松之廊下)に於いて遺恨ありて吉良義央に刃傷に及ぶ。留守居梶川與惣兵衛頼照これを制止す[義士64、御徒方萬年記、冷光3、寛政]。
☆巳後刻、江戸城黒書院に於いて勅答あり。公家衆、例年の通り御暇[元禄年録]。
☆長矩、奏者番田村右京大夫建顕(陸奥一関領主3万石)に御預となり、江戸城平河門より愛宕下田村邸へ護送される[冷光3、御徒方萬年記、寛政]。
☆赤穂浅野家御供建部喜六・先番礒貝十郎左衛門正久(御近習物頭並御書方・150石)・中村清右衛門(100石)等、長矩刃傷につき築地鉄砲洲上屋敷へ退去を命ぜられる[冷光3]。
☆戸田釆女正氏定(美濃大垣城主10万石)、伝奏屋敷へ赴き赤穂浅野家中へ長矩刃傷と後役戸田能登守忠真(下総佐倉城主)に決まった旨を伝え、退去を指図す[冷光3]。
☆幕府目付鈴木源五右衛門、伝奏屋敷へ赴き赤穂浅野家中に長矩刃傷と即刻退去を命ず[冷光3]。
☆午後刻、伝奏屋敷に於いて赤穂浅野家と佐倉戸田家道具入替[冷光3]。
☆幕府目付近藤平八郎・天野伝四郎、鉄砲洲浅野家上屋敷へ赴き赤穂家中へ長矩刃傷と長矩の役儀召上を伝達す。また、旗本戸田伊豆守政要(赤穂分家家原浅野長賢女婿・小姓組番頭)も鉄砲洲上屋敷へ赴き赤穂家中に騒動なきよう指示す[冷光3]。
☆昼、水野監物忠之(三河岡崎城主5万石)、幕命により江戸城より直に鉄砲洲上屋敷へ赴き赤穂家中へ騒動なきよう命じ、自身は同邸に詰める[冷光3・丕揚録]。また、忠之、水野家家来を鉄砲洲上屋敷近所まで出動させ、警戒させる[冷光3・丕揚録]。暮、水野忠之帰邸す[冷光3]。
☆赤穂浅野家江戸家老安井彦右衛門・家老藤井又左衛門、長矩刃傷を浅野本家へ報ず。これにより本家より進藤瀬兵衛俊信が鉄砲洲上屋敷へ赴き、長矩室阿久利・赤穂家老共へ主君松平(浅野)綱長の口上を伝える。また、浅野本家用人吉村平右衛門重直も鉄砲洲上屋敷へ赴く[冷光3]。
☆昼、三次隠居浅野長照より御附の使者として沖三郎兵衛が遣わされる[冷光3]。
☆長照、留守居を以て阿久利引取を老中土屋政直へ伺い勝手次第との指示を得る[冷光3]。
☆昼より翌晩まで、大垣戸田家より侍少々・足軽・小人が赴き、鉄砲洲上屋敷の門の出入を監視する[冷光3]。
☆未刻、長矩弟長広、長矩刃傷を赤穂へ注進す。使者早水藤左衛門満堯(150石)・萱野三平重実(12両2歩・3人扶持)[冷光3]。
☆長矩弟長広、評定所呼出につき戸田伊豆守と同道、長矩の刃傷につき閉門を命ぜられる。大目付溝口摂津守・目付久留十左衛門・花房勘右衛門列座す[冷光3]。その他忌掛として戸田氏定・安部(あんべ)丹波守信峯・若狭野浅野長恒・家原浅野長武・三次隠居浅野式部少輔長照は遠慮となる[冷光3]。
☆夕方申刻、長矩、田村邸にて切腹を命ぜられる(35歳)。検使大目付庄田下総守安利・目付多門伝八郎重共・目付大久保権左衛門忠鎮。長矩介錯は幕府御徒目付磯田武太夫[冷光3、寛政]。
☆同刻、田村建顕、長矩弟大学へ長矩死体を引取るよう伝える。これにより赤穂浅野家用人粕谷勘左衛門・同用人小姓頭片岡源五右衛門高房(350石)・同建部喜六・同付届役田中貞四郎・礒貝十郎左衛門正久・中村清右衛門その他歩行士が田村邸へ赴く[冷光3]。
☆田村建顕、片岡高房等浅野家家臣を邸内書院縁側へ呼び切腹の庭へ案内し、長矩遺骸・遺品を引渡す[冷光3]。
☆片岡高房等、長矩遺骸をそのまま芝泉岳寺へ葬送す[冷光3]。長矩法名冷光院殿前少府朝散太夫吹毛玄利大居士[泉岳寺赤穂浅野家墓碑銘]。片岡高房・田中貞四郎・礒貝正久・中村清右衛門、泉岳寺にて落髪す[冷光3]。
☆夕方、月番老中土屋政直(常陸土浦城主)、戸田氏定・赤穂分家若狭野浅野美濃守長恒を自邸に呼び、赤穂家中の鎮静を命ず[冷光3]。
☆戸田氏定・若狭野浅野長恒、鉄砲洲上屋敷へ赴き、土屋政直より下付された家中鎮静の書付の主旨をを長矩弟長広列座にて赤穂家中へ伝える[冷光3]。
☆松平(浅野)綱長、長矩室阿久利へ使者戸嶋保左衛門正暉(広島本家年寄役)を遣わすも門内(鉄砲洲上屋敷)へ入れず。戸嶋、主人綱長の口上を赤穂江戸家老へ申し伝える[冷光3]。
☆三次隠居浅野長照より阿久利引取のため大橋忠兵衛孝次(三次御先手者頭)・木村吉左衛門定重(三次御持筒頭)等が遣わされる[冷光3]。
☆長矩室阿久利、鉄砲洲上屋敷にて落髪し、「壽昌院」と称す。その後、将軍綱吉生母桂昌院の「昌」の字を憚って五七日過に「瑤泉院」と改める[冷光3]。
☆長矩切腹を赤穂へ注進す。使者原惣右衛門元辰(足軽頭・300石)・大石瀬左衛門信清(馬廻・150石)[冷光3]。
3.15 ☆早朝、鉄砲洲浅野家上屋敷明渡[義士64]。
☆暁、長矩後室壽昌院、実家の三次浅野家今井屋敷へ移る。赤穂御歩行御付届役中澤弥一兵衛御供す[冷光3]。
☆朝、広島浅野本家より警護の侍等来る。また、所々番所へも侍等を遣わす[冷光3]。
☆殿中に於いて赤穂城請取在番の儀を仰せ付らる。受城使脇坂淡路守安照(播磨龍野城主)・木下肥後守公定(備中足守領主)、受城目付荒木十左衛門政羽・日下部三十郎博貞[御徒方萬年記、元禄年録、冷光3]。
☆昼より戸田氏定家臣、鉄砲洲上屋敷警護す[冷光3]。
☆赤穂浅野家家中、鉄砲洲上屋敷大方引払[冷光3]。
☆長矩弟長廣、評定所に召され、大目付・目付列座の上、兄に連座して閉門を命ぜられ領地召上となる[元禄年録、寛政]。その他浅野長矩親類中、幕府より遠慮を命ぜられる[御徒方萬年記]。
3.16 ☆昼までに浅野家家中、上屋敷長屋引払完了[義士64]。
☆赤穂受城目付に命ぜられていた日下部博貞、浅野長矩と遠縁に付き辞退し、書院番小出大和守組榊原釆女政殊に代わる[元禄年録]。
☆赤穂家中鉄砲洲上屋敷大方引払につき本家家臣進藤瀬兵衛俊信、人数を引き揚げさせる[冷光3]。
☆浅野本家より屋敷絵図面作成につき鉄砲洲上屋敷へ御歩行組1人・大工等が遣わされる[冷光3]。
☆長矩道具、若狭野浅野長恒が支配す[冷光3]。長矩後室壽昌院道具、深川町屋を借用し収容す[冷光3]。
3.17 ☆戸沢上総介、台命により鉄砲洲上屋敷を預かる[冷光3]。
☆戸沢、鉄炮洲上屋敷を普請奉行奥田八郎右衛門へ引渡す。赤坂下屋敷は八郎右衛門手代へ引渡す[冷光3]。
☆夜、松平(浅野)綱長より壽昌院への見舞として御重之物が到来す[冷光3]。
☆綱長、長矩弟長広閉門と一門方遠慮・赤穂浅野家江戸屋敷引渡を赤穂へ飛脚を以て報ず[冷光3]。
3.18 ☆赤穂浅野家本所屋敷、長矩弟長広へ下される[冷光3]。
☆赤穂代官に岡田庄太夫俊陳・石原新左衛門正氏が命ぜられる[元禄年録]。
3.19 ☆赤穂浅野家が頂戴した歴代将軍の朱印状、戸田氏定より月番老中土屋政直へ使者を以て差出す[冷光3]。
☆浅野長矩を制止した梶川與惣兵衛頼照、江戸城御座の間に於いて500石を加増される[御徒方萬年記、元禄年録]。
☆江戸よりの急使早水満堯・萱野重実、赤穂着。長矩刃傷を報じた長矩弟長広書状を大石良雄にもたらす[冷光3]。
☆大石良雄、家中総登城を命じ、長矩弟長広よりの書状を以て主君刃傷を伝達す。大石良雄、長広書状の返答として荻原文左衛門・荒井安左衛門を江戸へ遣わす[冷光3]。
☆赤穂家老中、銀札処理につき6分替を決める[冷光3]。
☆夜、江戸よりの急使原元辰・大石信清、赤穂到着。長矩田村家御預並びに切腹を伝える。大石良雄、家中を赤穂城へ呼び、この旨を伝達す[冷光3]。
3.20 ☆朝、外村源左衛門(番頭400石・役料100石)、金策のため赤穂出船[冷光3]。
3.21 ☆広島浅野本家の赤穂開城諭告の使者井上団右衛門正信(用人)・丹羽源兵衛重恒(持筒頭)、江戸出立す[冷光3]。
3.22 ☆外村源左衛門、広島着。札座両替銀借銀不足による借銀依頼の大石良雄・大野九郎兵衛の書状を本家年寄役沖権大夫へ渡す。沖権大夫、主君松平(浅野)綱長留守につき江戸の主君へ報告してから返答する旨を伝える[冷光3]。
☆三次浅野長澄、使者として持筒頭徳永又右衛門を赤穂へ遣わす。また、長矩後室壽昌院へは南 端大夫を使者として江戸へ遣わす[冷光3]。
☆旧赤穂浅野家上屋敷、小浜藩主酒井靱負佐忠囿に与えられ、忠囿上げ屋敷は側用人柳澤出羽守保明が拝領す[御徒方萬年記、元禄年録]。
3.23 ☆外村源左衛門、備後三次へ赴き三次浅野長澄に借銀を申し入れる。長澄、外村へ領内鎮静が肝要と直に申渡す[冷光3]。
☆三次浅野長澄使者徳永又右衛門、赤穂着。赤穂側接待人小山源五左衛門良師(物頭・300石)・見廻佐々小左衛門(郡代・300石)[冷光3]。
3.24 ☆徳永又右衛門宿所へ大石良雄・大野九郎兵衛赴き、領内鎮静を諭告される。大石・大野、御請は明日申し上げる旨を返答す[冷光3]。
☆堀部武庸、小山源五左衛門良師へ吉良義央への復讐の考えを披瀝し且つ赤穂開城後の相談を望む[義士50]。
3.25 ☆大石良雄・大野九郎兵衛、徳永又右衛門宿所へ赴き、昨日の件につき御請申上げる。徳永、赤穂発足す[冷光3]。
☆赤穂家老中、伊藤五右衛門(番頭・大野九郎兵衛実弟)を備後三次へ遣わして赤穂家老共存寄を伝える[冷光3]。
☆大石良雄等、吉良義央の生死確認と戸田氏定・若狭野浅野長恒より家中鎮撫の御墨付を得るため田中権右衛門(大目付)・副使山本佐六(歩行組)を江戸へ遣わす[冷光3]。
☆松平(浅野)綱長使者小山弥六良速(先手)・戸田氏定使者戸田源五兵衛(番頭)、赤穂着[武庸]。
3.26 ☆赤穂領内心許なしとて浅野本家の使者小山孫六良速、赤穂へ到着。大石良雄等、赤穂平穏の旨を返答す[冷光3]。
☆戸田氏定より使者として鹿野治部右衛門・八田彦大夫、江戸発足す[冷光3]。
☆高家肝煎吉良義央、願により御役御免[元禄年録]。
☆赤穂代官石原正氏・岡田俊陳、赤穂へ行くため御暇。金3枚ずつ拝領[元禄年録]。
3.28 ☆江戸城黒書院に於いて赤穂受城使脇坂安照・木下公定、赤穂城請取のため御暇。安照へは時服10・羽織、公定へは時服3・羽織を拝領す[元禄年録]。
☆江戸城御勝手にて赤穂受城目付荒木政羽・榊原政殊、赤穂へ行くため御暇。それぞれ金3枚・時服2・羽織を拝領す[元禄年録]。
☆浅野長矩制止の梶川頼照、加増の御礼。銀馬代を献ず[元禄年録]。
☆戸田氏定使者戸田源五兵衛・杉村七郎右衛門、赤穂到着。老中土屋政直と戸田氏定の書付を持参す[冷光3]。
☆戸田氏定使者植村七郎右衛門、赤穂着[武庸]。
3.29 ☆松平(浅野)綱長より見届の使者として馬廻太田七郎右衛門正友赤穂到着。借銀の件につき返答す。大石良雄等、都合がついた為借銀無用を返答し、本家年寄役沖権大夫へもこの旨を報ず[冷光3・武庸]。
☆大石良雄、江戸にいる赤穂受城目付荒木政羽・榊原政殊へ「鬱憤之儀書付」を赤穂物頭多川九左衛門・月岡治右衛門をして届ける[冷光3]。

《4月》

4.朔 ☆夜、先に伊藤五右衛門を以て家老存寄を伝えたことに対しての三次浅野長澄よりの使者内田孫右衛門将重(三次馬廻)赤穂着。内田、大石良雄・大野九郎兵衛へ長澄の鎮静を促す書状を渡す。内田旅宿へ赤穂側馳走人が参り、請取る[冷光3・武庸]。
大石良雄・大野九郎兵衛、裃を着用して内田将重旅宿へ赴く。内田、大石良雄等に家中鎮静を催促す。大石良雄・大野九郎兵衛、明日御請の旨を挨拶し、三汁八菜の料理を内田へ振舞う[冷光3]。
4.2 ☆大石良雄・大野九郎兵衛、内田将重旅宿へ赴き、昨日の儀につき御請の返答を申し上げる。また、三次家老中へもこの旨を報ず[冷光3]。
☆赤穂城受城目付荒木政羽・榊原政殊、江戸出立[冷光3]。
4.4 ☆「鬱憤之儀書付」持参の使者多川九左衛門・月岡治右衛門、江戸着[冷光3]。
☆浅野本家戸島保左衛門・寺尾庄左衛門由武(年寄役)より大石良雄・大野九郎兵衛の許へ赤穂城開城の諭告と開城諭告の使者井上正信・丹羽重恒江戸出立報じた書状が到来す[冷光3]。
☆本家使者井上正信・丹羽重恒・西川文右衛門範清(大小姓)、大石良雄等へ宿の手配を依頼す。また、これに関する上下人馬の書付、大石良雄等の許へ到来す[冷光3]。
☆「鬱憤之儀書付」持参の使者多川九左衛門・月岡治右衛門、江戸着[冷光3]。
☆河村忠左衛門来訪し、堀部武庸に新発田藩主溝口重雄の内意として溝口家仕官を勧めるも武庸辞退す[義士64]。
☆夜、堀部武庸、奥田重盛・高田郡兵衛と密かに赤穂へ旅立つ[義士54]。
4.5 ☆堀部武庸、江戸発足[義士64・武庸]。
☆赤穂城に於いて赤穂浅野家中へ割符金を分配す[冷光3]。家老藤井又左衛門は「存寄あり」とて江戸にても赤穂にても江戸の足金等を請取らず[冷光3]。
☆戸田氏定、浅野家重臣に対して開城を説諭する印判状を発給する[武庸]。
4.6 ☆戸田氏定、開城説諭の印判状を正木笹兵衛・荒渡平右衛門をして赤穂へ届けさせる。また、赤穂派遣の戸田権左衛門に開城説諭を指示す[武庸]。
☆戸田氏定より使者戸田権左衛門(家老)・杉村十大夫・里見孫大夫到着す[冷光3]。戸田権左衛門、赤穂家老・用人・目付を宿へ招き寄せ赤穂開城を諭告す。戸田氏定よりも書状を以て諭告す[冷光3]。
その後、家中氏定の書を拝見し、御請する[冷光3]。
☆戸田氏定の使者鹿野治部右衛門・八田彦大夫、赤穂着[冷光3]。鹿野・八田、戸田氏定の書状を以て赤穂城引渡関係者以外の赤穂家中は15日までに赤穂を引払うように指示す[冷光3]。
☆赤穂より鹿野・八田の指示に対しての御請の使者、赤穂を出立す[冷光3]。
4.7 ☆戸田氏定使者戸田権左衛門(家老)・杉村十太夫(物頭)・里見孫太夫(使番)、松平(浅野)綱長使者古田権六・珠島十右衛門・有田市之丞・井上団右衛門正信(用人)・丹羽源兵衛(持筒頭)、赤穂着[武庸]。
4.8 ☆戸田氏定の赤穂城受城目付荒木政羽・榊原政殊が去る2日江戸発・16日赤穂着予定につき赤穂家中の15日退去を指示し、且つ赤穂に残る家中の仮名を提出らしむ書状、本日到来。杉村十大夫、赤穂側へ渡す[冷光3]。
☆赤穂用人植村与五左衛門、杉村十大夫の宿に赴き、戸田氏定の受城目付到着と残務仮名の提出を命じた書状を受取る[冷光3]。
4.9 ☆本家使者井上正信・丹羽重恒・西川範清赤穂着につき、大石良雄等旅宿へ馳走人を遣わし、各使者の宿にて二汁六菜の料理を出し、使者に随行の人達にも一汁三菜の料理を出す[冷光3]。
☆赤穂家老・組頭、本家使者の旅宿へ赴き、使者より松平(浅野)綱長の「開城すべし」との意向を伝えられる[冷光3]。大石良雄、吉良義央存命につき筋道を立ててくれるよう返答す。本家使者、重ねて大石等に赤穂開城を諭告す[冷光3]。
☆松平(浅野)綱長使者西村文右衛門、赤穂着[武庸]。
☆浅野本家重臣浅野甲斐より内藤伝左衛門・海野金七郎、上田主水より野村清右衛門・米田定右衛門、浅野伊織より八木野右衛門・長束平内が見届役として赤穂着[武庸]。
4.11 ☆家中鎮撫墨付獲得の使者田中権右衛門・山本佐六、江戸より帰着。戸田氏定の開城諭告の書状(4月3日付)を持参す[冷光3]。
☆「鬱憤之儀書付」持参の使者多川九左衛門・月岡治右衛門、赤穂へ帰着す。「鬱憤之儀書付」を窘める戸田氏定の書状(4月5日付)を持参す[冷光3]。多川・月岡、大石良雄へ「鬱憤之儀書付」戸田氏定提出の経過を口上書にして提出す[冷光3]。
☆赤穂に堀部金丸・武庸父子共に赤穂へ参着の噂あり。小山良師・進藤俊式、組の者に尋ねさせる[堀部武庸贈乃父金丸書]。
4.12 ☆大石良雄等、戸田氏定の「鬱憤之儀書付」に対する諭告書、戸田権左衛門より渡される。これにより大石、赤穂開城を決定し戸田権左衛門へ御請の返答す。また、江戸の戸田家家老中川甚五兵衛へもこの旨を申遣わす[冷光3]。
4.13 ☆大野九郎兵衛、田中清兵衛・田中権右衛門方まで手紙を以て病気につき尾崎新浜へ退去の旨を届け出る。大石良雄、片岡高房をして大野親類伊藤五右衛門・八島惣左衛門(赤穂物頭)方へ確認せしむるも不在の旨返答あり[冷光3]。大野、子息郡右衛門・妻等とともに家内残らず出奔す[冷光3]。
☆赤穂物頭荻原兵助・弟儀左衛門、所持の大筒を受城使脇坂安照へ売却の風聞あり。赤穂家中制裁を加えんとするも大石良雄これを制止す[冷光3]。大石良雄、密かに荻原兄弟を新浜まで退去させる[冷光3]。
☆大石良雄、御小納戸坊主多口宗圓(5両・2人扶持)を数年の不手際により追放す[冷光3]。
☆有年村大庄屋弥三兵衛・茂右衛門の数年に及ぶ不正が発覚し百姓等、郡代佐々小左衛門に断りて追放す[冷光3]。
☆佐用村大庄屋彦左衛門、数年に及ぶ不正が発覚し百姓等詰懸たるにつき自害す[冷光3]。
☆赤松村大庄屋甚右衛門の年貢不正が発覚し百姓等、田地家財没収の上追放す[冷光3]。
☆尾崎塩浜庄屋又四郎・長左衛門・庄右衛門等90人、浅野家よりの借入金につき不正が発覚し尾崎町年寄1人・庄屋2人が百姓より追放される[冷光3]。
☆東有年村庄屋与三左衛門、不正が発覚し入水自殺す[冷光3]。
☆新田村大庄屋又兵衛・本郷庄屋六郎右衛門、不正ありて百姓より追放される[冷光3]。
4.14 ☆赤穂家中、花嶽院殿(浅野長重)・久嶽院殿(浅野長直)・景永院殿(浅野長友)・冷光院殿(浅野長矩)御墓料として花嶽寺へ加里屋村浜田3町5反1畝6歩を寄進す。また、大蓮寺へ戒珠院殿(浅野長友室)御墓料として4反6畝4歩を、高光寺へ高光院殿(浅野長直室)御墓料として5反2畝9歩を寄進す。大石良雄、それぞれに寄進状を発給す[冷光3]。
☆大石良雄、京都紫野瑞光院へも御墓料として下加茂村の山寄進の費用として金として200両を、赤穂浅野家祈願寺遠林寺へは扶助金10両を寄進す[冷光3]。
☆この日までに赤穂家中は大方引払い、赤穂城開城引渡関係の役人は町宅に留まる[冷光3]。
☆高山内匠、堀部金丸へ書状を遣わす[義士63]。
☆堀部武庸、赤穂着。大石良雄と面談し籠城を主張す。良雄、時期尚早と説諭す[武庸]。
是頃 ☆赤穂藩京都留守居役小野寺十内秀和(150石・役料70石)京より帰着につき大石良雄、秀和へ赤穂受城目付・代官衆宿見分・掃除・御馳走など諸事と諭告の各家使者の宿の御馳走諸事を申渡す[冷光3]。
4.15 ☆赤穂城受城目付荒木政羽・榊原政殊、播磨揖東郡鵤村へ1泊す。鵤村へ植村与五左衛門赴き、先に差出した赤穂開城役人の書付につき、大野九郎兵衛病気のため退去と大石良雄の添役として家老筋の者1人の出勤を伺う。両目付、尤の返答をし奥野将監(番頭・1000石)が勤める[冷光3]。
☆晩、堀部武庸、開城事務の会所遠林寺客殿に於いて奥野将監と面談し籠城を主張す。奥野、籠城不可の返答をす。武庸・奥田重盛・高田郡兵衛、大石良雄に会いすべてを委任する[武庸]。
4.16 ☆赤穂受城目付・代官、赤穂到着[武庸]。
☆赤穂受城目付赤穂到着につき御迎として田中清兵衛、領内境まで赴く。東町口(中村橋)へは大石良雄・植村与五左衛門出迎え、直に御見舞として受城目付の旅宿へ赴く[冷光3・武庸]。また、岡林杢之助直宗(番頭)・佐々小左衛門・河村伝兵衛(物頭)・田中清兵衛も受城目付旅宿へ赴く。荒木政羽・榊原政殊、大石良雄等へ赤穂城引渡並びに家中引払の旨を通達す[冷光3]。堀部武庸・奥田重盛・高田郡兵衛、中村橋にて大石良雄と会い辞儀して通過す[武庸]。
☆受城目付衆より赤穂城中の櫓数・御門数・井戸数を書付をもって御尋につき大石良雄等、返答書を差出す。その後、荒木政殊、手紙を以て大石良雄を出頭せしむ[冷光3]。
☆受城目付、赤穂城召上が赤穂へ知れた月日・赤穂より出た品・商売物の儀を御尋につき大石良雄等返答書を差出す[冷光3]。
☆大石良雄、小山源五左衛門良師に堀部武庸等の意向を聞くよう指示する。武庸等3士、良雄に従う旨を良師に返答す[武庸]。
☆堀部武庸・奥田重盛・高田郡兵衛の宿へ物頭はじめ同志等見舞う[武庸]。
☆長広書状の返答として江戸へ遣わされた荻原文左衛門・荒井安左衛門、赤穂帰着[冷光3]。
☆堀部金丸、大石郷右衛門良麿へ堀部武庸の赤穂行を報ず[義士54]。
4.17 ☆大石良雄、浅野家拝領の後内書共12通を持参し、赤穂受城目付荒木政羽へ差出したところ戸田氏定へ引渡すよう指示される。また、良雄、城内覚書・赤穂分家の石高書付等も受城目付へ提出す[冷光3]。
☆代官石原新左衛門・岡田庄大夫、陸村に到着につき赤穂より山羽理左衛門(在々奉行)が赴く。東町口へは佐々小左衛門・吉田忠左衛門兼亮(郡代200石・役料50石)・植村与五左衛門が出迎える[冷光3]。
☆赤穂受城目付、大石良雄へ明日の赤穂城検分案内の者を四ツ時に遣わすよう手紙を以て申付ける。これにより大石、赤穂城内所々の番・門番を申付ける[冷光3]。
4.18 ☆赤穂受城目付荒木政羽・榊原政殊、代官石原新左衛門・岡田庄大夫、赤穂城を検分す。大石良雄・奥野将監・田中清兵衛・間瀬久太夫正明(大目付・200石・役料10石)出迎える。大石・奥野、刎橋より二之丸へ案内し、内山下屋敷は田中清兵衛・間瀬正明、外山下屋敷は横目3人が案内す[冷光3]。
☆その後、大石良雄・奥野将監、受城目付を本丸御殿に案内し金之間にて茶を供す。この時大石良雄、浅野家再興と吉良義央処分を嘆願す。両目付の返答なし。良雄、大書院にて再び嘆願す。両目付の返答なし。良雄、玄関にて両目付へ茶を供し、3度目の嘆願を行う。代官石原新左衛門、受城目付荒木政羽へ取0次ぎ、荒木尤もの返答をす。榊原政殊も同様の返答をす[武庸・江赤・冷光3]。
☆その後受城目付、侍屋敷迄見分す[冷光3]。
☆受城目付、旅宿へ帰着後、大石良雄を呼び城内の様子を賞美し、且つ嘆願の儀を今晩飛脚を以て言上する旨を伝える。また、赤穂家中の居所についても望次第に証文を遣わすので希望は願い出るように申し渡す[冷光3]。
☆晩、受城使脇坂安照御迎として岡林杢之介直宗、野中村まで出向く[冷光3]。
☆夜、受城使脇坂安照・木下公定、軍勢を赤穂城近くまで移動させる。また、明日引渡の番人の配置等を受城目付へ伺う[冷光3]。
☆大石良雄、受城目付荒木家来金子小右衛門へ城引渡まで近在に在る者共の書付を差出す[冷光3]。
4.19 ☆赤穂城開城。大石良雄・奥野将監、玄関にて収城使・受城目付等を出迎える。巳上刻、本丸御殿大書院にて引渡済む。脇坂勢は本丸請取並びに在番、木下勢は二之丸を請取[冷光3・義士35・義士64・武庸・堀部武庸贈乃父金丸書]。
☆赤穂浅野家中、赤穂受城目付へ城請取に関する「承度覚」に附紙をして返答す[花岳寺所蔵文書]。
☆赤穂受城目付、赤穂城内・城下に関して諸事を令す[花岳寺所蔵文書]。
☆大石良雄等城内に詰めていた役人は川口門脇で待合わせ、一同で城下へ退く。城付武具帳面は脇坂家来へ、二之丸残米は帳面を以て木下家来へ引渡す。それぞれに請取書差し越す[冷光3]。
☆木下公定勢、領国備中足守へ帰る[冷光3]。
☆受城目付、大4石良雄へ城引渡につき引渡役人は勝手次第引払うよう申し付ける。また、大石等数人の残務役人は御用につき残るように命じ、且つ大石へ残務役人の書付を提出せしむ[冷光3]。
☆今日より来月21日まで残務役人へ扶持渡困難につき、雑用銀にて渡す[冷光3]。
☆広島藩井上正信、受城目付に会い、本日の首尾を伝えられる[冷光3]。
☆堀部武庸、養父金丸へ赤穂の様子を報ず[義士35・堀部武庸贈乃父金丸書]。
4.20 ☆大石良雄、堀部武庸・奥田重盛・高田郡兵衛へ暇乞状を送る[武庸]。
4.22 ☆大石良雄等、城付金銀皆無につき、その旨を目録にして代官石原新左衛門へ差出す。残務役人田中権右衛門、赤穂引払[冷光3]。
☆堀部武庸、赤穂発足[義士64]。
4.24 ☆受城目付・代官、赤穂随鴎寺参詣[冷光3]。
4.25 ☆受城目付・代官、坂越へ赴く[冷光3]。
☆原元辰・小山良師・進藤源四郎俊式・河村伝兵衛・奥野将監、堀部武庸・奥田重盛・高田郡兵衛へ各1通宛暇乞状を出す[武庸]。
4.27 ☆堀部金丸、石川道務へ近況を報ず[堀部文書]。
4.28 ☆受城目付・代官、戸嶋へ赴く[冷光3]。
4.29 ☆吉川茂兵衛、堀部武庸へ書状を認める[義士64]。

《5月》

5.朔 ☆受城目付・代官、尾崎新浜見分[冷光3]。植村与五左衛門、赤穂引払[冷光3]。
5.5 ☆大石良雄、高野山へ華嶽院殿・久岳院殿・景永院殿・冷光院殿の御牌料を遠林寺を供えしむための使者、赤穂発足[冷光3]。
5.7 ☆受城目付・代官、庄内筋へ赴く。帰りの際、柏や道閑表座敷に於いて大石良雄等へ振舞あり[冷光3]。
5.8 ☆受城目付・代官、赤穂町寺々を見分す[冷光3]。
5.11 ☆ 朝五時、受城目付、赤穂発足す。大石良雄、若狭野分家浅野長恒家来杉浦藤兵衛・前田市右衛門へこの旨を報ず[冷光3]。
☆矢師伝右衛門・庄兵衛兄弟、高山内匠書状を堀部金丸の許へ持参す[義士63]。
☆大石良雄、左腕に疔を患う[武庸]。
5.12 ☆大石良雄、浅野長廣閉門御免と人前奉公の周旋のため原元辰に岡本次郎左衛門重之を添えて大坂へ出発せしむ[冷光3]。
☆堀部武庸、江戸に帰る[義士63・義士64]。
5.16 ☆高野山へ赴いた使者、赤穂帰着[冷光3]。
☆堀部武庸、江戸到着[義士64]。
5.17 ☆原元辰・岡本重之、大坂に於いて参勤帰国中の広島本家の戸嶋保左衛門・寺尾庄左衛門と対談し、松平(浅野)綱長の尽力を依頼す。戸嶋等、追って返答の旨を伝える[冷光3]。
5.19 ☆堀部武庸・奥田重盛・高田郡兵衛、大石良雄・奥野定良・吉田兼亮・河村伝兵衛・進藤俊式・原元辰・小山良師へ江戸到着並びに江戸の様子を伝える[武庸]。
5.21 ☆大石良雄、受城代官石原新左衛門の許へ赴き、御吸物・酒を馳走になる。また、預かっている大野知房の諸道具についても石原・岡田庄太夫相談の上、安藤善太夫・神崎則休・横川勘平宗利が改めて封印し、預手形をとりて帳面を作成す[冷光3]。
☆赤穂遠林寺会所解散す[武庸]。
5.22 ☆在々奉行前野新蔵・幸田与三左衛門、赤穂城大手隅櫓にて鉄砲20挺を受城代官石原手代中村勘太夫・岡田手代三輪平助へ引渡す[冷光3]。
☆赤穂浅野領の郷村帳などの処理完了[武庸]。
☆大石良雄、疔を再発す[武庸]。
5.24 ☆受城目付荒木政羽・榊原政殊、赤穂より帰府す[冷光3]。
5.29 ☆受城代官呼出しにつき佐々小左衛門・吉田兼亮・岸佐左衛門(勘定役)、代官石原の許へ赴く。石原・岡田列座の上で差出帳面調査のところ相違なきにより、このまま請取る旨を伝達す。また、大方の残務終了につき明日にて終わらせ、赤穂残務役人の面々は住居へ引払うよう申渡される[冷光3]。
5月下旬 ☆原元辰・岡本重之、三次浅野長澄の参勤につき大坂にて(伏見とも)三次用人久保田源太夫正信と対談し、長澄の尽力を依頼す[冷光3]。

《6月》

6.朔 ☆赤穂受城目付荒木政羽・榊原政殊、江戸に帰着[元禄年録]。
6.4 ☆赤穂開城の残務処理完了[武庸]。
☆大石良雄・田中清兵衛・間瀬正明等、開城残務終了につき赤穂を引払う。その他残務役人も追々と引払う[冷光3・冷光附・武庸]。
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